鈴木悦男「路地と街路に 舞う秋に」ほか(「銀曜日」、発行日不明)
鈴木悦男「路地と街路に 舞う秋に」は上海を旅行したときのことを書いてある。魯迅記念館を訪問し、「広場で踊る人達 太極拳 寒暖の人々が池辺の茶店の軒下と通路をへ移る」。
とか
という具合に魯迅を思いながら路地を歩く。しかし、そこから始まる描写を読むと、鈴木が歩いているのか魯迅が歩いているのかわからない。
「どこにつづいているのか?」と問うたのは鈴木。「あるいてみればわかる」と答えたのは魯迅か。自然に対話ができるほど鈴木は魯迅に親しんでいる。ここまでくると、「どこにつづいているのか?」と問うているのが魯迅で、「あるいてみればわかる」と励ましているのが鈴木のようにも見えてくる。こういうことは「現実」にはありえないのだが、意識のなかではありうる。鈴木は魯迅の生涯を知っている。だから「だいじょうぶだよ」とはげましている。魯迅になって、魯迅の生きた「路地」をあるく。人に寄り添い、人に自分をまかせてみるというのは「だいじょうぶだろうか」「だいじょうぶだよ」と自問自答を繰り返しながら、自分自身を乗り越えていくことだ。
「一緒に」が「寄り添う」ことである。「ただそれだけのことだ」が重い。
人間は「ただそれだけのこと」ができない。
でも、「ただそれだけのこと」とは何だろう。何を思って、いま私は、人間は「ただそれだけのこと」ができない、と書いたのだろう。
「路地」とは何か。これは「路地はどこに続いているのか」と「問い」を変えてみると、「答え」が出てくるかもしれない。「人」につながっている。魯迅なら「同胞」につながっているというだろうか。
「人」との「つながり方」にはいろいろある。
これは「こころを育てることば」を同胞といっしょにつくりだしたいという魯迅の思いを語ったものだろう。「こころの路地」をつくる。その「こころの路地」には「落ち着けるひととき ぬくもり やすらぎ」がある。人が生きている。一緒に生きている。この「一緒に生きている」が「ただそれだけ」かもしれない。
私の印象では、魯迅はとても正直な人間である。魯迅をそんなに多く読んでいるわけではないが、ほんとうに正直な人だと思う。(大岡昇平、鶴見俊輔にも同じ正直を感じる。)一緒に生きている人に「寄り添う」を通り越して、一緒に生きている人に「なって」、「生きる」。自分という「枠」をぱっとたたき壊す瞬間がある。正直がはじけ、人と人をつなぐ。
「路地」がその瞬間、「大通り」になる。
鈴木は「路地」を繰り返しているが、そこに生きる人とつながった瞬間「路地」は消える。この喜びのために、路地に入るのだと思った。
こういう体験をしたあと、最終連で日本に帰って来てからの描写がある。(2016年 秋 日本?)ということばがあって、その「?」がおもしろい。鈴木がみた「2016年 秋 日本」なら「現実」なので「?」はいらない。もし、この風景を魯迅が見たら、という「仮定」が「?」になっているのだと思う。
魯迅になって、鈴木は日本を見ている。上海の「路地」を歩くことで、鈴木は魯迅になったのだと思った。
そこにタイトルに出てくる「舞う秋に」の中心となるエピソードが書かれている。これが、とても美しい。「銀曜日」で直接読んでもらいたいので、ここでは引用しない。
人と人がつながり、それが「大通り」とも「路地」とも、どちらにも受け取ることができる。
*
藤富保男「収容所に入って」は国境を越え、再び自分の国へと国境を越えて帰ってくる「ぼく」のことを描いている。国境の塀を越えた瞬間、
スローモーションの映画を見るような描写だ。「こんなことが人生で一回ぐらいあるのか」に、なぜか、納得してしまう。
鈴木悦男「路地と街路に 舞う秋に」は上海を旅行したときのことを書いてある。魯迅記念館を訪問し、「広場で踊る人達 太極拳 寒暖の人々が池辺の茶店の軒下と通路をへ移る」。
「医師としての私より 文芸家 詩人としての自分が求められている」
と 斬首される同胞をただ眺めている同胞の映像を見て
魯迅は医学校を退学し 帰国する(1909年 夏)
とか
「落ち着けるひととき ぬくもり 安らぎが あればいい」
妻と子が待つ 路地の奥の二階家が
魯迅の(上海 1936年 秋)最後の暮らしの場になった
という具合に魯迅を思いながら路地を歩く。しかし、そこから始まる描写を読むと、鈴木が歩いているのか魯迅が歩いているのかわからない。
レンガを敷きつめた路 どこにつづいているのか?
