詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

江里昭彦「「琉球新報」を講読することにした」ほか

2016-11-28 10:24:47 | 詩(雑誌・同人誌)
江里昭彦「「琉球新報」を講読することにした」ほか

 江里昭彦「「琉球新報」を講読することにした」(「左庭」、2016年11月10日発行)。江里は山口県に住んでいる。郵便で「琉球新報」を取り寄せて読んでいる。
 高江の住民と機動隊員との衝突が報道されている。

琉球新報は地元紙として、政府の強権姿勢が露骨にあらわれたこの問題を、逐一報道することを使命と心得ており、連日現地からレポートを発信している。記事は、その日の抗争の規模や深刻さに応じて、大きくなったり、小さく扱われたり、伸縮をくりかえす。

 江里の感想を読み、うなった。「大きくなったり、小さく扱われたり」を「伸縮をくりかえす」と言いなおしている。「大きくなったり、小さく扱われたりする」では言い足りない何かが江里の肉体の中で動いたのだ。
 「一歩進んで二歩下がる」「一歩下がって二歩進む」。「くりかえす」には「へこたれない力」がある。そこに共感している。いっしょに「生きている」感じがする。いっしょに生きようとする気持ちが琉球新報を講読するという形で動いているだが、それが「ことば」となって出てきている。
 「いっしょに生きる」と、自然にいろいろなものが見えてくる。高江の問題以外のものも見えてくる。「政治」以外のもの、くらしそのものが見えてくる。
 一面に「第6回世界ウチナーンチュ大会」の囲み記事がある。

気運を盛りあげるためか、上記の囲みは参加予定者の小さい顔写真を毎日載せる。ある日は、氏名と「県系4世、ペルー」の紹介のものに、眼鏡をかけた若い男性の笑顔。<県系>の語に、私の目は釘づけになる。

 私も「県系」ということばにびっくりした。「日系」という大雑把な言い方を沖縄の人はしないのだ。
 これについて、「日系人の中には自分の出身都道府県がどこか答えられない人が多い」という声を紹介した後、江里はこう書いている。

自分のルーツへの関心と情感を保ち続ける沖縄系移民と、移民とのつながりを強固にしようとする県の戦略に、私などは感嘆の念を禁じ得ない。うっかりしていた、侮れない、という思いととともに--。

 沖縄は「日本政府」にだけ目を向けているわけではない。まず自分が暮らしている「琉球」に目を向けている。「琉球」から「世界」を見ている、ということだろう。「世界」とは「ひとが生きている場」である。「政府」ではなく「ひと」とつながる。
 それは琉球新報が「中国時報(台湾)」の記事を紹介したり、東京新聞の記事を転載して、読者の視点を広げていることとつながる。自分の生きている「文化圏・生活圏」(台湾は東京よりも近い)に目を向け、同時に遠い東京での「ひと」の生き方にも目を向ける。山谷の無縁仏の墓や無料診療所を巡るツアーが紹介されている。
 大事なのは「ひと」と「ひと」のつながり。
 それは死亡広告にもあらわれている。

那覇市の八十七歳で没した男性の場合、「喪主妻」の下に氏名が記載されている。その次に、長男、長女、婿、二女、三女、婿と、親族上の呼称と氏名がつづく。(略)故人の子の世代が済むと、「孫」としてまた氏名が列挙される。(略)沖縄は長寿県だから、その後に「曾孫」がつづくことが多い。(略)義兄やら義姉やら義妹やらも参入して名を連ねるのが当地のしきたりらしい。なかには「在ハワイ」「在ブラジル」などの海外組もいる。

 ここでも「ひと」のつながりは「国境」を軽々と越える。「ひと」は政府が設けた「国境」など気にしない。
 これを江里は「しきたり」とつかみとっている。「しきたり」の定義はむずかしいが、「生き方」であり、「肉体」の動かし方だろう。「肉体」と「肉体」のぶつけ合い方だろう。抽象的な概念ではない。「膝をつきあわせる」という言い方があるが、このときの「膝のつきあわせ方」にはルールがある。圧迫になってはいけない。離れてもいけない。それは「肉体」で覚え込むものである。

