原田もも代『自画像によく似た肖像画』(七月堂、2012年11月19日発行)
原田もも代『自画像によく似た肖像画』には確かに「自画像」に似たものが描かれているのだろう。「自画像(肖像画)」を見るとなんとなく「安心」する。そこにはその人がいる。似ている、似ていないではなく、そこには「なろうとする自分」がいる。そのときの「なる」はきっと自分を否定するではなく、自分を肯定するということだろう。生きてきた「過程」を肯定する。
そういう視線の動きは「自分」だけに向けられるものではない。「新しい畳」という作品を読むと、そういう気持ちになる。
新しい畳にふれて、畳ではなく、畳の「生きてきた過去」に触れる。触れてしまう。それも「頭」ではなく「肉体」で直接に触れる。
畳に「なる」前、畳の面は「藺草」だった。そしてその藺草にも「生きてきた過去」がある。畳に触れたつもりが、畳を通り越して「藺草」の「生きてきた過去」に触れてしまう。そして「過去」は「いま生きている」ものであることを感じる。感じてしまう。このときの「感じる」は自分の肉体のなかから「覚えていること」を呼び覚ますことである。「生きている」に触れて「生きている」が目覚める。それは藺草が「生きている」であると同時に原田も「生きている」。
原田は直接藺草を見たことがあるか。触ったことがあるか。それはわからないが、原田が触らなくても藺草を育てた人は触っている。藺草を刈った人は触っている。その「肉体」の「覚えていること」が原田の「肉体」の奥からよみがえる。原田の「肉体」と藺草を育て刈った人の「肉体」は別々で離れていても、それはつながる。草の強さ、強い葉っぱや茎に触れたり見たりした記憶が、草のいのちのつながりのなかで藺草と出会い、その「覚えていること」を原田の肉体に思い出させる。それに触発されて「生きている」原田が目覚める。
新しい畳の目が原田の「肉体」に痕となって残る。それは原田の肉体がやわらかく「生きている」からである。そのとき原田はまた思い出すのである。自分の肉体がこんなふうに「柔らかい」のと同じように、藺草もまたほんとうは柔らかい肉体を持っていた。それを風にそよがせていた。そして濃い緑を空中に反射させていた。もっともっとまぶしい時代があった。--そういうものと、原田は出会っている。
この「覚えていること(記憶)」を原田は「根性」と呼んでいる。これがおもしろいなあ。藺草の根性と向き合う。--これは原田が原田の根性と向き合うということだと思う。肉体の中の芯となって原田をささえている力を原田は根性と呼んでいるのだと思うが、それと向き合うということだと思う。「生きていこう」と決意すると言い換えてもいいかもしれない。「根性」を出して「生きる」。
そのとき原田は「正座」をする。
おおっ、いいなあ、と思う。こういう「肉体」の出てき方は気持ちがいい。原田は何かときちんと向き合うとき「正座」する。「肉体」に無理な形をとらせる。「精神(頭)」で何かと対面するというのなら、そのとき人間はどういう姿勢をとっていてもいいはずである。どんな姿勢をしていようが1+1=2というような「数学的事実」はかわらない。でもね、人間はそんなふうにしては何かとは向き合えない。正しく何かと向き合おうとすると「正座する」。これが原田の「生き方(思想、肉体)」なのである。「生きる」と向き合うとき正座しかない。そういう「しつけ」を生きている。
「正座」のなかには原田が書いているように「敬服」も含まれる。敬服というのは、自分の傲慢をおさえるということである。「むこう脛が痛い/足の甲が痛い」ということを受け入れ我慢する。そういうことを肉体で受け入れないことには何かと真剣に向き合い、何かを受け入れたことにはならない。一種の痛みのなかで共生する。その痛みを覚えることが「しつけ」(体のうちから自分をととのえる)なのだが、この「痛み」なのかで藺草と原田はひとつになっている。共生している。つまりいっしょに「生きる」になる。
あ、もちろん違う生き方もある。あるのだけれど、原田が実践しているのはそういう生き方である。「肉体」をまっすぐにととのえる生き方である。
それがこの詩ではきちんと書かれている。
原田もも代『自画像によく似た肖像画』には確かに「自画像」に似たものが描かれているのだろう。「自画像(肖像画)」を見るとなんとなく「安心」する。そこにはその人がいる。似ている、似ていないではなく、そこには「なろうとする自分」がいる。そのときの「なる」はきっと自分を否定するではなく、自分を肯定するということだろう。生きてきた「過程」を肯定する。
