フランシス・フォード・コッポラ監督「ゴッドファザー」(★★★★★)
監督 フランシス・フォード・コッポラ シュツエン マーロン・ブランド、アル・パチーノ、ロバート・デュヴァル
3年前(?)、「午前10時の映画祭」で「ニュープリント」の「ゴッドファザー」を見たときは怒鳴り散らしたいくらいに頭に来た。冒頭の、マーロン・ブランドが「依頼」を受けるシーンの、漆黒の暗闇が薄っぺらい。昔見た、黒の輝きがない。外は結婚式で明るいのに、鎧戸をおろし、暗い室内で、暗いところでしか言えない会話をしている--その濃密な「闇」が「ニュープリント」では完全に変質していた。マフィアが着る礼服も、量販店で売っている礼服だってもっとしっかりした黒だぞ、といいたくなるくらいの安っぽい黒だった。特に屋外のシーンでは光が反射して、ほとんど灰色だった。
デジタル版はどうなのか。それだけを確認するつもりで行ったのだが、よかった。見てよかった。艶やかと言っていいような闇が復活していた。礼服もきちんと黒。これでなくっちゃね。
映画というのは、ストーリーよりも、影像情報そのものが大事だ。ストーリーに要約できない部分におもしろさがある。冒頭のマーロン・ブランドが口に綿を詰めてほほを膨らませ、年取った男を演じるシーンなんて、真似したくなるでしょ。部屋を暗くして、猫を撫でながら、ぼそぼそぼそ。白いシャツだけが、部屋中の光を集めて発光している--そんなポートレートとって、フェイスブックにのせてみたい。「あ、ゴッドファザーだ」と誰もが思う。そういうことが大事。そのためには影像はしっかりしていないと。色はきちんとしていないと……。
映画はカメラがいのち。影像がいのち。と、書きながら思い出すのは、キューブリックの「バリー・リンドン」の女が入浴するシーン。ろうそくの明かりだけで撮っているのだけれど、あの時代の入浴は下着を着たまま。で、裸は見えないんだけれど、な、なんと。女が体をバスタブにひたすと下着が濡れて、透けて、恥毛が浮かび上がってくる。それを、あの時代にろうそくの光、薄暗い光のなかでしっかり影像にしている。なんでも焦点距離の非常に短いレンズで撮った(新しいカメラで撮った)という話だけれど、いやあ、すごいよねえ。
それにしても、時代は変わるねえ。
「ゴッドファザー」がはじめて公開されたとき、その暴力描写が残酷(リアル?)すぎると話題になったと思う。バーで、掌にナイフを突きたてられ、後ろから首を絞められるシーンとか、ジェームズ・カーンが高速道の入り口で銃弾を浴びるシーン、裏切り者が車の助手席で後ろから絞殺されるとき、足で車のフロントガラスを割るシーン(これは、私は大好きなシーンのひとつ)とか。でも、いま見ると、ごく普通。もっと激しい暴力シーンがあふれかえっている。人間というのは、こういう「過激さ」にはすぐに麻痺してしまうんだね。
で、そんなことを考えると、やっぱり最後は過激でも何でもないシーンの美しさが映画の勝負どころという気がする。暴力シーンも、コッポラのこの作品はフロントガラスのシーンにしろ、何か「美しい」ものがある。(コーエン兄弟の「ノーマンズランド」の絞殺のシーン、首を絞められながら男が足をばたばたさせる。その足跡がリノリウムの床に花のような美しい模様を描く--というのは、絶対に「ゴッドファザー」の影響を受けている。)いままで見たことのない美を見るというのはうれしいねえ。
と、書きながら。
私は実は困っている。私は網膜剥離で眼の手術をしていらい、どうも眼が落ち着かない。デジタル画面がちらついて見える。私の眼のせいなのだろうけれど、デジタル版そのものにも問題はないのだろうか。フィルムの美しさがなつかしく思える。もう40年以上も前に見た最初の「ゴッドファザー」が忘れられない。
(2014年02月08日、天神東宝4)
