渡会やよひ「水の位相」、高橋優子「隠されたとき」(「POIAAON」41、2016年11月発行)
渡会やよひ「水の位相」は静かな詩である。
三行目「病棟であれば空耳も目覚めの理由にはなる」。自己を見つめ返す視線が「静さ」の理由かもしれない。現象を(対象を)見つめる。現象に感覚をとぎすますだけではなく、現象のなかに自分を組み込む。理性の力。
六行目「透きとおりながら」という一行は、「制服の後ろ姿」と書かれているにもかかわらず、詩人の「後ろ姿」にも見えてくる。自分の姿として見ているように感じられる。
他者と自己が対立しない。ざわつかない。静かである。
四行目の「風に震える羽が同じ方向を向いていて」が強い。旅のことなのに、旅行記らしい感じはない。対象を見つめるのではなく、どこでも自分を見つめるのだろう。自分に忠実な人柄が、「名所」ではないところに視線を引っぱっていく。
蝶を見つける。見る。「同じ方向を向いていて」を発見するとき、渡会は蝶になって同じ方向を向いている。同じ方向の先に、そこにはない「死に水」が「見える」。目は「陽光にあたると翠と青にきらめいた」を見ているが、それを突き破って「同じ方向」の「先」が見える。「死に水」という「意識」が見える。
「意識」とは、常に自分自身のものである。他人の意識がどう動いているか想像するときも、ほんとうに動いているのは想像する人の意識であって、他人の意識ではない。
渡会は、そう感じているのだろう。
*
高橋優子「隠されたとき」は少しやかましい。
「縫合」ということばが象徴的である。縫い合わせる。ふたつのものを「ひとつ」にする。月と私。赤と血。それぞれは「濃密」な存在である。言い換えると「別個」の存在である。決して融合はしない。「滲み透る」「滲み入る」と書きながらも、それを「縫合されていくように」と別の比喩で言いなおさないと落ち着かない。
渡会は対象と「融合」する。しかし、高橋は対象を「縫合」する、と言える。
「私をみつめ返す」。対象はあくまで「私」と向き合っている。「対話」がいつもある。渡会は対象を取り込み、渡会の内部で対話するのに対し、高橋は外部の存在と対話する、と言い換えることができる。
渡会やよひ「水の位相」は静かな詩である。
薄明の静寂の中で声が聞こえた
「水はいりませんか」
病棟であれば空耳も目覚めの理由にはなる
消え入りそうな声の方に目をやると
セミの羽のようなうすみどりの制服の後ろ姿が
透きとおりながら
仄暗い廊下を移動していくところだった
三行目「病棟であれば空耳も目覚めの理由にはなる」。自己を見つめ返す視線が「静さ」の理由かもしれない。現象を(対象を)見つめる。現象に感覚をとぎすますだけではなく、現象のなかに自分を組み込む。理性の力。
六行目「透きとおりながら」という一行は、「制服の後ろ姿」と書かれているにもかかわらず、詩人の「後ろ姿」にも見えてくる。自分の姿として見ているように感じられる。
他者と自己が対立しない。ざわつかない。静かである。
南の島へ短い旅をしたとき
駐車場から少しはずれた空き地に水たまりがあり
たくさんのアオスジアゲハが水を飲んでいた
風に震える羽が同じ方向を向いていて
陽光に当たると翠と青にきらめいた
あのときなぜ「死に水」という言葉を思い出したのだろう
あれから親しいひとを幾人も失ったが
「死に水」という頑是ない言葉はいまだ蝶のものである
四行目の「風に震える羽が同じ方向を向いていて」が強い。旅のことなのに、旅行記らしい感じはない。対象を見つめるのではなく、どこでも自分を見つめるのだろう。自分に忠実な人柄が、「名所」ではないところに視線を引っぱっていく。
蝶を見つける。見る。「同じ方向を向いていて」を発見するとき、渡会は蝶になって同じ方向を向いている。同じ方向の先に、そこにはない「死に水」が「見える」。目は「陽光にあたると翠と青にきらめいた」を見ているが、それを突き破って「同じ方向」の「先」が見える。「死に水」という「意識」が見える。
「意識」とは、常に自分自身のものである。他人の意識がどう動いているか想像するときも、ほんとうに動いているのは想像する人の意識であって、他人の意識ではない。
渡会は、そう感じているのだろう。
*
高橋優子「隠されたとき」は少しやかましい。
地表ちかく
赤みをおびた満月が輝き
その微塵も疑いのない濃密な光のしたたりに
やがてはこの輝きに浸れぬときを
ふっと思う
輝きやめない光に 隠されたとき
だからいっそう
血の色を溶かした月に 浸る
仄温かい背に 月の影が滲み透るまで
ちょうど大切なものが 傷となって滲み入り
そのまま縫合されてゆくように
「縫合」ということばが象徴的である。縫い合わせる。ふたつのものを「ひとつ」にする。月と私。赤と血。それぞれは「濃密」な存在である。言い換えると「別個」の存在である。決して融合はしない。「滲み透る」「滲み入る」と書きながらも、それを「縫合されていくように」と別の比喩で言いなおさないと落ち着かない。
渡会は対象と「融合」する。しかし、高橋は対象を「縫合」する、と言える。
だが 夢のなかまでも
時は深い淵となって 暗緑の水をたたえ
底もなく 揺れうごく月を輝き映して
私をみつめ返すのだった
「私をみつめ返す」。対象はあくまで「私」と向き合っている。「対話」がいつもある。渡会は対象を取り込み、渡会の内部で対話するのに対し、高橋は外部の存在と対話する、と言い換えることができる。
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