詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

つまずいてみる。(奇妙なことばには、こだわってみる。)

2017-01-13 11:26:01 | 自民党憲法改正草案を読む
つまずいてみる。(奇妙なことばには、こだわってみる。)
               自民党憲法改正草案を読む/番外67(情報の読み方)

 2017年01月12日毎日新聞(西部版・14版)1面「退位後「上皇」使わず/政府方針「前天皇」を検討」という見出しと記事についての感想を書いたところ、フェイスブックで本田孝義さんから、全く逆の報道があると教えられた。

http://www.nikkei.com/article/DGKKASFS11H2W _R10C17A1MM8000/ ((2017/1/12 付日本経済新聞 朝刊)

天皇退位後「上皇」に政府検討 秋篠宮さま、皇太子待遇

 政府は、天皇陛下が退位された場合、その後の呼称を「上皇(太上天皇)」とする方向で検討に入った。皇族としつつ皇位継承権は付与しない方針で、公務など活動のあり方が焦点となる。皇太子さまの即位後、皇位継承順位1位となる秋篠宮さまは「皇太子」の待遇とすることも検討。皇室予算の見直しも含め、20日召集の通常国会に提出する退位関連法案に盛り込む見通しだ。

 秋篠宮を皇太子待遇にするという記事は読売新聞01月01日の朝刊(西部版・14版)に載っていた。その感想はすでに書いた。
 日経新聞の記事で注目したのは、生前退位させられた後の天皇の身分に関する次の部分、

皇族としつつ皇位継承権は付与しない方針

 ここが非常に気になった。
 いったん退位した後なのに、「皇位継承権を付与しない」とわざわざ付け加えるのはなぜなのか。
 天皇がもし自ら「生前退位」をするのなら、「皇位を皇太子に譲る」ということ。そういう人間が「皇位継承権を求める、天皇に復帰する」ことを望むだろうか。

 安倍は、何を恐れ、そういう文言を書き加えるのか。天皇が「生前退位」させられた後、「上皇」という身分になるかどうかはあいまいだけれど、安倍が天皇を退位させた後も、天皇の影響力を恐れている(発言を封じたい)という気持ちだけは、強烈につたわってくる。

 たとえば天皇が退位し、皇太子が天皇になる。その新天皇が急死したら、秋篠宮が天皇になる。秋篠宮が急死ししたとしても悠仁と皇位継承者がいる。高齢の天皇が返り咲く必要性は想定しなくてもいいはず。
 そう想像するとき、私の「妄想」は暴走し始める。

皇族としつつ皇位継承権は付与しない方針

 これは、今の天皇だけを想定しての「方針」ではないのではないか。
 むしろ、皇太子が天皇になって、その新天皇をまた「生前退位」させる。そのときに、退位した新天皇/新上皇(いまの皇太子) に皇位継承権がないと決めておきたいのだと思う。
 「一代限りの特例法」と言いながら「秋篠宮を皇太子待遇に」と決めたときから、それは「一代」の話ではなくなっている。
 皇室内で争いが起きるとしたら、いまの天皇と皇太子の間ではなく、皇太子と秋篠宮。兄弟の争い。誰が「天皇」になるか。継承順位だけを考えれば、皇太子。しかし、皇太子に男子のこどもがいないことを考慮するなら、秋篠宮-悠仁という「皇位継承順位」がスムーズ(?)になる。そういう「権力争い」のなかへ安倍は入っていき、「天皇制」を自在にあやつる。
 日経の奇妙な文章から、私は、安倍がそこまで考えているのか「妄想」した。
 争いが起きれば、安倍に好都合。
 二人を棚に上げて、悠仁を摂政に据え、やりたい放題ということになる。
 「上皇」に皇位継承権はないと決めておけば「争いの種」はなくなるが、なくなればなくなったで、安倍の思いのまま。両にらみで「進路」を描いている。

