詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy loco por espana(番外篇52)Luciaonoの作品

2020-05-04 10:41:22 | estoy loco por espana


Lucianoの作品
(スペインは、5月第一日曜日が「母の日」)

Luciano自身が、詩を添えているので、私の詩は省略。
母が子どもを膝の上に載せている。
全体が細いのに、右足(右膝)だけが異様に太い。ごつごつしている感じもする。左足は極端に細い。
この右足と左足の造形の違いに、母親の気持ちが表れている。
自分がどうなっても、子どもを絶対に支えるという意志があらわれている。
ルシアーノは、単純に母と子の「形」を再現しているのではない。母の気持ちを表しているのだ。
そっとみつめるまなざし。誇らしげにふくらんだ乳房がとても美しい。

Luciano ha escrito el poema, por eso yo no escribo mi poema.
pero quiero algo.....

La madre tiene a su hijo en su regazo.
Aunque todo es delgado, solo la pierna derecha (rodilla derecha) es inusualmente gruesa. También se siente resistente.
La pierna izquierda es extremadamente delgada.
Los sentimientos de la madre se reflejan en la diferencia en la forma entre los pies derecho e izquierdo.
Esto es lo que piensa esta madre: "Absolutamente apoye a mi hijo, sin importar lo que me haga".
La voluntad de la madre aparece en su pie derecho.
Luciano no simplemente reproduce la "forma" de madre e hijo. Expresa los sentimientos de la madre.
Una mirada que mira suavemente. El pecho orgullosamente inflado es muy hermoso.
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(48)

2020-05-04 10:06:25 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (ぼくが不在でも)

時の幕がゆれ 噴き上げの水が空に消える
死がやってきた

 「死」を批評することもむずかしい。死を体験したことがないから、肉体のなかでどういう変化が起きているか、わからない。ことばの「よりどころ」がない。
 あえて言えば。
 私は「時の幕」を見たことがない。だから「ゆれる」もわからない。しかし、「吹き上げの水」(噴水の水、と考えてみる)が「空に消える」は、見たことがある。「空のなかに消える」のではなく、「空に届かず、地上に落ちる」のだが、この「空に届かず」を嵯峨は「空に消える」という。そのとき消えるのは「水」ではなく「空に届きたい」という気持ちだ。
 何かを思うこころ、それが消えることが「死」というのなら、この比喩は切実で悲しい。「ぼくが不在でも」とは、ぼくがいるのに、ぼくを不在としてあつかうだれかがいて、そのためにぼくの「気持ち」がどこにも届かずに消えていく。それが「ぼくの死」だ。






*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
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