詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

倉橋健一『唐辛子になった赤ん坊』

2014-02-15 11:39:58 | 詩集
倉橋健一『唐辛子になった赤ん坊』(思潮社、2014年02月25日発行)

 倉橋健一『唐辛子になった赤ん坊』を読むと不思議な気持ちになる。巻頭の「おばばの美しい話」。

恐ろしいのは風下(かざしも)じゃよと
キリンになった経験をもつおばばは
耳朶を唇に吸いつけると唾をのみこみながらつぶやいた
ずるずると首がのびて
山裾まで一目瞭然じゃったが
夜ともなると見えないから始末にわるい
風下からは忍び寄る怖い奴の足音も匂いもせん
んだから賢こい肉食獣になればなるほど
そこからばかり襲うてくる
ひとったまりもない
いのちを開けっ放しにしてたのも当然じゃ
おまえの父御(ててご)もそうじゃったぞ
風下から飛んできた爪の一裂きにやられて脊髄がのうなった
おかげでおまえは父(てて)なし児じゃ

 ここには嘘がある。「おばば」がキリンなら「おまえ」もキリン、日本語が話せるわけではない。こういう嘘を「寓話」と呼ぶことができるかもしれない。で、そのとき、私たちは何を読むのか。なぜ、「嘘」を追及せずに、そのことばに耳を傾けてしまうのか。その声を聞いてしまうのか。
 語られることばが何かを象徴している。そこには「意味」がある。

 そうなのかもしれないが。

 私は、何か違うように感じてしまう。たとえば、この詩から、野生の動物の弱肉強食という「構造」を浮かび上がらせ、その「構造」と人間の社会生活を重ね合わせ、「生きる意味」を問う--というのは、どうも違うなあと思う。そういう「意味」はつけようと思えばつけられるのだろうけれど、嘘っぽい。
 もっと違う場所(?--場所と言っていいかどうか、わからない)で何かが動いている。動いているものは、「寓意」にしてしまえない何かで動いている。そんな感じがする。
 これでは抽象的で何も語ったことにならないので、逆な方向から書いてみる。
 私はこの書き出しでは、

耳朶を唇に吸いつけると唾をのみこみながらつぶやいた
ずるずると首がのびて

 この2行に引きつけられた。
 「耳朶を唇を吸いつけると」というのはとても変で、私は、耳朶「に」唇「を」吸いつけるとではないのか、助詞が入れ違っていないか、主語と補語の関係が乱れているのではないか、と思うのだが、そういう疑問は「吸いつく」「(唾を)のみこむ」「つぶやく」という「動詞」のつらなりのなかで消えてしまい、唇と口のまわりで動く、肉体が区切りなく(?)、連続して動いていく感じが、私の「肉体」のなかでも起きると感じる。私の「肉体」は、そういう唇、口の動きを覚えていて、その動きを無意識のうちに再現し、ここは奇妙にリアリティーがあるなあと感じる。動詞にリアリティーがあるから、「耳朶を唇に」か「耳朶に唇を」は気にならなくなる。--を通り越して、倉橋の書いている奇妙な日本語の方が「ほんとう」かもしれないと思ってしまう。
 そして、それに追い打ちをかけるように、「ずるずると首がのびて」。
 幽霊でもないかぎり首はのびたりはしない。でも、のびてもいいかなあ、とも思う。自分の首がのびたということを、私の「肉体」は覚えていないから、その首がのびるという動詞そのものにはリアリティーがないのだが(感じないのだが)、その前の「ずるずる」に納得してしまう。
 「吸いつけ」「飲み込み」「つぶやく」という一連の動詞のなかでは、唇の周辺の「肉体」が「ずるずる」とひきずられ、区切りのないまま動く。ひとつひとつの動詞に「主語」と「目的語(補語)」を結びつけ、明確な文章にすることもできるだろうけれど、そういう面倒なことをしなくても、この一連の「ずるずる(区切りなさ)」ははっきり「わかる」。自分の「肉体」で再現できる。「肉体」は切断するともう肉体ではなくなる。で、そうやって「ずるずる」と切断されずに動くのが「肉体」の特徴なら、「ずるずると首がのびる」も、それでいいじゃないか、と思うのである。「ずるずる」を信じているので、「首がのびる」も信じてしまうのである。