 籾井NHKが「天皇、生前退位の意向」をスクープしたとき、私は、このニュースのキーワードが「摂政」であると直感した。それも皇太子を「摂政」に、というのではなく、悠仁を「摂政」に、という感じがした。
 キーワード(キー人物)は、そういう意味では悠仁の親である秋篠宮である。
 「生前退位」の意向報道の後、すぐに出てきたのが秋篠宮の「天皇定年制発言」である。また「生前退位意向」のスクープは、秋篠宮の信頼が篤い橋口という記者経由らしいとも言われている。
 さらに、小泉内閣時代、「皇位継承権」を巡り、「女性天皇」も話題になったが、これに断固反対したのが安倍である。そのとき安倍は「女性天皇を認めてしまうと、秋篠宮-悠仁という男子直系の伝統が崩れ、取りかえしがつかなくなる」というような論理で反対している。
 あのときから、天皇の皇位継承のキーワード(キー人物)は秋篠宮と悠仁なのである。そこに焦点を当てながら、安倍の行動をとらえ直さないといけないのではないか。一連のニュースを見直さないといけないのではないか。

 ニュース(ことば)とはおもしろいものである。
 私は昨年の7月3日、衆院選の投票日の一週間前の日曜日までは、どちらかというと政治に無関心という部類に属していた。しかし、あの日曜日に「異変」をはっきりと感じ、それから急いで自民党の憲法改正案の問題点をブログに書いたりした。たいへんな情報操作が行われていると感じたのである。
 情報操作の第一弾が籾井NHKをつかっての「報道しない作戦」である。(すでに第何弾目だったかもしれないが、私が気づいたものとしては第一弾)。報道しないことが巨大政党(既成政党)に有利に働く。だから報道しない。実際、その後の朝日新聞の分析でそれが証明された。若者は自民党しか知らない。政策を吟味して自民党を支持しているのではなく、自民党の存在しかしらないから自民党に投票する。よく知らない党に投票するより、少しでも知っている方が安心である。この作戦を誰が思いついたか知らないが、「宣伝」を逆手に取った画期的な作戦である。
 マスコミもそれに加担しているのだが、マスコミの中にも良心的な記者がいて、ときどき思いもかけないニュースを「ちらり」と報道の中に滑り込ませる。
 たとえば安倍の大失敗に終わった日露首脳会談。それに先立つ外相会談。読売新聞は2面の1段見出しの記事で、ラブロフが「日露経済協力(共同行動)」は5月に安倍から提案したものだと暴露した、と知らせていた。これは、経済協力はロシアが求めているものではない。安倍が提案したのだから、提案は守ってもらわないといけない。ロシアが提案したのではないから、その見返りに北方四島を返還するというようなことはありえない、と事前通告しているのである。外交の「内幕」など、協定が成立するまでは秘密にするのが鉄則だろうに、それを破っているのは、経済協力の約束を守れと恫喝しているに等しい。
 このニュースについて、私は岸田外相の大失態という形で感想を書いた。ラブロフとの会談で、何か失言をし、そのためにラブロフの暴露になったのだ。「日本が金を出すんだから、歯舞、色丹くらい返還すべきである」というような露骨な発言をしたのではないか、と私は「妄想」している。安倍は金を出すのが大好きな人間みたいだが、ひとは金だけで動くわけではない。
 あの1段見出しの記事で、私は日露首脳会談が安倍の大失敗になることも、その後の1月総選挙もありえないと「妄想」した。そして、その「妄想」通りになった。
 どんなニュースでも、どこかで誰かが、こっそりと「目立たない」ことばで真実のありどころを示唆している。私はそれを探して「妄想」するのが大好きである。
 きのう書いた毎日新聞の記事で言えば「有識者会議のメンバー(出席者)」ではなく「有識者会議関係者」、日経の記事で言えば「皇族としつつ皇位継承権は付与しない方針」。私は、そのことばにつまずき、考え始める。
 繰り返しておくと、8月8日の天皇のビデオ放送。そのなかで天皇は「思われます」「考えられます」というような「湾曲表現」をつかっている。テレビで聞いたとき、私は何を言っているかすぐには理解できなかった。それくらい「異様」に響いた。文字で読んでも「異様」な感じは消えない。そこには何か「悲鳴」のようなものが隠されていると私は感じている。高齢になった、天皇は政治に関する権能を持っていないというのも、短いビデオのなかで2回も言っている。これも、私の印象では言っているというよりも、「言わされている」と聞こえる。
 ニュースの大きな「ストーリー」の背後に、見えないもう一つのニュースがある。「つまずきの石」がある。そこに私はつまずき、「痛い痛い」と「妄想の叫び」を上げる。


詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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