監督ポン・ジュノ 出演 クリス・エバンス、ソン・ガンホ、ティルダ・スウィントン、ジョン・ハート、エド・ハリス
原作はフランスの漫画、ということらしいが。小説ならおもしろいかなあ、と思いながら見た。描かれる世界があまりにも嘘っぽい。氷河期の地球を列車で駆け回る。列車のなかは戦闘が上流社会、最後が最下層の社会、列車の内部では野菜栽培もしていれば魚も養殖している。これを影像で見せられると、ほんものの感じがしない。ことばに翻訳し直すと、「悪夢」がまざまざと見えてくる。そうか、悪夢はことばでみるものなのか……は自分で自分の感想に感心したりする。(ね、この瞬間、映画を見てないでしょ? 私は。そういう映画だ。)だから、ラストのクライマックス(?)のクリス・エバンスとエド・ハリスの「劇的な対話」なんて、ほんとうにことばだけ。エド・ハリスが語っていることを影像にしないと映画にならないじゃないか--列車を走らせるのに忙しくて、最後は力尽きたのかもしれないけれどね。
見どころは。
銃撃戦のさなか、破れた窓から雪が一辺、列車内に舞い込む。それをていねいに、雪の結晶の六角形が見えるように映している。そこに乗り込んでいるひとが皆その雪の形をしっかり肉眼にやきつけた、ということがわかる、いやあ、ロマンチックで、美しい影像だなあ。--と感心させておいて、そのあとだいぶ経ってから「雪の結晶を見ただろう。あは溶ける雪だ。外では温暖化(?)が始まっている」とソン・ガンホが言う。いやあ、いいなあ、このシーンは小説では無理。雪の結晶の美しさをことばで書いてしまうと、悪夢と相いれない。影像だから、あれっ、なんでいまここに、この影像? 変じゃない? という違和感を残して、存在しうる。
それに追い打ちをかけるように、ソン・ガンホが言う。一年に一回通る鉄橋(列車は世界をまわっている)の上から墜落した飛行機が見える。「あの飛行機は、去年は尾翼しか見えなかった。今年は主翼が見えた。雪が溶けはじめている。暖かくなっている」。あ、うまいなあ。ことばでフィードバック。雪の結晶もそうだけれど、ことばはいつでもフィードバックできる。そして、「過去」を「いま」に呼び戻し、さらに「未来」へと投げつける。--これを、影像だけでやろうとすると、とてもむずかしい。
もう一つは、その鉄橋のシーンなのだが、列車が線路の上をおおっている氷の塊を砕きながら突き進むシーン。脱線してもいいのだけれど、脱線しない。そのいいかげんな「設定」をはらはら、どきどきをいいことに、強引に押し切ってしまう。うわーっ、どうなるの? 脱線したら皆しんでしまうぞ、と観客がはらはらしているときは、そのはらはらは実現しなくていい。はらはらだけでいい。はらはらが「現実」なのであって、脱線はその現実を支えるための「薬味」だからね。こういうデタラメ(非現実的)な影像というのは、私は大好きだなあ。映画なんて嘘なんだから、どんどん嘘をつけばいい。
これと関連して、その鉄橋の上を通過するとき、敵・見方の区別を越えてカウントダウンをするのもいいなあ。年に一回、その橋をわたる。氷河期で「暦」は意味を持たないのだけれど、この、ある一点を通ることが「 1年」の区切りというも、ね、こんなふうに馬鹿馬鹿しい影像として展開すると、とたんに「現実」になる。いやあ、うまなあ。
と、感心しながらも、私は★2個を変えない。ラストの北極熊の出てくるファンタジーはファンタジーでいいのだけれど、さっき書いたエド・ハリスのことば(種明かし)、これがとってもつまらない。小説なら、もともと全部がことばなのだから、それなりに説得力を持つだろうけれどねえ。映画ではねえ。
(2014年02月12日、天神東宝2)
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