 変だねえ。変だよ、確かに。

 で、その変な感じを抱えながら、私の考えは「飛躍」する。「意味」とはまったく関係ないことを思いはじめる。考えはじめる。
 倉橋は「ずるずる」を書きたかったのだ、と。
 キリンを登場させることで弱肉強食の野生の世界と、人間の競争社会を重ね合わせ、「意味」を語るというよりも、そういうふたつの世界が「ずるずる」と重なる。その「ずるずる感」そのものを書きたかったっじゃないかなあ、と思いはじめる。
 ほんとうは重なるはずのないものが、重なる。「比喩」になる。「寓意」になる。その「比喩」と「寓意」を分析し、「意味」として語り直すことが、たとえば「批評」というものだとすると、倉橋の書いているのは逆のこと。「意味」なんて、考えていない。「意味」なんて、知らない。確かに、そのふたつは重なって見えるかもしれないけれど、それは「意味」を語ってしまうと、逆に分離してしまう。そうではなくて、「結合したまま」(分離できない何か)を書きたいのだ、と思ってしまう。
 つまり「ずるずる」こそがこの詩のなかで倉橋の書きたかったこと。

 で。

 そういう「意味」以外の何かこそが書きたかったこと--という証拠(?)は、たとえば「じゃよ」「じゃった」「んだから」というような「口調」にもあらわれている。
 「口調」というのは「寓意」の「意味」を明確にするとき、ことばから除外されてしまう。けれど、その除外されたものこそが「文体」。ことばの「からだ(肉体)」である。「じゃよ」「じゃった」「んだから」を取り除いてしまえば、そこには「生きている肉体」はなくなってしまう。「肉体」は動けなくなってしまう。
 「意味」は「思想」ではない。
 「意味」でないものこそ「思想」である。「意味」ではないものが、「いのち」が動くことを支えている。「意味」は「肉体」を切り刻んでしまう凶器である。

 などと書いてしまうと、それこそ、それがまた「意味」になって動きだしてしまうというややこしいことが起きるのだが……。まあ、そういう矛盾を抱えながらしか、ことばは動かないものなんだろうなあ、

 と、脱線したが、強引に詩に戻ろう。
 「意味」の否定を、次の部分から、強引に引き出してみよう。

おかげでおまえは父なし児じゃ

 この「おかげ」は誤用だね。「おかげ」というのは誰かの「助け」によって、というのが「意味」なのだけれど、倉橋(おばば?)は、それをねじまげてつかっている。「そのせいで」というかわりに「おかげで」と書いている。
 でも、この「誤用」は、一般に流布もしている。「流通言語」にもなっている。「おかげで、おれは大恥をかいた」とかね。「正しい意味」ではない何かが「ずるずる」と越境して、ことばをねじまげている。
 その「ずるずる」の力--そいういうものが、倉橋の詩にあるなあ。その「ずるずる」の力を、私は、この詩から読んでいるのだなあと思う。

 (あした、また、このつづきを書くかもしれない。)




唐辛子になった赤ん坊
倉橋健一
思潮社
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西脇順三郎の一行(90)

2014-02-15 06:00:00 | 西脇の一行
西脇順三郎の一行(90)

「壌歌 Ⅱ」

あのあつい皮をむくとうち側は                  ( 102ページ)

 西脇の詩の行は一行で完結した「意味」をもたない。西脇の詩の一行は「断片」である。「切断」されている。それは前の行、あるいは次の行とつながって「意味」になることが多いのだが、つなげて「意味」を追っているとき、何か間違っているという感じに襲われる。私が「西脇の一行」という無謀な感想を書きつらねているのは、その「何か間違っている」(意味にしてはいけない)何かを、なんとかつかみ取りたいからである。
 ふつう、ことばは「意味」によって補強される。「意味」がわかると、そこには何らかの「価値」が存在しているように感じてしまう。西脇の一行は、その一行自体を取り上げると説明しにくいのだが、詩をつづけて読んでいると、読む度に一行一行が独立/分離していく感じがする。「意味」をつくりながら、「意味」から離れていこうとしているように感じられる。「意味」から離れてしまうと、ことばというのは頼りなくなるはずなのに、西脇の詩の場合は違う。離れていくことで、全体を「強固」にする感じがある。ぶぶんとしてあまりにも「強さ」をもちすぎているということだろうか。

 あ、抽象的に書きすぎた。

 この行が魅力的なのは、「むく」という動詞が含まれているからである。「あのあつい皮の内側は」と書いても「意味」はかわらない。かわらないけれど、何かが違う。「むく」という動詞がはいり込むと、そこに西脇が動いて見える。皮の内側に何かがあるという「事実」は変わらないのだが、「むくと」という動詞がはいり込むと、「むく」ことによって西脇が「内側」を発見するという動きにかわる。「内側」に何かあるというのは「普遍の事実」ではなくて、「西脇の発見した事実」になる。
 一行のなかに、「肉体」が深く関係している。「肉体」が存在し、動いている。
 「動詞」が含まれないときでも、そこには西脇の「肉体」がある。「肉体」がおぼえていることがある。たとえば「教養」というものもそのひとつかもしれない。「嗜好」というものそのひとつだろう。
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