詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

テイト・テイラー監督「ガール・オン・ザ・トレイン」(★)

2016-11-20 20:20:52 | 映画
監督 テイト・テイラー 出演 エミリー・ブラント、レベッカ・ファーガソン、ヘイリー・ベネット、ジャスティン・セロー 

 私は「衝撃の結末」という映画が嫌い。「衝撃の結末」にはふたつのパターンがある。最初からわかるのと、途中でわかるのと。そして、途中でわかるものの方が、はるかに始末が悪い。「どんでん返し」ではないからだ。安っぽい「推理」だからである。
 この作品は、途中でわかる。
 昔、テレビで「刑事者」が流行った。ほとんどが途中で「犯人」がわかる。始まって五分でわかるものもある。学生時代、いっしょにテレビを見ていた友人が「どうしてわかる?」と聞いた。「いちばん怪しくない人間が犯人。怪しくないから最後まで登場する」。
 この作品にあてはまる。
 三人女が出てくる。主人公(エミリー・ブラント)は子供に恵まれていない。もうひとり(レベッカ・ファーガソン)は子供がいる。彼女はエミリー・ブラントと別れた夫と結婚している。もうひとり(ジャスティン・セロー)はベビーシッター。彼女が殺人の被害者。(容疑者は何人か出てくる。)
 この場合、キーワードは「子供」、赤ちゃん、である。
 で、被害者のジャスティン・セローが、途中で妊娠していたことがわかる。もう、それだけでだれが「犯人」かわかるのだが、これを「ストーリー」だけではなく、「演技」でも見せてしまう。
 ジャスティン・セローが妊娠していたと知って、周囲のひとは驚く。だが、会話がやりとりされている「場」で、ひとりだけ驚かない人間がいる。「犯人」である。。なぜ、驚かないか。知っているからである。
 問題は、「嘘」をどう処理するかだなあ。知っているから驚かない、というのは確かにそうなのだが、これがあからさまだと「犯人」がばれてしまう。(映画は「あからさま」に「驚かない」人間を映し出している。)かといって、ここでその人物まで驚いてしまうと、妊娠がわかっているのになぜ驚く? 嘘にならないか、という問題が生じる。鉛毒は観客には嘘をつかないという方法を選んでいるのだが……。
 この観客に嘘をつかず、観客が気づかないことに期待して映画を組み立てるという方法は、うーん、どういうものかなあ。私は感心しない。
 冒頭、通勤電車のなかから、住宅街を見つめ、ひとびとの暮らしを妄想するというおもしろいシーンから始まるのだが、その妄想が暴走して、そこにない住宅街、そこに存在しない夫婦という具合に広がって行った方がおもしろいのでは、と思った。犯人探しよりも、犯人が妄想の中でわからなくなるという方が(未解決のまま終わる方が)、映画としておもしろいものができるのでは、と思った。

 エミリー・ブラントの顔も嫌いだなあ。心理的に追いつめられていく女というのは「美人」でないとおもしろくない。「事実」を見失いかわいそう、はらはらどきどきする、というのはイングリット・バーグマンのような美女じゃないとおもしろくない。かわいそう、でも、もっと苦しむ顔をみたい。だから、もっともっといじめてみたいという欲望をそそる女優が演じると、「ストーリー」を追うことを忘れる。「推理する」ことを忘れ、「生身」の人間にふれる感じがする。「結末(結論)」よりも、いま、そこにある「肉体(美人)」に夢中になるとき、「推理映画」は完璧になる。この映画は、その基本のキを踏み外している。
                   (天神東宝スクリーン2、2016年11月20日)



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エドワード・ズウィック監督「ジャック・リーチャー」(★)

2016-11-20 10:00:01 | 映画
監督 エドワード・ズウィック 出演 トム・クルーズ、コビー・スマルダース

 トム・クルーズは、この映画では「ミッション・インポッシブル」のような超人的なアクロバットはしない。そのかわりに、「娘」を気づかうという「ふつうの人」の感情を動かす。
 でもねえ。
 無知な(?)娘に行動をひっかきまわされる。つまり、そのために予想外のトラブルが起きる、といっても「想定内」。それに機転(?)をきかせて、スリをしたり、置き引きをしたり、あげくにはドラッグ中毒者がたむろする場所をさぐりにゆくなんてことをしてしまう娘が、腹が減ったからといって盗んだカードでピザの出前を取るかね。カードをつかえば、場所が特定されてしまうくらい想像できそうなのに。それにカーニバルの人込みに逃げ込むなら、カーニバルの格好をして群衆に溶け込むのが一番いい方法だろう。人込みに逆らって走れば目立つだけ。まあ、矛盾しているのが無知な「若者」らしいのかもしれないけれど。
 であるなら。
 「盗んだカードをつかうな、追跡される」くらいのことは前もって注意すべきだろうなあ。一回つかったら、捨ててしまうのが、そういう世界の常識ではないだろうか。あのシーンは気配りがなさ過ぎてばかばかしい。ストーリーのためのストーリーの典型。
 というようなことが気になり、どうもね。
 また。
 組織が権力を持つと腐敗する。トップほど腐敗し、腐敗しないのはアウトロー(トム・クルーズ)か、アフリカ系か、女性か、(つまり、マイナーか)、というのも、いまとなっては「ありきたり」。フェミニストに叱られるかもしれないが、「女性は純粋で正しい」という発想そのものが、私には古くさく感じられる。
 アメリカではヒラリー・クリントンの「蓄財」がうさんくさいと批判を浴びているし、日本だって稲田なん安倍そっくり。「戦争は精神を浄化する」というようなことを平気で言う。兵器産業の株が上がるように、自衛隊を海外に派遣し、武器をどんどんつかわせる。自分さえ金儲けができればいい、としか考えていない。きっと「若者の精神を戦場で浄化させるよう指揮する私(稲田)の精神は、精神の浄化を推進しているのだから、とても崇高な精神である」と自分勝手に陶酔しているんだろうなあ。
 若い女性が「神話」になれたのは、ジョディー・フォスターの「羊たちの沈黙」までだね。
 未開拓の分野は、女性が組織の「悪玉」だった、というストーリーかなあ。母の情も捨てて(母性本能も捨てて)、子供を利用して、不正な蓄財をするという組織の女性権力者を描かないと、ほんとうの「男女平等」とは言えない、ときょうは書いておこう。
 だって、つまんないよ、この映画。新しいところが全然ない。過去へ回帰しただけ。
                   (天神東宝スクリーン3、2016年11月13日)

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千人のオフィーリア(メモ18)

2016-11-20 00:46:38 | オフィーリア2016
千人のオフィーリア(メモ18)

狭い通りでわざと肩をぶつけ合う男同士が
けんか相手を確かめるみたいに明かりの下に引っぱりだして。
キスして。ツラトゥストラみたいに荒々しく、
汚いことばをわめいた舌で私の裏側をひっかき回して。

毛むくじゃらの手が私の尻をつかむのを
街灯がスポットライトのように照らすでしょう。
私には見えるわ。

そのまま引き寄せて。
ズボン越しでも子宮に届くくらいに
あなたの愛を勃起させて。
その曲がり角で。




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詩集「改行」(2016年09月25日発行)、残部僅少。
1000円(送料込み/料金後払い)。
yachisyuso@gmail.com
までご連絡ください。
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