監督 フランシス・フォード・コッポラ シュツエン マーロン・ブランド、アル・パチーノ、ロバート・デュヴァル
3年前(?)、「午前10時の映画祭」で「ニュープリント」の「ゴッドファザー」を見たときは怒鳴り散らしたいくらいに頭に来た。冒頭の、マーロン・ブランドが「依頼」を受けるシーンの、漆黒の暗闇が薄っぺらい。昔見た、黒の輝きがない。外は結婚式で明るいのに、鎧戸をおろし、暗い室内で、暗いところでしか言えない会話をしている--その濃密な「闇」が「ニュープリント」では完全に変質していた。マフィアが着る礼服も、量販店で売っている礼服だってもっとしっかりした黒だぞ、といいたくなるくらいの安っぽい黒だった。特に屋外のシーンでは光が反射して、ほとんど灰色だった。
デジタル版はどうなのか。それだけを確認するつもりで行ったのだが、よかった。見てよかった。艶やかと言っていいような闇が復活していた。礼服もきちんと黒。これでなくっちゃね。
映画というのは、ストーリーよりも、影像情報そのものが大事だ。ストーリーに要約できない部分におもしろさがある。冒頭のマーロン・ブランドが口に綿を詰めてほほを膨らませ、年取った男を演じるシーンなんて、真似したくなるでしょ。部屋を暗くして、猫を撫でながら、ぼそぼそぼそ。白いシャツだけが、部屋中の光を集めて発光している--そんなポートレートとって、フェイスブックにのせてみたい。「あ、ゴッドファザーだ」と誰もが思う。そういうことが大事。そのためには影像はしっかりしていないと。色はきちんとしていないと……。
映画はカメラがいのち。影像がいのち。と、書きながら思い出すのは、キューブリックの「バリー・リンドン」の女が入浴するシーン。ろうそくの明かりだけで撮っているのだけれど、あの時代の入浴は下着を着たまま。で、裸は見えないんだけれど、な、なんと。女が体をバスタブにひたすと下着が濡れて、透けて、恥毛が浮かび上がってくる。それを、あの時代にろうそくの光、薄暗い光のなかでしっかり影像にしている。なんでも焦点距離の非常に短いレンズで撮った(新しいカメラで撮った)という話だけれど、いやあ、すごいよねえ。
それにしても、時代は変わるねえ。
「ゴッドファザー」がはじめて公開されたとき、その暴力描写が残酷(リアル?)すぎると話題になったと思う。バーで、掌にナイフを突きたてられ、後ろから首を絞められるシーンとか、ジェームズ・カーンが高速道の入り口で銃弾を浴びるシーン、裏切り者が車の助手席で後ろから絞殺されるとき、足で車のフロントガラスを割るシーン(これは、私は大好きなシーンのひとつ)とか。でも、いま見ると、ごく普通。もっと激しい暴力シーンがあふれかえっている。人間というのは、こういう「過激さ」にはすぐに麻痺してしまうんだね。
で、そんなことを考えると、やっぱり最後は過激でも何でもないシーンの美しさが映画の勝負どころという気がする。暴力シーンも、コッポラのこの作品はフロントガラスのシーンにしろ、何か「美しい」ものがある。(コーエン兄弟の「ノーマンズランド」の絞殺のシーン、首を絞められながら男が足をばたばたさせる。その足跡がリノリウムの床に花のような美しい模様を描く--というのは、絶対に「ゴッドファザー」の影響を受けている。)いままで見たことのない美を見るというのはうれしいねえ。
と、書きながら。
私は実は困っている。私は網膜剥離で眼の手術をしていらい、どうも眼が落ち着かない。デジタル画面がちらついて見える。私の眼のせいなのだろうけれど、デジタル版そのものにも問題はないのだろうか。フィルムの美しさがなつかしく思える。もう40年以上も前に見た最初の「ゴッドファザー」が忘れられない。
(2014年02月08日、天神東宝4)
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