詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「国民生活に配慮」という大嘘

2017-01-11 11:13:09 | 自民党憲法改正草案を読む
「国民生活に配慮」という大嘘
               自民党憲法改正草案を読む/番外64(情報の読み方)

 2017年01月11日読売新聞(西部版・14版)1面に次の見出し。

19年元日 新天皇即位/元号 半年前までに/政府検討 国民生活に配慮

 きのう2017年01月10日の毎日新聞夕刊の後追い記事。新しい「事実」は「元号を半年前までに決める」ということ。あとは、言い直しである。
 毎日新聞は「国民生活 影響避け」と表現していたものを、読売新聞は「国民生活に配慮」と言いなおしている。毎日新聞は具体例は書いていなかった。読売新聞は書いている。具体例を読み、私は笑いだしてしまった。それから怒りで我慢ができなくなった。
 こう書いてある。

 政府は陛下の退位日を定める政令決定にあわせ、新元号を発表する方向で検討している。2018年前半までには発表したい考え。カレンダーなどの印刷業者や、元号を使った官民のシステム改修などへの対応期間を確保するためだ。

 「カレンダーなどの印刷業者や、元号を使った官民のシステム改修などへの対応期間を確保するためだ。」が「国民生活への配慮」にあたる。同じことを2面で「新元号 円滑以降図る/事前公表 システム改修時間確保」という見出しで書き直している。
 私は何でも具体的に考える人間なので、カレンダーから考えてみる。平成は1月の途中で元号が変わったけれど、「カレンダー」に不都合が起きただろうか。昭和のカレンダーをつかっていたら困ることがあったのだろうか。4月29日の「天皇誕生日」の名称が変わり、12月23日が新しい「天皇誕生日」になっただけで、昭和のカレンダーをつかっていてもなにも不都合はない。カレンダーというのは「年号」を確かめるためのものではなく、「日付」と「曜日」を確かめるときにつかうもの。私の家では「絵」がらが気に入ってオルセー美術館のカレンダーをつかっている。フランス製である。でも、ぜんぜん困らない。「日付」「曜日」は世界共通。「元号」とは関係がない。
 それに途中で「元号」がかわったときは「元年」なので「何年だっけ?」と思い悩むこともない。新元号のカレンダーでないと困る人がいるなら、よほど「頭」の硬い人である。
 「手帖」や「日付入りの日記帳」を買い換えなくてはいけなくて困ったという人が何人いるだろう。
 こんなことは「配慮」してもらわなくても、国民は「自前」の生き方で乗り切る。こんなことを「配慮」と考えるのは、国民をばかにしている証拠である。それをそのまま伝える新聞もおかしい。日常生活が国民の生活から乖離している。きょう天皇が急死し、きょう年号が「平成」から別のものに変わっても、だれもカレンダーをどうしようと悩んだりしないだろう。
 もうひとつの「官民のシステム改修」の問題。私は「システム改修」など知らないから、感じていることを書くだけだが、「年号」の変更というのはそんなに手間取るものか。市役所で届け出をする。届け出用紙に「平成」と書いてあれば「新元号」に書き換えればすむ。新元号に変わったことは誰もが知っているので、「偽造」のしようがない。市民にとっては困ることは何もない。市役所側も用紙の印刷が間に合わないので、とりあえず「修整」で済ませられるだろう。もし、どうしても「正式な印刷されたもの」でないと困るとしても、そんなものは「半年」もかかるわけがない。どこに印刷を依頼しているか知らないが、印刷所にはひな型(ファイル)があるから「平成」を「新元号」にかえるだけ。その日のうちに処理できるだろう。
 コンピュータ処理に「平成」をつかっているところも、単に「新元号」に変えればいいだけではないか。「平成」から「新元号」をまたいで「期間」を計算するときに手間取るとしても、そんな処理が、「手間取る」といえるほど殺到するだろうか。順次処理すれば大丈夫だろう。
 「昭和」から「平成」に切り替わったときは、コンピュータはそれほど普及していなかったと思うが、移行期に何かトラブルがあり、それが尾を引いたという「事実」でもあるのだろうか。
 説明が、あまりにもばかばかしい。

 問題にしなければならないのは、「国民生活に配慮」という「美しいことば」を口実に、「天皇の生前退位」の「結論」が出ていない段階で、「生前退位」を既定事実にしてしまっている政府の態度である。「有識者会議」の「提言」すら出ていないのに、もう「退位/譲位/新天皇即位」の日が決まっている。
 これは「有識者会議」を「天皇の生前退位」を推し進めるための「アリバイ」につかっているという証拠である。安倍は、籾井NHKをつかって「天皇、生前退位の意向」をスクープさせたときから「19年元日に新元号」を想定していたのである。

 「19年」めぐっては、こういう記事がある。(読売新聞1面)。

(有識者会議で、)「平成30年は一つのメルクマール(指標)」との意見が出ていた。陛下も8月8日、国民に向けたビデオメッセージで「戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後に平成30年を迎えます」と、18年が一つの節目になるとの考えを示唆されていた。

 「ビデオメッセージ」には確かに天皇の思いが反映されているだろう。しかし天皇は「無検閲」でそれを発表したのではない。事前に官邸と文言のすり合わせをしていた。その痕跡は、何度も書くが「思われます」「考えられます」というような「婉曲表現」としてくっきりと残っている。「2年後に平成30年を迎えます」が天皇の言いたかったことか、安倍が何としても言わせたかったことか、わからない。一連の動きが安倍によって仕組まれたものであるなら、天皇が「平成30年」を口にしているからといって、それが「生前退位」の期限の「根拠」にはならないだろう。

 前後するが、読売新聞の1面の記事の「前文」に、こう書いてある。

平成30年(2018年)の区切りで天皇陛下の会意を実現するとともに、国民生活への影響を最小限に抑えるため、新元号は元日から始め、事前に公表することが望ましいと判断した。政府は一代限りの退位を可能にする特例法案を20日召集の通常国会に提案する方針で、陛下の即位日は政令で定める法案に明記する。

 最後の一文「陛下の即位日は政令で定める法案に明記する」を読みながら、私は、自民党憲法改正草案の「緊急事態」条項を思い出した。
 そこにこんな一文がある。

緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる

 「政令」で何でも思いのままに国民を拘束する(国民の自由を奪う)というのが「緊急事態条項」だが、それに類似したことがすでに始まっている。「天皇の生前退位」は「緊急事態」ではないかもしれないが、一連の「法律(政令)」を巡る動きはとてもうさんくさい。
 すでに書いたが皇太子が天皇になったあと、秋篠宮を「皇太子待遇」にするということなど「天皇の生前退位特例法(一代限定)」の範疇を超えている。天皇の身分だけの問題ではない。それを「関連法案」という形でごまかしている。憲法、皇室典範そのものを見直さずに、「特例法」「関連法」を積み重ねることで「既成事実」をつくってしまうという作戦のようだ。
 元号がいつかわるかなど、国民の日常生活には直接影響して来ない。そんなものを「国民生活」と結びつけて説明し、「19年元日に新元号」を「事実」にしてしまう。そこから逆に天皇に「生前退位」を迫る--そういう「構図」ができつつある。この「構図」に加担してはいけない。「そうだね、元日に元号かかわると便利だね」などと納得してはならない。元号を元日に変えないとどんな不便があるのか、そのことを問わないといけない。
(風邪で寝ていないといけないのだが、書かずにはいられない。)

詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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