 ここから、私は、高江の問題に引き返す。江里は書いていないのだが、私は勝手に考える。
 琉球の人たちは、琉球ルールで「膝のつきあわせ方」をしている。けれど政府によって派遣された機動隊員は「膝のつきあわせ方」を知らない。琉球の生き方を知らない。「ひとの生き方」を知らない。
 座り込んでいる人たちは、自分の隣にいる人がだれかを知っている。家族が何人かを知っている。誰が親類かも知っている。だから「信頼」して「肉体」を寄せ合い、互いの「肉体」を結びつけることで、互いを守ろる。
 機動隊員が断ち切ろうとしているのは、このひととひととのつながり、信頼、「肉体」を寄せ合って生きるという生き方(思想)なのである。
 「国防」(国を守る)ということは、そこに生きるひとを守ること。そこに生きているひとの「生き方」を守ることなのに、政府と機動隊員は、守ろうとはしていない。破壊しようとしている。この破壊活動は、沖縄を破壊した後は、日本全土に広がる。あらゆるひととひとのつながりは否定される。「国(国家)=自民党=大企業」の「利益」を生み出すために、個人個人(ひとりひとり)の生き方が破壊される。
 高江は、私たちの「生き方」の重要な防波堤なのだ。
 高江で起きている権力の暴力は、そのまま日本全体に広がる。ひととひととのつながりを大切にしようとする「生き方」すべてを破壊する方向に拡大するにちがいない。
 琉球の人は、そう私たちに「警告」している。高江の行動/記事でもそうだが、高江以外の行動/生き方を伝える記事をとおしても。



 鈴木崇「ライフログとしての日記文学」(「Tokyo Rose」4、2016年08月10日発行)は、永井荷風、岸田劉生、武田百合子の日記について書いたもの。

かつて彼らがそこにいたということがありありと感じられる--過去の一点がもつそんな「いま・ここ」性に触れてみるのも悪くない。

 鈴木が書いている「過去」を「沖縄・高江」に置き換え、「いま・ここ」の「ここ」を現実の奥底と読み変えると、江里の書いた文章になる。
 江里は高江の衝突にはあまり触れず、そこに参加している「ひと」そのものが高江以外の場でどんなふうにつながっているかを見えるようにしてくれた。そして、その江里が明るみに出したものこそ、高江の破壊から始まると教えてくれた。
 鈴木の書いている文章から、そういうもの紹介するなら、岸田の日記に触れた部分がわかりやすいかもしれない。岸田は相撲が大好きである。見るではなく、来客相手に相撲を取るのだ。

「夕方、山岸、小林を相手に角力とり、五人ぬきをやった(略)。たたみいわしを売るおやじが感心してみていた。」(大正11年8月19日)
 大真面目ゆえのユーモアが「劉生日記」の特徴でもあるのだが、頻出する相撲の記述もそのような可笑しみの一端を担っている。通りがかりの行商人でなくても、劉生の生活に感心して眺め入ってしまう。

 「生活」とは「生き方」である。相撲をとりながらひとの「肉体」の動き方園も木に触れる。「膝のつきあわせ方」と同じように、そこには「相撲のとり方」というものがある。何をしてもいいのではない。だから、そこに「思想」がある。「思想」には見えないかもしれないけれど、思想である。ひとは思想に感心する。思想を「人柄」と言い換えるとわかりやすい。たたみいわしを売るおやじは、劉生の強さに感心するというよりも、相撲を取って楽しんでいる人柄(思想)の方にみとれたのだろう。そこにはひとを傷つける「危険」はひとつもない。だからひとをうれしい気持ちにさせる。ひとに喜びを与える思想よりいい思想なんてない。
ロマンチック・ラブ・イデオロギー―江里昭彦句集
江里 昭彦
弘栄堂書店
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