詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(56)

2020-05-22 10:33:54 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
「初期詩篇」から

* (匂い 距離のために凋みはじめる)

形  時間に影をたべられる
己  円周のないむなしい歴史

 「己」を「巳(み、へび)」と読んでみたい衝動に襲われる。
 蛇が尾を噛むと「円」になる。蛇がどぐろを巻けば、そこに「円」があらわれる。しかし、それはいつでも完全なものではない。「むなしい」がつきまとう。

 私は小学生のころ、どぐろを巻いた蛇を、気づかずに踏みつけたことがある。裏の池のそばだった。蛇はどぐろを解いて、私の足をのぼり始める。私はとっさに足を池に突っ込んだ。蛇はさーっと解けて、水の上を泳いでいった。夢のようなできごとだが、夢にしてはあまりにも鮮やかすぎる。そのときの、ほどけていった「円周」というものを思い出すのである。











*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
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黒川余波/姑息の極み

2020-05-22 09:53:52 | 自民党憲法改正草案を読む
黒川余波/姑息の極み
       自民党憲法改正草案を読む/番外358(情報の読み方)

 2020年05月22日の読売新聞(西部版・14版)の2面。

定年引き上げ再検討/国家公務員法改正 首相、廃案も視野

 国会で議論を呼んだのは、黒川に関する「検察法改正」、とりわけ定年延長に関する「特例」である。これを「国家公務員法改正」とひとくくりにして審議したから問題がややこしくなった。
 安倍の狙いの、黒川がらみの「検察法改正」が、黒川の辞任で「意味」をもたなくなったので、国家公務員法の改正も取りやめ。これは、あまりにも「正直」すぎる反応だが、ただの「正直」ではない。
 別の狙いがある。

 国家公務員法改正案が成立しなければ、国に準拠する地方公務員の定年引き上げも据え置きになる。立憲民主党の支持団体である自治労などの反発を招きそうだ。

 読売新聞は、自治労の反発が自民党に向かうかのように書いているが、わざわざ「立憲民主党の支持団体である自治労」と書いているのは、自治労が立憲民主党を批判するよう誘っているのである。立憲民主党が「国家公務員法改正+検察庁法改正」に反対したから定年延長が実現できなかった。なぜ反対したのだ、と言わせたいのだ。言い直すと、そういう不満をあおって、自治労が立憲民主党を支持しないように仕向けたいのだ。一種の嫌がらせである。現場で働いている国家公務員のこと、さらには地方自治体の公務員のことなど、何も考えていない。立憲民主党と自治体の労組団体を対立させて、憂さ晴らしをしているのだ。
 やっていることが、あまりにも「姑息」である。

 安倍のやっていることは、全部「姑息」なのだ。
 「布マスク2枚配れば、国民の不満はおさまる」と考えるばからしさはわきにおくとしても、桜を見る会前夜祭の「5000円パーティー」も、買収なのに、買収にならないようにみせかけるために「5000円の会費」を集める。(ほんとうに集めたかどうかは知らない。)「姑息」というのは、「裏に別のものが動いている。そして、その裏の動きの方がほんとうの狙い」ということだ。

