池井昌樹「泉下」、粕谷栄市「晩年」(「森羅」2、2017年01月09日発行)
池井昌樹の詩ばかり紹介してもしようがないとは思うのだが、風邪で体調も悪いので、なじみのあるものに近づいてしまう。
「泉下」は短い作品。
とても読みやすい。一行に一つずつの「事実」があらわれ、それを踏まえて次の一行が動くからだ。
なかほどの二行、
これが、この詩の「中心」。
それまでは、「えんがわがあり」「あかりがともり」「ぼくもいて」という「事実」が描かれる。
しかし、この二行は、「事実」であるにしても「事情」が違う。
「よみがえらないひとたちがおり」というのは、その人たちはそこにはいない、ということ。
「よみがえらないひとときがあり」というのは、そのときがそこにはない、ということ。
「よみがえらないひと」「よみがえらないとき」は詩を書いている池井の「肉体の内部」に「いる/ある」。言いなおすと池井はそのひとたちを思い出している、そのときを思い出しているということ。
しかし、思い出しているということばをつかってしまうと、「ふるいいえにはえんがわがあり」というのも「思い出」である。実際に池井がその家にいて家を描写しているわけではない。
思い出の中に思い出がある。思い出すという行為の中に、また思い出すということがまぎれ込む。「こと」が二重になって動いていく。
だから
と「かげ」とともにいたはずの「ぼく」は、
という具合にも変わる。
「あかり/かげ」「よみがえる/よみがえらない」「いる/いない」は相対化/固定化ができない。常に流動して、その瞬間瞬間に、何かを生み出す。何かがあらわれる。
この不思議を、池井は、リズム(音楽)にしている。
*
粕谷栄市「晩年」は、池井の「泉下」に奇妙に似ている。
一段落一段落進むごとに、少しずつ「事実」が付け加えられていく。一気に何かがかわるという展開の仕方をしない。振り返り振り返り、ことばが前に進んで行く。
そして、「何もできないし、することもない」ので「相変わらず」放心したようにして生きている。
いや、放心するために生きているといった方がいいかもしれない。
最後の三段落は、こうである。
「えんがわのしたのあかり」「窓の優しい灯」と表現は違うが同じように思い出している。池井は「目を瞑れば」とは書かないが。
そういう「表面的」というか「意味(ストーリー)的」なことよりも、私は、少し別なことを指摘したい。
この文章の「それが見える」の「それ」。
この「それ」のつかい方が、池井と粕谷に共通している。このために、「似ている」という印象が強くなる。
「目を瞑ると」と同じように、「それ」ということばも池井の作品にはない。
しかし、池井もまた「それ」を見たのだ。最初は「それ」という形でしか言えないもの。指し示すことしかできない何か。「それ」を見ているうちに、少しずつ「それ」が何か見えてくる。
「ふるいいえ」があり「えんがわ」があり、「えんがわのした(えんのした)」には「あかり」という具合である。
詩の前に、まず「それ」がある。「それ」に導かれて、ことばが動いていく。「それ」は確かに存在するのだが、同時に「不確か」なものでもある。つまり「流通言語」でぱっと指し示すことのできるものではない。だから、振り返り振り返り、少しずつ「それ」が見えるようにしていく。
その関係は、しかし、逆なものとしても見ることができる。「それ」を池井や粕谷が見つけるのではなく、「それ」が池井や粕谷を見つけ導いているというふうにも感じられる。「それ」が池井や粕谷を見つけるからこそ、「天与」ということになる。
「それ」と「詩」と「詩人(池井/粕谷)」の関係は、互いに「指し示す」という感じで絡まりながらあらわれたり、消えたりする。最初に「それ」があらわれ、「詩」になるとき、「それ」という「指し示し」は消えるのだが、そのとき「池井/粕谷」も消えて、「詩」だけが残る。「詩=池井/粕谷」という形であらわれる。全てが「天与」のものになる。
池井昌樹の詩ばかり紹介してもしようがないとは思うのだが、風邪で体調も悪いので、なじみのあるものに近づいてしまう。
「泉下」は短い作品。
ふるいいえにはえんがわがあり
えんのしたにはあかりがともり
あかりのなかにはかげがあり
かげのどこかにぼくもいて
なんのよりあいなのかしら
なんのおまつりなのかしら
よみがえらないひとたちがおり
よみがえらないひとときがあり
ふるいいえにはいつからか
かげをなくしたぼくひとり
とほうにくれていつまでも
こうしていきてゆくほかは
とても読みやすい。一行に一つずつの「事実」があらわれ、それを踏まえて次の一行が動くからだ。
なかほどの二行、
よみがえらないひとたちがおり
よみがえらないひとときがあり