そういう視線の動きは「自分」だけに向けられるものではない。「新しい畳」という作品を読むと、そういう気持ちになる。
家中が
新しくなったように かぐわしい
たった一部屋の畳が
新しくなっただけだけれど
うれしくて
寝そべって本を読む
突いた肘が痛くて起き上がる
赤く食い込んだ畳の目の痕
畳はまだ畳ではなく
藺(い)草はまだ藺(い)草だったのだ
織られて 打ち込まれてなお屈せず
敷かれることにも歯向かう
したたかな草の力 その根性に敬服し正座する
むこう脛が痛い
足の甲が痛い
新しい畳にふれて、畳ではなく、畳の「生きてきた過去」に触れる。触れてしまう。それも「頭」ではなく「肉体」で直接に触れる。
畳に「なる」前、畳の面は「藺草」だった。そしてその藺草にも「生きてきた過去」がある。畳に触れたつもりが、畳を通り越して「藺草」の「生きてきた過去」に触れてしまう。そして「過去」は「いま生きている」ものであることを感じる。感じてしまう。このときの「感じる」は自分の肉体のなかから「覚えていること」を呼び覚ますことである。「生きている」に触れて「生きている」が目覚める。それは藺草が「生きている」であると同時に原田も「生きている」。
原田は直接藺草を見たことがあるか。触ったことがあるか。それはわからないが、原田が触らなくても藺草を育てた人は触っている。藺草を刈った人は触っている。その「肉体」の「覚えていること」が原田の「肉体」の奥からよみがえる。原田の「肉体」と藺草を育て刈った人の「肉体」は別々で離れていても、それはつながる。草の強さ、強い葉っぱや茎に触れたり見たりした記憶が、草のいのちのつながりのなかで藺草と出会い、その「覚えていること」を原田の肉体に思い出させる。それに触発されて「生きている」原田が目覚める。
新しい畳の目が原田の「肉体」に痕となって残る。それは原田の肉体がやわらかく「生きている」からである。そのとき原田はまた思い出すのである。自分の肉体がこんなふうに「柔らかい」のと同じように、藺草もまたほんとうは柔らかい肉体を持っていた。それを風にそよがせていた。そして濃い緑を空中に反射させていた。もっともっとまぶしい時代があった。--そういうものと、原田は出会っている。
この「覚えていること(記憶)」を原田は「根性」と呼んでいる。これがおもしろいなあ。藺草の根性と向き合う。--これは原田が原田の根性と向き合うということだと思う。肉体の中の芯となって原田をささえている力を原田は根性と呼んでいるのだと思うが、それと向き合うということだと思う。「生きていこう」と決意すると言い換えてもいいかもしれない。「根性」を出して「生きる」。
そのとき原田は「正座」をする。
おおっ、いいなあ、と思う。こういう「肉体」の出てき方は気持ちがいい。原田は何かときちんと向き合うとき「正座」する。「肉体」に無理な形をとらせる。「精神(頭)」で何かと対面するというのなら、そのとき人間はどういう姿勢をとっていてもいいはずである。どんな姿勢をしていようが1+1=2というような「数学的事実」はかわらない。でもね、人間はそんなふうにしては何かとは向き合えない。正しく何かと向き合おうとすると「正座する」。これが原田の「生き方(思想、肉体)」なのである。「生きる」と向き合うとき正座しかない。そういう「しつけ」を生きている。
「正座」のなかには原田が書いているように「敬服」も含まれる。敬服というのは、自分の傲慢をおさえるということである。「むこう脛が痛い/足の甲が痛い」ということを受け入れ我慢する。そういうことを肉体で受け入れないことには何かと真剣に向き合い、何かを受け入れたことにはならない。一種の痛みのなかで共生する。その痛みを覚えることが「しつけ」(体のうちから自分をととのえる)なのだが、この「痛み」なのかで藺草と原田はひとつになっている。共生している。つまりいっしょに「生きる」になる。
あ、もちろん違う生き方もある。あるのだけれど、原田が実践しているのはそういう生き方である。「肉体」をまっすぐにととのえる生き方である。
それがこの詩ではきちんと書かれている。
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谷内 修三 | |
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