監督 テイト・テイラー 出演 エミリー・ブラント、レベッカ・ファーガソン、ヘイリー・ベネット、ジャスティン・セロー
私は「衝撃の結末」という映画が嫌い。「衝撃の結末」にはふたつのパターンがある。最初からわかるのと、途中でわかるのと。そして、途中でわかるものの方が、はるかに始末が悪い。「どんでん返し」ではないからだ。安っぽい「推理」だからである。
この作品は、途中でわかる。
昔、テレビで「刑事者」が流行った。ほとんどが途中で「犯人」がわかる。始まって五分でわかるものもある。学生時代、いっしょにテレビを見ていた友人が「どうしてわかる?」と聞いた。「いちばん怪しくない人間が犯人。怪しくないから最後まで登場する」。
この作品にあてはまる。
三人女が出てくる。主人公(エミリー・ブラント)は子供に恵まれていない。もうひとり(レベッカ・ファーガソン)は子供がいる。彼女はエミリー・ブラントと別れた夫と結婚している。もうひとり(ジャスティン・セロー)はベビーシッター。彼女が殺人の被害者。(容疑者は何人か出てくる。)
この場合、キーワードは「子供」、赤ちゃん、である。
で、被害者のジャスティン・セローが、途中で妊娠していたことがわかる。もう、それだけでだれが「犯人」かわかるのだが、これを「ストーリー」だけではなく、「演技」でも見せてしまう。
ジャスティン・セローが妊娠していたと知って、周囲のひとは驚く。だが、会話がやりとりされている「場」で、ひとりだけ驚かない人間がいる。「犯人」である。。なぜ、驚かないか。知っているからである。
問題は、「嘘」をどう処理するかだなあ。知っているから驚かない、というのは確かにそうなのだが、これがあからさまだと「犯人」がばれてしまう。(映画は「あからさま」に「驚かない」人間を映し出している。)かといって、ここでその人物まで驚いてしまうと、妊娠がわかっているのになぜ驚く? 嘘にならないか、という問題が生じる。鉛毒は観客には嘘をつかないという方法を選んでいるのだが……。
この観客に嘘をつかず、観客が気づかないことに期待して映画を組み立てるという方法は、うーん、どういうものかなあ。私は感心しない。
冒頭、通勤電車のなかから、住宅街を見つめ、ひとびとの暮らしを妄想するというおもしろいシーンから始まるのだが、その妄想が暴走して、そこにない住宅街、そこに存在しない夫婦という具合に広がって行った方がおもしろいのでは、と思った。犯人探しよりも、犯人が妄想の中でわからなくなるという方が(未解決のまま終わる方が)、映画としておもしろいものができるのでは、と思った。
エミリー・ブラントの顔も嫌いだなあ。心理的に追いつめられていく女というのは「美人」でないとおもしろくない。「事実」を見失いかわいそう、はらはらどきどきする、というのはイングリット・バーグマンのような美女じゃないとおもしろくない。かわいそう、でも、もっと苦しむ顔をみたい。だから、もっともっといじめてみたいという欲望をそそる女優が演じると、「ストーリー」を追うことを忘れる。「推理する」ことを忘れ、「生身」の人間にふれる感じがする。「結末(結論)」よりも、いま、そこにある「肉体(美人)」に夢中になるとき、「推理映画」は完璧になる。この映画は、その基本のキを踏み外している。
(天神東宝スクリーン2、2016年11月20日)
*
「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/
私は「衝撃の結末」という映画が嫌い。「衝撃の結末」にはふたつのパターンがある。最初からわかるのと、途中でわかるのと。そして、途中でわかるものの方が、はるかに始末が悪い。「どんでん返し」ではないからだ。安っぽい「推理」だからである。
この作品は、途中でわかる。
昔、テレビで「刑事者」が流行った。ほとんどが途中で「犯人」がわかる。始まって五分でわかるものもある。学生時代、いっしょにテレビを見ていた友人が「どうしてわかる?」と聞いた。「いちばん怪しくない人間が犯人。怪しくないから最後まで登場する」。
この作品にあてはまる。
三人女が出てくる。主人公(エミリー・ブラント)は子供に恵まれていない。もうひとり(レベッカ・ファーガソン)は子供がいる。彼女はエミリー・ブラントと別れた夫と結婚している。もうひとり(ジャスティン・セロー)はベビーシッター。彼女が殺人の被害者。(容疑者は何人か出てくる。)
この場合、キーワードは「子供」、赤ちゃん、である。
で、被害者のジャスティン・セローが、途中で妊娠していたことがわかる。もう、それだけでだれが「犯人」かわかるのだが、これを「ストーリー」だけではなく、「演技」でも見せてしまう。
ジャスティン・セローが妊娠していたと知って、周囲のひとは驚く。だが、会話がやりとりされている「場」で、ひとりだけ驚かない人間がいる。「犯人」である。。なぜ、驚かないか。知っているからである。
問題は、「嘘」をどう処理するかだなあ。知っているから驚かない、というのは確かにそうなのだが、これがあからさまだと「犯人」がばれてしまう。(映画は「あからさま」に「驚かない」人間を映し出している。)かといって、ここでその人物まで驚いてしまうと、妊娠がわかっているのになぜ驚く? 嘘にならないか、という問題が生じる。鉛毒は観客には嘘をつかないという方法を選んでいるのだが……。
この観客に嘘をつかず、観客が気づかないことに期待して映画を組み立てるという方法は、うーん、どういうものかなあ。私は感心しない。
冒頭、通勤電車のなかから、住宅街を見つめ、ひとびとの暮らしを妄想するというおもしろいシーンから始まるのだが、その妄想が暴走して、そこにない住宅街、そこに存在しない夫婦という具合に広がって行った方がおもしろいのでは、と思った。犯人探しよりも、犯人が妄想の中でわからなくなるという方が(未解決のまま終わる方が)、映画としておもしろいものができるのでは、と思った。
エミリー・ブラントの顔も嫌いだなあ。心理的に追いつめられていく女というのは「美人」でないとおもしろくない。「事実」を見失いかわいそう、はらはらどきどきする、というのはイングリット・バーグマンのような美女じゃないとおもしろくない。かわいそう、でも、もっと苦しむ顔をみたい。だから、もっともっといじめてみたいという欲望をそそる女優が演じると、「ストーリー」を追うことを忘れる。「推理する」ことを忘れ、「生身」の人間にふれる感じがする。「結末(結論)」よりも、いま、そこにある「肉体(美人)」に夢中になるとき、「推理映画」は完璧になる。この映画は、その基本のキを踏み外している。
(天神東宝スクリーン2、2016年11月20日)
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