詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

一代限りの特別法は大嘘

2017-01-10 23:11:11 | 自民党憲法改正草案を読む
一代限りの特別法は大嘘
               自民党憲法改正草案を読む/番外63(情報の読み方)

 2017年01月10日毎日新聞夕刊(西部版・4版)は1面に、次の見出し。

19年元日に新元号/国民生活 影響避け/退位関連法案 今春以降提出

 産経新聞の特報の後追い記事らしい。(産経新聞を私は読んでいない。)記事はこう書かれている。

 政府は2019(平成31)年1月1日に皇太子さまが天皇に即位し、同日から新元号とする検討に入った。国民生活への影響を避けるため、新元号は元日から始めるのが望ましいと判断した。天皇陛下が昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明した際に「平成30年」に言及したことや、即位に伴う儀式などの準備に要する期間も考慮した。政府は退位に関する関連法案を今春以降、国会に提出する。

 「国民生活への影響を避けるため、新元号は元日から始めるのが望ましいと判断した」というのは「もっともらしい」ことばだが、非常にうさんくさい。
 これを「前例」にすると、政府がこれまで言っていた天皇の生前退位は「一代限りの特例法」というあり方があいまいになる。むしろ、私が何度も書いたように天皇の「生前退位」の制度化、摂政の設置をもくろむ安倍の意図が露骨に出てきたと見るべきだろう。
 なぜ、私はそう考えるか。
 「国民生活への影響を避けるため、新元号は元日から始めるのが望ましい」というのなら、次の「元号の変わる日」も「元日」が望ましいということになる。いったん「元号」の変わる日を「元日」と決めてしまえば、それを踏襲する方が「国民生活への影響」が少ないということになる。
 「平成31年」の「次の次の元号」が天皇が死んでから決めるというのでは、いまのような、「何日から新元号」なのかわからない状態にもどってしまう。これはいったん「1月1日」が元号の始まりという制度になじんだものにとっては、とても不便だろう。
 それを「口実」に安倍は、次も、さらにその次も「元号の変わり目は1月1日」を前提にして、天皇の退位をせまるということが起きるはずである。

 「国民生活への影響を避けるため」というのは、聞こえはいいが、これは安倍の「天皇を自在に退位させる」という口実になるだけである。だいたい、いつを元号の変わり目にするか決めるということは「一代限り」の問題ではなく、すでに「二代」にわたっている。ここに、安倍の大嘘があるのだが、これをもう少し別の視点から補足する。
 「国民生活への影響を避けるため」に似た表現は、8月の天皇の「おことば」のなかにもある。私は8月の「おことば」を天皇の自発的な発言とは受け止めていない。安倍と籾井NHKによって「生前退位の意向」のスクープが仕組まれ、さらに「発言」を強要されたものだと受け止めている。その「証拠」と言えるのが、次の部分である。今回の「国民生活への影響を避けるため」に類似した表現は、こうつかわれている。

天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。

 「国民の暮らしにも様々な影響が及ぶ」と「国民生活への影響を避けるため」には共通する部分がある。
 そして、何よりも重要なのは、このとき、天皇は「懸念します」ではなく「懸念されます」と「婉曲」に表現していることである。
 何度も書くが、8月の「おことば」には不自然な「婉曲表現」がほかにも、「思われます」「考えられます」がある。天皇がなぜ「婉曲表現」をつかっているのか。それは、その部分に語られていることが天皇の思いではなく、安倍の思いだからだろう。

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。

 特に、「摂政」についての部分に注目したい。「天皇の行為を代行する摂政を置くこと」を「考え」たのは安倍である。それに対して天皇は摂政では駄目だと反論した。そういう経緯はすでに新聞などで報道されている。安倍は摂政の設置を考えたが、天皇は考えなかったという「交渉経過」がそこには隠されている。

 「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶ」というのは昭和天皇が死んだときの前後のことを語っているようだが、ほんとうに影響したかどうか、私は怪しんでいる。
 昭和天皇が死んだ日のことを思い出してみるといい。テレビが昭和天皇のニュースばかりになったので、国民の多くはビデオ屋へ走った。どのビデオ屋も在庫がなくなるくらいにビデオが貸し出された。みんな退屈し、ビデオを見ることで時間をつぶしたのである。いちばん大きな「影響」は、そういうものだった。ビデオ屋がいちばんもうかった。

 天皇に、こんなことを言わせるのは、安倍が「経済」だけを国のあり方だと考えているからだ。
 自民党憲法改正草案の前文に、こう書いてある。

我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。

 安倍は「国民生活への影響」ではなく「経済活動への影響」を考え、それですべてを押し切ろうとしている。金さえもうかれば、それでいい。自民党に企業が献金してくれればそれだけでいいとしか考えていない。

 安倍はいったい何を考えているのか。「妄想」ついでに、さらに私の「妄想」をもっと書いておこう。
 「元号」を「1月1日で変える」という方針で、今後の天皇の「交代」を進める。皇太子には男子のこども(次期皇太子)がいないという問題がある。雅子の健康状態や、愛子の問題もある。秋篠宮には男子のこどもがいる。皇位継承権を持っている。皇太子を「天皇」にしたあと、秋篠宮を「皇太子待遇」にする。(これはすでに報道されている。)皇太子の「天皇在位期間」はすでに決まっているのだろう。秋篠宮の「天皇在位期間」、悠仁の「摂政在位期間」というのも決まっている。そういう「日程」を想定しての動きが、もう始まっていると見るべきだろう。そして、その「日程表」の「口実」に「国民生活への影響」が利用されている。

 ちょっと振り返ってみればいい。昭和から平成に元号がかわって、そのことで大変な苦労をしたという国民がいるだろうか。年齢の数え方がわからなくなったとか、免許証の切替日を間違えたとか、パソコンのデータが消えたとか。
 1月1日で元号が変われば、なんとなく「わかりやすい」感じがするだけで、そんなものは国民生活とは実質的に関係がない。
 「国民生活への配慮」のよう「美しいことば」には嘘が隠されている。見逃してはならない。

 もうひとつ。(風邪で体調が悪いので書きそびれていたが。きょうも書かずに寝るつもりでいたのだが。)
 2017年01月09日西日本新聞朝刊(14版)に、次の見出し。

皇室典範不足に根拠規定/退位特別法で政府検討 

 記事は、こうなっている。

 天皇陛下の退位を実現する一代限定の特別法を巡り、政府が同法の根拠規定を皇室典範の不足に置く案を検討していることが分かった。特別法の退位に関する効力は現在の陛下に限られるが、その後も残る規定を典範に設ければ、次以降の天皇の退位に含みを持たせられるとして、有識者会議が注目。政府も憲法違反の疑念を回避する方策として議論の俎上に載せている。

 特別法を皇室典範の付則に置くくらいなら、皇室典範そのものを改定すべきだろうが、そうしない。そこにも問題があるが、

次以降の天皇の退位に含みを持たせられるとして、

 という一文が強烈である。すごい。「次以降の天皇の退位」のことを安倍は考えているということを、「証明」している。
 「新元号の設定日」と「皇室典範付則」の記事を結びつければ、安倍の狙いは、天皇の「在位」を自在に操作すること、安倍に不都合な天皇は退位させ、摂政を置き、政治をあやつることだとわかる。「摂政」は今の皇太子の年齢よりも、ぐんと若い悠仁の方があやつりやすいだろう。「摂政」の父になる秋篠宮にも「恩」を得る形になるだろう。「悠仁天皇」の生みの親として権力を奮うのである。



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しばらく休みます(代筆)

2017-01-10 13:04:16 | その他(音楽、小説etc)
しばらく休みます。
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