詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「ゴッドファザー2」(★★★★★)

2014-02-23 10:05:55 | 映画
「ゴッドファザー2」(★★★★★)

監督 フランシス・フォード・コッポラ 出演 ロバート・デニーロ、アル・パチーノ、ロバート・デュヴァル


 映像の情報量が多く、しかも美しい。変質したフィルムを再現するデジタル技術の確かさに唸る。暗い光の陰影が、ともかく美しい。白熱灯の作り出す光が柔らかくて深い。人間の表情、肉体の動きにそってやわらかな影になり、そのまま部屋の空気になっていく。街のにおいになっていく。まるで「名画」を見ている感じ。どのシーンも絵になっている。映画はこうでなくては。時間を忘れてしまう。
 一番好きなシーンは、休憩の寸前の映像。(初回の時も休憩って、あったっけ? 3時間半、ぶっ続けじゃなかったっけ……。忘れてしまった。)デニーロがやくざのボス(?)を殺してきて、家族のもとへ帰る。道ではキリスト教の何かのお祭り(パレード)がおこなわれている。階段に妻と3 人の子供。アル・パチーノのが演じるマイケルはまだ乳飲み子。その乳飲み子に「マイケル」と話しかけると、赤ん坊の手がデニーロの手を握る。握ろうとする――と見るのは、まあ、私の勝手なのだが、その瞬間、父と子の絆がしっかり浮かび上がる。あ、すごいなあ、と思う。赤ん坊は演技などできない。赤ん坊がデニーロの手を握る瞬間を待って、それをしっかり映像にしている。映像に語らせている。
 ほかのシーンも同じように、その映像になるまで待って、しっかりとっている。古い時代のニューヨークの雑然としたひとの動きも、きっと何度もリハーサルをして、自然な人ごみを作り出しているのだろう。時間と手間を惜しまないと、映画はこんなに美しくなるのだ。
 で、赤ん坊のシーンに戻るのだけれど、あのあたたかな感じは、もっぱらデニーロの性格を表しているんだね。だれもがすり寄ってくるあたたかさ。
 映画は、ゴッドファザーの若い時代(デニーロ)とアル・パチーノの現在を対比するように交互に描かれるのだけれど、実際に人殺しをするデニーロの方が人間ぽく、温かいのに対し、自分の手を汚さないアル・パチーノの方が冷たく、残酷な感じがする。デニーロにはだれもが近づいてくる。そして、その近づいてきたひとがデニーロを自然に守る砦になる。一方、アル・パチーノの側からはだれもが離れていく。ダイアン・キートンが演じる妻さえ、離れていく。生まれるはずのこどもも堕胎によって離されてしまうというのは、あまりにも強烈な仕打ちだが、兄弟も離れていく。離れていくどころか、殺されてしまう。どんどん孤立する。孤独になっていく。
 デニーロのゴッドファザーとアル・パチーノのゴッドファザーの対比を描くことがこの映画のテーマなのだろうけれど、理屈っぽくならずに、デニーロの人懐っこい顔を生かして、あくまで「肉体の印象」を前面に出しているのがいいなあ。マフィアであることを忘れて、デニーロの温かみに吸い寄せられていくね。
 アル・パチーノはデニーロの引き立て役に終わってしまって、残念だね。私はアル・パチーノのファンではないので、まあ、どうでもよいが。
 あと、好きなのはロバート・デュバルが昔なじみの男に、自殺を勧めにゆくシーン。「自決することで家族を守る」と相手に言わせるところがすごい。押し付けにならないからね。で、そういう予告をしておいて風呂場での自殺シーンを見せるのも、残酷そうで、残酷じゃない。予備知識があるので血の色も残酷というより、「悲しい」色が濃くなる。うまいなあ、と感心する。
 *
 付記。私は天神東宝5で見たのだが、このスクリーンは中央に縦に汚れがついている。私は目が非常に悪いのだが、その私が気づく汚れなのだから、よっぽどひどい。映画館とはいえない。
                        (2014年02月22日、天神東宝5)

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西脇順三郎の一行(98)

2014-02-23 06:00:00 | 西脇の一行
西脇順三郎の一行(98)

「夏至」

ヨハネのマラルメのゲジゲジの

 ここからは詩集『人類』の作品。
 ヨハネとマラルメは西洋の古典的(学問的/精神的/芸術的?)な存在。ゲジゲジは虫。ゲジゲジが1行に紛れ込むこと、結合されることによって、ヨハネはマラルメに「知識」のエッジとは違う輪郭ができる。
 たとえば、これが

ヨハネのマラルメの薔薇の

 だったとすると1行はおもしろくない。薔薇がヨハネとマラルメを統合してしまう。薔薇ということばがもっている「文学(教養)」がひとつの「美」になる。けれどゲジゲジという異質なものが結合されると、それは美にはならない。なりようがない。つながっている何かが切断される。
 その切断の、断面としてのエッジがある。
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