これが、この詩の「中心」。
それまでは、「えんがわがあり」「あかりがともり」「ぼくもいて」という「事実」が描かれる。
しかし、この二行は、「事実」であるにしても「事情」が違う。
「よみがえらないひとたちがおり」というのは、その人たちはそこにはいない、ということ。
「よみがえらないひとときがあり」というのは、そのときがそこにはない、ということ。
「よみがえらないひと」「よみがえらないとき」は詩を書いている池井の「肉体の内部」に「いる/ある」。言いなおすと池井はそのひとたちを思い出している、そのときを思い出しているということ。
しかし、思い出しているということばをつかってしまうと、「ふるいいえにはえんがわがあり」というのも「思い出」である。実際に池井がその家にいて家を描写しているわけではない。
思い出の中に思い出がある。思い出すという行為の中に、また思い出すということがまぎれ込む。「こと」が二重になって動いていく。
だから
あかりのなかにはかげがあり
かげのどこかにぼくもいて
と「かげ」とともにいたはずの「ぼく」は、
かげをなくしたぼくひとり
という具合にも変わる。
「あかり/かげ」「よみがえる/よみがえらない」「いる/いない」は相対化/固定化ができない。常に流動して、その瞬間瞬間に、何かを生み出す。何かがあらわれる。
この不思議を、池井は、リズム(音楽)にしている。
*
粕谷栄市「晩年」は、池井の「泉下」に奇妙に似ている。
若し、私が、八十歳を幾つか越した老人だったら、私
は、ある大きな港町に住んでいる。路地裏の古い一軒家
で、独り暮らしをしている。
若い頃から倹約して貯めた金が少しはあるから、まあ、
どうにか生きてはいられる。何もできないし、すること
もないから、相変わらず、貧しい食事をして、つましい
日々をやり過ごしている。
一段落一段落進むごとに、少しずつ「事実」が付け加えられていく。一気に何かがかわるという展開の仕方をしない。振り返り振り返り、ことばが前に進んで行く。
そして、「何もできないし、することもない」ので「相変わらず」放心したようにして生きている。
いや、放心するために生きているといった方がいいかもしれない。
最後の三段落は、こうである。
全ては、私が耄碌して、本当のことがわからなくなっ
ているということなのだ。この私が、実は、八十幾つか
の老人なのかもしれない。思えば、悲しい事実である。
いや、そうとばかりはいえない。むしろ、その逆だ。
私は、恵まれて、天与の夢の晩年を生きている。
今も、目を瞑れば、私には、はっきりと、それが見え
る。深夜、満天の星の下の港町では、家々のどの窓にも、
花のように、優しい灯がともっている。
「えんがわのしたのあかり」「窓の優しい灯」と表現は違うが同じように思い出している。池井は「目を瞑れば」とは書かないが。
そういう「表面的」というか「意味(ストーリー)的」なことよりも、私は、少し別なことを指摘したい。
今も、目を瞑れば、私には、はっきりと、それが見え
る。
この文章の「それが見える」の「それ」。
この「それ」のつかい方が、池井と粕谷に共通している。このために、「似ている」という印象が強くなる。
「目を瞑ると」と同じように、「それ」ということばも池井の作品にはない。
しかし、池井もまた「それ」を見たのだ。最初は「それ」という形でしか言えないもの。指し示すことしかできない何か。「それ」を見ているうちに、少しずつ「それ」が何か見えてくる。
「ふるいいえ」があり「えんがわ」があり、「えんがわのした(えんのした)」には「あかり」という具合である。
詩の前に、まず「それ」がある。「それ」に導かれて、ことばが動いていく。「それ」は確かに存在するのだが、同時に「不確か」なものでもある。つまり「流通言語」でぱっと指し示すことのできるものではない。だから、振り返り振り返り、少しずつ「それ」が見えるようにしていく。
その関係は、しかし、逆なものとしても見ることができる。「それ」を池井や粕谷が見つけるのではなく、「それ」が池井や粕谷を見つけ導いているというふうにも感じられる。「それ」が池井や粕谷を見つけるからこそ、「天与」ということになる。
「それ」と「詩」と「詩人(池井/粕谷)」の関係は、互いに「指し示す」という感じで絡まりながらあらわれたり、消えたりする。最初に「それ」があらわれ、「詩」になるとき、「それ」という「指し示し」は消えるのだが、そのとき「池井/粕谷」も消えて、「詩」だけが残る。「詩=池井/粕谷」という形であらわれる。全てが「天与」のものになる。
池井昌樹詩集 (現代詩文庫) | |
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