 黒川の定年延長そのものが黒川の「検事としての正義感(倫理観)」を評価してのものではない。安倍に便宜を図ってくれることを願っての定年延長だった。
 で、その黒川が賭けマージャンが発覚して、辞任した。
 ここからがまた「姑息」の連続である。
 黒川の処分は、「訓告」である。これは懲戒ではない。もちろん「処分」を決めるのは安倍ではなく、法務省であり、検察庁だが、ここに「姑息」が入り込む余地がある。どうしたって、なぜ「訓告」なのだ、おかしいじゃないか。訓告処分を出し、辞任させ、それでおしまいではなく、きちんと捜査し、犯罪の有無を立証し(もちろん無罪ということもありうるかもしれないが、きちんと逮捕、起訴、判決という手順を踏んで)、そのうえで処分すべきだという声が出るだろう。
 安倍が待っているのは、そういう「他人の声」である。(国家公務員法改正の見送りで、自治労が立憲民主党を批判するというような、安倍と直接関係のないひとからの声である。)そういう声は、処分を決裁した稲田検事総長に向かうだろう。検察は検察に対して甘い、許せないという声が起きるだろう。それは当然、稲田の辞任要求につながっていく。
 読売新聞には書いていないが、毎日新聞によれば、安倍は稲田の監督責任を問題にしているらしい。部下(検事長)の犯罪は検事総長の責任である、という論理だ。
 もっともらしく聞こえるが、それでは法相の責任は? 法相を任命した安倍の責任は? そういうことは問わない。「ぼくちゃんは、森を法相に任命したけれど、ぼくちゃんは法務省の責任者ではない。ぼくちゃん、何もしていない。検察庁の不祥事は検察庁の責任。ぼくちゃん、何もしていない」。
 安倍の狙いは、黒川の検事総長への起用というよりも、稲田の追い出しにあったのだ。ほんとうにいま検察のトップが交代すると困るような重大事件をかかえているなら、黒川の定年を延長するのではなく、稲田の定年を延長するという方法もとることができる。しかし、安倍が選んだのは黒川なのだ。つまり、稲田の追放なのだ。
 いま、安倍は、稲田を追放するために、「黒川に対する甘い処分」を利用しようとしている。こういうことを「姑息」と呼ぶ。こそこそとした「裏工作」を「姑息」と、私は呼ぶ。

 いや、問題は、もっと複雑な「姑息」(裏工作)とも見ることができる。
 河井への1億5000万円の選挙資金。それをつかっての選挙違反が問題になっている。どうも河井の逮捕にまで発展しそうな感じだ。そうすると、1億5000万円の決済も問題になるだろう。安倍にまで捜査が及ぶだろう。それを、どう回避するか。
 黒川の定年延長(検事総長への起用)の狙いは、それを封じることにあったかもしれない。しかし、河井逮捕が避けられないとわかったので、黒川を捨てゴマにして、追及を乗り切ろうとしているのかもしれない。黒川の賭けマージャンを発覚させ、黒川への監督責任を稲田にとらせる。河井事件がどう進展しようと、安倍には、黒川はつかいやすい「道具」だったということだろう。いまは、河井事件から「目をそらせる」ための道具にし、さらには河井事件を捜査している広島地検の動きを支持しているかもしれない稲田を追い出すための道具にもしようとしている。
 
 ここでまたコロナにもどるのだが、安倍のやっていることは、場当たり的な、その場しのぎの「対策」でしかない。「その場」を乗り切れさえすればいいと考えている。だから、口からでまかせが言えるのだ。
 アベノマスクもそうだが、10万円の給付金も同じ。30万円がほとんどの人には支給されないとわかると全員10万円に切り換える。しかし支給方法が確立されていないので、ほとんどの人はまだ受け取っていない。その場の批判をかわすだけのための政策をやっているだけである。
 場当たり政策のために、検察まで、がたがたにされてしまうのだ。

 検察の信頼は、河井逮捕、安倍逮捕へと進まない限りは、絶対に回復できないだろう。安倍を逮捕しない限りは、だれが検事総長になろうが、「どうせ安倍の言いなり」と見られてしまう。
 これは検察の責任であると同時に、また安倍の責任でもある。安倍が、検察の信頼が失墜するようなことを、検察にさせているのである。
 森友学園にしろ(財務省職員の自殺にしろ)、加計学園にしろ、桜を見る会にしろ、安倍が「無関係」というのなら、きちんと捜査させ、起訴させ、「無関係」を司法の場で証明させればいい。すべてのことが、法にのっとり適切におこなわれているなら、やっていることをすべて公開すればそれですむ。
 安倍は自分にとって不都合なことは隠す。そして、自分にとって不都合をことを捜査する検察庁を拒否する。そういう「姑息」な方法で生き抜こうとしている。









#検察庁法改正に反対 #安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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