詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy loco por espana(番外篇59)Joaquinの作品

2020-05-17 07:15:28 | estoy loco por espana


Joaquinの作品

El trabajo de Joaqui’n tiene una calidez misteriosa.
Probablemente este’ relacionado con el "grosor" del hierro.
Siento certeza (fuerza) en lugar de delicadeza.
Existe la certeza de que el cuerpo se acumula a medida que continu’a viviendo, en lugar de ser entrenado en dureza.
No es la belleza fi’sica del atleta, sino la belleza fi’sica del trabajador.
Es una belleza natural ma’s que una belleza artificial.

El hierro esta’ vivo.
El hierro continuara’ viviendo.
Hazme sentir ese tipo de cosas.

Joaquinの作品には、不思議な温かみがある。
それはたぶん、鉄の「厚さ」と関係がある。
繊細さというよりも、確かさ(強さ)というものを感じさせる。
鍛えられた強靱さではなく、生き続けることで肉体に蓄積される確かさのようなものがある。
アスリートの肉体の美しさではなく、労働者の肉体の美しさである。
人工的な美しさというよりも、自然な美しさである。

鉄が生きている。
鉄はこれからも生きていく。
そういうことを感じさせる。

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巨悪とは何か

2020-05-17 06:55:45 | 自民党憲法改正草案を読む
巨悪とは何か
       自民党憲法改正草案を読む/番外354(情報の読み方)

 検察庁法改正について考えるとき、「巨悪とは何か」というところから考えてみる必要がある。
 検察が闘った「巨悪」を思い浮かべるとき、私はロッキード事件を思い出す。米ロッキード社から、田中角栄らに巨額のわいろが支払われた。角栄は5億円を受け取り、受託収賄罪に問われた。国会証言のとき全日空の社長が、手が震えて署名に苦労した。

 この角栄と安倍を比較するとき、奇妙な違いが明るみに出る。

 「森友学園」事件のとき、安倍は、こんなようなことを言っている。「私が、だれかから金をもらったという証拠はない」。つまり、「収賄されていない」と。だから「罪はない」と。
 安倍にとっての「悪」とは「収賄」のことである。
 そして、実際、角栄が5億円を受け取るというような、「露骨な収賄(巨額な金を一回で受け取る)」は安倍の場合は、たしかに存在しないのかもしれない。企業からの「献金」も政治資金収支報告書に記載されているのかもしれない。(こまごまとした「隠れ献金/収賄」はあるかもしれないが。)
 安倍のやっていることは、むしろ逆の行為である。
 「安倍晋三記念小学校」をつくりたいという森友学園に対して便宜をはかる。土地を安く売る。これは「収賄」ではなく、むしろ「贈賄」である。土地を安く提供するだけではなく、安倍は100万円をおくってさえいる。「収賄」はしていない。
 「加計学園」も同じだ。獣医学部をつくりたいという「お友達」のために、それを認可する。これも「収賄」ではなく、「贈賄」の一種だ。
 「桜を見る会」は、もっと露骨だ。地元の有権者を招待し、安い金で飲み食いさせる。これは「収賄」ではなく「贈賄」だ。安倍は有権者から金を受け取っていない。さらに、ほかの招待者(芸能人)からも金を受け取っていない。逆に「国家予算」から、予算をオーバーする金を支出している。
 
 こういう一連のことは、安倍に言わせれば、「ぼくちゃん、何も悪いことをしていない。だって、金を受け取っていないんだもん」ということになる。「お金をばらまく(あるいは親切にする)と、みんながちやほやしてくれる。でも、ぼくちゃんはお金を受け取っていないから、何も悪くない」。
 すべてが、この構図なのだ。

 これは、たしかに「巨悪」というよりも「小さなこと」に見える。だが、だからこそ、問題なのだ。
 角栄は5億円を受け取る。しかし、角栄は、国家予算をつかって有権者を買収するというようなことはしていない。もし買収していたとしても、それは「身銭」で支払っているはずだ。5億円も「あぶく銭」を手にしたのだから、国家予算をつかうということなどしないだろう。
 ところが、安倍は、国家予算をつかって、「お友達」や有権者に対して便宜をはかる。ここにややこしい問題がある。
 さらに。
 学校をつくるというようなことは、社会的には決して悪いことではない。人を育てるだから。教育に投資するのだから。これが「ややこしさ」に拍車をかける。安倍がやっていることは、「社会にとって有益である」という見方が「成り立つ」のである。だから、安倍は「巨悪」ではない。土地代の値下げ、お友達のいるところに獣医学部をつくる、くらいは「ささいなことだ」と思われてしまう。

 だが、ここから「民主主義」がくずれてしまう。
 「基準」がなくなってしまう。政治は何を「基準」にしておこなわれるべきなのか。「法の公平さ」はどうなるのか、ということが見えにくくなる。「小さな不公平」が積み重なってしまう。
 安倍の「お友達」は得をするが、そうではない人は冷遇される。
 このいちばんの被害者は、安倍の「お友達」によってレイプされた女性である。そこでは金が動いていない。金が動かない悪は、悪とも認定されない。「お友達」は逮捕されない。女性はレイプされたのに、バッシングを受ける。
 安倍の周辺で「法」が正しく働かなくなる。
 安倍が「巨額のわいろを受け取る」というような「違法」をしなくても、周囲で小さな「違法」が積み重なっていく。それが社会全体を変えてしまう。安倍に逆らうと「損」をする。そういう風潮がひろがる。
 それは、たとえば安倍批判をすると、会社からにらまれる。左遷させられる、首を切られる。安倍を支持すると優遇される、というような形で展開する。社会が「安倍の意向」を伺いながら動き始める。

 検察庁法改正は、まさに、それを象徴している。
 松島みどりの公職選挙法違反、小渕優子の政治資金規正法違反、甘利明のURを巡る現金授受疑惑、下村博文氏の加計学園からの現金受領を巡る政治資金規正法違反、財務省幹部の森友学園を巡る公文書改ざん問題。これらをすべて「不起訴」にしたのは黒川である。いわば安倍の「お友達(側近?)」優遇した。その結果、黒川は「定年延長」を手に入れ、「検事総長」を手に入れようとしている。そして、安倍は、その黒川を利用して、公平であるべき法をねじまげ、安倍の「お友達」なら何をしてもいいという社会をつくろうとしている。
 いわば、「安倍のお友達だけでできた社会」をつくろうとしている。

 角栄は5億円を受け取った。金丸も巨額の金を受け取った。しかし、角栄も、金丸も「民主主義」や「法」そのものを破壊しなかった。実際、法が機能して、逮捕されている。
 安倍は、法を破壊し、民主主義を破壊しようとしている。
 「金を受け取っていないから、ぼくちゃん、悪いことをしていない」と言い張っている。これは「タチの悪い巨悪」である。
 安倍は、「タチが悪い」。
 他人の「タチの悪さ」を指摘するのはむずかしいが、そのむずかしいことを私たちは真剣にやらなければならない。「タチが悪いだけで、実質的な悪いことはしていない」と思ってはいけない。
 法の平等、民主主義を破壊することより悪い「巨悪」はない。「巨悪」の性質が、いま、大きく変質している。








#検察庁法改正に反対 #安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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