詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

オタール・イオセリアーニ監督「皆さま、ごきげんよう」(★★★)

2017-01-15 18:53:00 | 映画
監督 オタール・イオセリアーニ 出演 リュフュ、アミラン・アミラナシビリ、マチアス・ユング、エンリコ・ゲッジ、ピエール・エテックス

 ジョージア人(グルジア人)からみたフランス人と言えばいいのだろうか。
 日本人の私から見るとフランス人はわがまま。個人主義。このわがまま個人主義がジョージア人には、どう見えるか。うまく説明できるかどうかわからないが、フランス映画とは少し違う「わがまま/個人主義」が見える。
 最初にフランス革命の時の「ギロチン」が出てくる。貴族が群衆の目の前で首をはねられる。みんな見物に来ている。編み物をしながら、野次も飛ばす。窓から覗き見している人もいる。怖いから目を覆い(?)、それでも見たいと顔を出す。あるいは耳を塞ぐ。ギロチンが終わると、「その首ちょうだい」と少女がエプロンを広げる。簡単に、首を渡してしまう。
 あ、なるほどなあ。
 フランス人は、ほんとうは皆、「見たがり」なのである。他人のことを知りたい。「個人主義」の国だから、他人には干渉しない。干渉されたくない(邪魔されたくない)から干渉しない、を貫こうとするけれど、他人には興味津々。そのくせ、いったん「こと」が終わると、もう関係ない。
 これを、なんと警察署長(?)がやっている。「覗き見」を。ひとりでこっそりではなく、部下をつかって。「他人の監視」ととらえれば、まさに警察。管理社会ということになるのだが、「組織」というよりは、「覗き」そのものが「分断」されている。「個人主義の覗き/わがままな覗き」と言えばいいのかなあ。
 「覗き」だから「全体」はわからない。「全体」は「覗いている人」の妄想のなかにある。それが、そのまま「つきあい」になる。
 「他人」の「全体」のことは知らない。しかし「一部」は知っている。その「一部」をかってに「全体」に拡大し、その拡大した「他人像」と自分をかかわらせていく。これをフランス人は「友情」と呼ぶ。また覗かれた方は覗かれた方で、どうせ覗かれたのは「一部」であって「全体」ではないのだから、どう思われようが気にしない、という感じで「つきあう」。「わがまま」を押し通す形で「一部」を「他人」に押しつけ、それを「友情」と呼ぶ。
 おもしろいのが、若い男がバイオリニストを見かけ、一目惚れする。どうしたらいいんだろう。そんなことを、見ず知らずの主人公(アパートの管理人と、骸骨集めが趣味の老人二人)に相談する。すると二人は「ベートーベンは嫌いだ」「第九はだめだ」と言え、というようなアドバイスをする。「わがまま」を押しつけられたら、それに対して「わがまま」で答える。「自分の意見」しか、言わない。「自分の意見」をどれだけもっているか、が「個人の評価」になる。(若い男が老人に恋の手ほどきを訪ねるのは、老人の方が「個人の歴史」が長い、「個人のわがまま」を多く抱えている、と評価されるからである。)
 この映画を象徴するのは、いま書いた「覗き見」と、もうひとつ、「ひったくり」である。映画の本篇(?)の冒頭に、ひったくりが趣味の姉妹が出てくる。戦利品を自分のものにするというよりも、次々に他人に渡して、遊んでいる。渡された人は、それをまた別の人に渡すという形で遊びに参加する。このとき「ひったくられたもの」が「一部(覗き見された生活)」。それを無関係なひとが共有する。もし、それが自分のほしいものならそのまま「所有」するだろうが、(そこから「親友」を探し出すだろうが)、そうでなければ、また「他人」に手渡す。それがパリという街。「一部」が無数に繋がっていく、と言えばいいのか。
 傑作なのは、このアトランダムの形を象徴する警察署長のエピソード。「こと」が起きるたびに警官が出てくる。警官に対して、市民が「ちょっと待て、いまからきみの上司に話をする」。つまり、警察署長に直談判する、という。アトランダムの「つなぎめ」に自分をわりこませ、誰もが主役になろうとする。電話を受ける署長は自分に関心のないことは知らん顔。(ひったくられた帽子はパトカーを動員して奪い返しに来るのに。)下水まみれで野原(?)に放り出されるが、だれも探しには来ない。
 こういう感じでつづく映画なので、「ストーリー」はない。
 あ、こういう人がいる。こういう「シーン」を見かけたことがある。そういうことが、ただアトランダムに繋がっていく。これが、なんともユーモラスな形で繋がっていく。フランスってばかな国(フランス人って、かわいい)と監督が思っているのかも。
 最初、リードでつながれて散歩している犬が、あとの二回はノーリードで、犬たちだけで横断歩道を渡っていくシーンなんか、いいと思うなあ。犬なのに、フランス人みたいに、みんなひとりひとり(一匹一匹)、歩き方が違う。途中に、ナイフを研ぐ音を聞いて、牛が逃げ出すシーンがあるが、牛の歩き方も、とっても変。あれはジョージア人の見た牛? それともフランスの牛はみんなあんな? というような、どうでもいいことを思ってしまう。
 そういうところも、まあ、私は好きだなあ。
                     (KBCシネマ2、2017年01月15日)



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