詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ギオルギ・オバシュビリ監督「とうもろこしの島」(★★★★)

2016-11-13 20:54:33 | 映画
監督 ギオルギ・オバシュビリ 出演 イリアス・サルマン、マリアム・ブトゥリシュビリ

 川を挟んでで戦争がある。川には、春になると中州ができる。雪解け水が肥沃な土を運んでくる。だれのものでもない土地。最初に上陸したものの土地になる。土地をもたない老人がそこでトウモロコシをつくる。
 この過程を、ほとんど台詞なしで描く。
 まず家(小屋)を立てる。古い材木を持ってきて、四角く囲む。内側に穴を掘る。柱を立てる。立方体の骨組みをつくる。古い木材は、以前小屋だったらしい。収穫が終われば小屋を解体し、必要になればまた組み立てる。繰り返しの「過去」が感じられる。小屋を造る無駄のない動き、老人の肉体がそう感じさせる。これが、とてもおもしろい。まるで季節の変化のように、自然で、確実なのである。美しい。
 この作業に少女が加わる。老人の孫らしい。少女が加わっても、映画の描き方はかわらない。会話はない。働いて、休んで(いっしょに、四角く囲った大地に寝ころんで)、起きてまた働く。川魚を取って、焼いて食べる。保存食の干物をつくる。
 小屋が完成すると、大地を耕す。スコップで、老人が黙々と畑をつくる。種をまく。水をやる。芽が出てくる。大きくなって、実を結ぶのを待つ。老人と少女の暮らしは、それだけで終わるはずだった。
 しかし、まわりで戦争が起きているので、淡々とした繰り返しだけではすまない。ある日、島へ敵の兵士が逃げ込んでくる。傷ついている。老人は兵士を匿う。傷を治してやる。味方の兵士がやってきて問う。「傷ついた敵の兵士をみなかったか」。「見なかった」。老人は嘘をつく。老人にとって、戦争はどうでもいい。生きて、食べて、生き続けることだけが大事なのだ。少女に両親はいない。戦争で死んだのかもしれない。そういうこともあって、敵、味方のどちらに与するかということよりも、生きている人を助けるということだけを考えるのだろう。
 傷ついた兵士に少女が恋をする。ことばは互いにわからない。しかし、青年と思春期の少女。若い男女に、ことばはいらない。見つめ合えばわかる。トウモロコシ畑のなかで追いかけっこをし、川(水)のなかで追いかけっこをする。老人が叱る。やがて、兵士は島を出て行く。
 この伏線として、敵の兵士が川岸から少女に、「遊ぼうよ」と声をかけるというシーン、さらに味方の兵士がボートで巡回していくとき少女をじっと見つめる。見つめる視線に少女が気づくというシーンがある。ひとり夜更けに川に入り、体を洗うシーンもある。少女は少女の「肉体」のなかで動き始めている力を抑えきれない。トウモロコシが日の光を浴びて実るのと同じように、少女の肉体も実り始めている。
 小さな曲折はあるが、トウモロコシは順調に育つ。あとは収穫をするだけ。そう思っていると、突然、嵐が襲ってくる。大雨である。堤防をつくる。間に合わない。できるだけ刈り取ってポートに積む。やはり間に合わない。老人は少女をボートに乗せ、自分も乗ろうとする。けれど乗れない。激流がボートを攫っていく。老人は小屋にすがりつく。小屋は水に押しつぶされ、流される。老人は、小屋といっしょに流されてしまう。
 嵐の後、味方の兵士がやってくる。老人が最初に上陸したときのように、中州は更地である。トウモロコシも小屋もない。兵士がやわらかな土に触れ、指で掘ってみる。少女が持っていた人形が出てくる。
 ここで終わる。
 何を描いていたのか。自然の残酷さか。あわれな老人と少女か。戦争の悲劇か。しかし、戦争がなくても、老人と少女は洪水に飲み込まれたかもしれない。だから、戦争を告発していると、簡単に言ってしまうこともできない。
 逆のことは言える。老人と少女は死んでしまう。けれど、二人が死んでも、二人が暮らしていた時間を私は忘れることができない。ここに住むのだ、家を建て、畑を耕し生きていくのだと決意し、淡々と動く肉体。老人なのに鍛えられた動き。繰り返しがつくりあげた肉体のリズム。魚を獲って、捌いて、焼いて、ひものもつくる。太陽の光がふりそそぐ大地に寝そべって、眠って、また働く。そうしていたときの、ふたりの輝きを忘れることができない。少女が若い兵士に声をかけられ、少女の肉体のなかでなにかが動く。それが傷ついた兵士と接したとき、恋になって暴れ出す。その瞬間の、弾ける輝き。それが忘れられない。
 生きている人は輝く。生きて、人は輝く。それが主題だと私は思う。
 その輝きが強いためだろうか。不思議なことに、この映画は私の記憶のなかでモノクロになっている。カラーだったはずだが、どのシーンもまぶしい光を放っていて、色は光の背後に消えてしまっている。
 「みかんの丘」も同時上映されていたのだが、見逃してしまった。
                        (中州大洋3、2016年11月09日)

 *

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千人のオフィーリア(メモ15)

2016-11-13 08:49:41 | オフィーリア2016
千人のオフィーリア(メモ15)

オフィーリアをのぞきこむオフィーリア、
オフィーリアをのぞきこむオフィーリアを見上げるオフィーリア、
橋の上、橋の下、鏡の前、鏡の中、
見られるオフィーリアは見るオフィリーの何でできている?
見るオフィーリアは見られるオフィーリアの何でできている?

九番目の爪。ベッドで聞いた雨音。瓶。のち、西の風。
角を曲がるまで。男がおんなにしたことのすべて。嘘。
日食。五月の木漏れ日は三日月の形。ラフランスの味。
何か言った? 取り上げられなかった赤子。の膝の裏。
砕かれて。な忘れそ。作り話。ぺちゃくちゃ。青い水。
すれ違った女は私より美しい。敷石。枯れ葉の穴から。
知らないわ。つぼみ。ペルシャのズボンを履いたゆめ。
おのまとぺ。まるで、あれみたい。もう一度。な匂い。
悪い道。蝋。消えない香水。去勢されたくすくす笑い。

はるかな高み、銀河を流れていく五百九十二人目のオフィーリアよ、
私だけに教えて。オフィーリアの何でできている?




*

詩集「改行」(2016年09月25日発行)、残部僅少。
1000円(送料込み/料金後払い)。
yachisyuso@gmail.com
までご連絡ください。
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