共同が「コロナ専門家会議、議事録作らず/歴史的事態検証の妨げに」という記事を配信している。
https://this.kiji.is/638685726224139361?fbclid=IwAR2FD02EclBL9lBkJ7Ro_9FoU8UMpoHxXmwECfP0Cdg7Z5jVyPbfgBHlHJk
記事スペースの関係で省略されているのだろうが、こういうい書き方では「対策検証の妨げになる」という「理由」が読者には伝わりにくいだろう。
「概要と資料」だけでは、なぜいけないのか。
「概要」には、そこに書かれている意見とは異なる意見(対立意見/反対意見)が省略されているからである。言い直すと「削除」されているからである。
「削除」された意見は、結果的に無効かもしれない。しかし、そうであっても、どういう意見が「無効」なのかということを明確に認識する必要がある。
さらに「削除」された意見が「正しい」方法であると、他の国の「コロナ対策結果」「議事録」と比較してわかるかもしれない。
その場合、なぜ、「正しい意見」が削除されたのか、「正しい意見」を排除するとき、どのような議論が行われたかが問われる。
それは「資料」のどの部分に注目しなければならなかったのかということをも問い直す。
「検証」とは、あったことを問い直し、その問い直しによって「事実」を確定することである。
安倍は日本を「成功例」と呼びたいのだと思うが、「成功例」なら「成功例」であるほど、具体的な「議事録」をも提示する必要があるだろう。
「概要」だけではなく、どのように科学的な議論をして、参加者がなっとくしたのか。
それを示すことが、対策に苦慮している諸外国に対するに「助言」になる。
安倍のやっていることが「失敗隠し」なのか。
それとも「成功隠し」なのか。
どちらにしろ、「隠す」ことの弊害が大きい。
「検証の妨げになる」とは、こういうことである。
こんなことは書かなくてもわかる、とこの記事を書いた記者はいうだろう。
しかし、「わかりきったこと」を繰り返し書くことも大事なのだ。
いまの日本のように、平気でうそをつく安倍が政権をにぎっているときは、一度指摘したからおしまいというのではなく、なんどでもなんとでも「わかりきったこと」を書かなければならない。
安倍はうそつきだと「納得」してしまってはいけない。
毎日、「安倍はうそつきだ」と言い続けることが、いま、マスコミに求められていることかもしれない。
そのうそのなかには、この「議事録なし」という事実のように、「証拠を残さない(言わない)」ということも含まれている。
すべてを克明に語らない人間は「うそつき」なのだ。
だから、「対策検証の妨げになる可能性がある」と書いてすませる記者もまた、安倍に加担する「うそつき」のひとりである。
さらに。
出席した「専門家」は、「議事録なし」ということに納得しているのか、それを知りたい。
記者は、それを聞き出してほしい。
それだけで、この専門家会議の「性質」がどういうものかわかるはずだ。
「議事録がなかった」という「事実」だけではなく、その「事実」の背後にある「人間の事実」を書いてほしい。
安倍以外の「専門家の、人間としての事実」を書いてほしい。
https://this.kiji.is/638685726224139361?fbclid=IwAR2FD02EclBL9lBkJ7Ro_9FoU8UMpoHxXmwECfP0Cdg7Z5jVyPbfgBHlHJk
議事の概要と資料は公表されているが、各出席者の詳細な発言は記されず、対策検証の妨げになる可能性がある。
記事スペースの関係で省略されているのだろうが、こういうい書き方では「対策検証の妨げになる」という「理由」が読者には伝わりにくいだろう。
「概要と資料」だけでは、なぜいけないのか。
「概要」には、そこに書かれている意見とは異なる意見(対立意見/反対意見)が省略されているからである。言い直すと「削除」されているからである。
「削除」された意見は、結果的に無効かもしれない。しかし、そうであっても、どういう意見が「無効」なのかということを明確に認識する必要がある。
さらに「削除」された意見が「正しい」方法であると、他の国の「コロナ対策結果」「議事録」と比較してわかるかもしれない。
その場合、なぜ、「正しい意見」が削除されたのか、「正しい意見」を排除するとき、どのような議論が行われたかが問われる。
それは「資料」のどの部分に注目しなければならなかったのかということをも問い直す。
「検証」とは、あったことを問い直し、その問い直しによって「事実」を確定することである。
安倍は日本を「成功例」と呼びたいのだと思うが、「成功例」なら「成功例」であるほど、具体的な「議事録」をも提示する必要があるだろう。
「概要」だけではなく、どのように科学的な議論をして、参加者がなっとくしたのか。
それを示すことが、対策に苦慮している諸外国に対するに「助言」になる。
安倍のやっていることが「失敗隠し」なのか。
それとも「成功隠し」なのか。
どちらにしろ、「隠す」ことの弊害が大きい。
「検証の妨げになる」とは、こういうことである。
こんなことは書かなくてもわかる、とこの記事を書いた記者はいうだろう。
しかし、「わかりきったこと」を繰り返し書くことも大事なのだ。
いまの日本のように、平気でうそをつく安倍が政権をにぎっているときは、一度指摘したからおしまいというのではなく、なんどでもなんとでも「わかりきったこと」を書かなければならない。
安倍はうそつきだと「納得」してしまってはいけない。
毎日、「安倍はうそつきだ」と言い続けることが、いま、マスコミに求められていることかもしれない。
そのうそのなかには、この「議事録なし」という事実のように、「証拠を残さない(言わない)」ということも含まれている。
すべてを克明に語らない人間は「うそつき」なのだ。
だから、「対策検証の妨げになる可能性がある」と書いてすませる記者もまた、安倍に加担する「うそつき」のひとりである。
さらに。
出席した「専門家」は、「議事録なし」ということに納得しているのか、それを知りたい。
記者は、それを聞き出してほしい。
それだけで、この専門家会議の「性質」がどういうものかわかるはずだ。
「議事録がなかった」という「事実」だけではなく、その「事実」の背後にある「人間の事実」を書いてほしい。
安倍以外の「専門家の、人間としての事実」を書いてほしい。