詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(59)

2020-05-28 11:31:02 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* 存在

小さな眼の中にある広大な暗のひろがり
目蓋をとじると紫いろの世界がぼくをつつんでしまう

 「小さな」が「広大」を通って「世界」にかわる。そのとき、その変化を支える(許容する)のが「暗」である。何も見えない。だから「小さい」とも「大きい」とも言いうる。この「不定形」がことばの運動を自由にする。この「不定形」を「無」と言い換えることもできる。
 「眼を開ける」ではなく「目蓋をとじる」は、閉じることによって世界が「外」にあるのではなく、「ぼく」を世界の「外」へと連れ出してしまう。内と外が入れ替わる。これは「小さい」と「大きい」の変化に通じる。
 興味深いのは、ここに「紫いろ」が出てくること。この色は、それをそのまま受け入れるしかない「詩」である。だから、ここで「好き/嫌い」がわかれる。私は「むらさき(いろ)」という音がどうしても好きになれない。面倒くさいことを書いてしまったが、私は「紫いろ」ということばのために、この詩が嫌いだ。







*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)

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