「あるいてみればわかる」 聞き慣れた声であるが おそらく
声の主も知らない場所だ 路地の先に路地があり 見知らぬ路地が続く
「どこにつづいているのか?」と問うたのは鈴木。「あるいてみればわかる」と答えたのは魯迅か。自然に対話ができるほど鈴木は魯迅に親しんでいる。ここまでくると、「どこにつづいているのか?」と問うているのが魯迅で、「あるいてみればわかる」と励ましているのが鈴木のようにも見えてくる。こういうことは「現実」にはありえないのだが、意識のなかではありうる。鈴木は魯迅の生涯を知っている。だから「だいじょうぶだよ」とはげましている。魯迅になって、魯迅の生きた「路地」をあるく。人に寄り添い、人に自分をまかせてみるというのは「だいじょうぶだろうか」「だいじょうぶだよ」と自問自答を繰り返しながら、自分自身を乗り越えていくことだ。
迷路が私の好みなのか (星空に 猫の求愛の声が響く)
雑誌のグラビアから跳ねでた女が 碧色に染まった路地に倒れている
彼女を起こし そのまま私は路地を 一緒に歩きだす
ただそれだけのことだ 路地の角を曲がる
「一緒に」が「寄り添う」ことである。「ただそれだけのことだ」が重い。
人間は「ただそれだけのこと」ができない。
でも、「ただそれだけのこと」とは何だろう。何を思って、いま私は、人間は「ただそれだけのこと」ができない、と書いたのだろう。
上海には坂がない 川はあるが 坂がない都市
どの路地を歩いても坂がない 私は袋小路の路地を抜けるが
視界の限り 山も大地もない 路地が広がる
彼女に指示された から では無いが
ふたたび路地に入るために 私たちは 路地を抜ける
「路地」とは何か。これは「路地はどこに続いているのか」と「問い」を変えてみると、「答え」が出てくるかもしれない。「人」につながっている。魯迅なら「同胞」につながっているというだろうか。
「人」との「つながり方」にはいろいろある。
「医師としての私より 文芸家 詩人としての自分が求められている」
これは「こころを育てることば」を同胞といっしょにつくりだしたいという魯迅の思いを語ったものだろう。「こころの路地」をつくる。その「こころの路地」には「落ち着けるひととき ぬくもり やすらぎ」がある。人が生きている。一緒に生きている。この「一緒に生きている」が「ただそれだけ」かもしれない。
私の印象では、魯迅はとても正直な人間である。魯迅をそんなに多く読んでいるわけではないが、ほんとうに正直な人だと思う。(大岡昇平、鶴見俊輔にも同じ正直を感じる。)一緒に生きている人に「寄り添う」を通り越して、一緒に生きている人に「なって」、「生きる」。自分という「枠」をぱっとたたき壊す瞬間がある。正直がはじけ、人と人をつなぐ。
「路地」がその瞬間、「大通り」になる。
ふたたび路地に入るために 私たちは 路地を抜ける
鈴木は「路地」を繰り返しているが、そこに生きる人とつながった瞬間「路地」は消える。この喜びのために、路地に入るのだと思った。
こういう体験をしたあと、最終連で日本に帰って来てからの描写がある。(2016年 秋 日本?)ということばがあって、その「?」がおもしろい。鈴木がみた「2016年 秋 日本」なら「現実」なので「?」はいらない。もし、この風景を魯迅が見たら、という「仮定」が「?」になっているのだと思う。
魯迅になって、鈴木は日本を見ている。上海の「路地」を歩くことで、鈴木は魯迅になったのだと思った。
そこにタイトルに出てくる「舞う秋に」の中心となるエピソードが書かれている。これが、とても美しい。「銀曜日」で直接読んでもらいたいので、ここでは引用しない。
人と人がつながり、それが「大通り」とも「路地」とも、どちらにも受け取ることができる。
*
藤富保男「収容所に入って」は国境を越え、再び自分の国へと国境を越えて帰ってくる「ぼく」のことを描いている。国境の塀を越えた瞬間、
ちょうどその時、頭の前面と後頭部がいれ変った。
うしろ頭に、火が走った、と思った。まだ頭があるの
か、と思って両手で頭の鉢を左と右の両手で押さえてみ
た。首が胴からはずれている。両手が自分の首を抱えて
いる。こんなことが人生で一回ぐらいあるのか、と思っ
た瞬間、これが死だ、と直覚した。
けれど、むこうの国になぜ聖フランシスがいて、こち
らはなぜ銃弾と爆弾、爆発が起っているのかしら、と考
えたとき、ぼくの意識は完全に停止した。
ぼくはそこでぼくを終了したのだ。
スローモーションの映画を見るような描写だ。「こんなことが人生で一回ぐらいあるのか」に、なぜか、納得してしまう。
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