長嶋南子「嫌われながら」、新井啓子「旅の話」(「Zero」14、2020年05月15日発行)
長嶋南子「嫌われながら」の一連目。
「他人の」と明確にいうところが、嫌悪感が強くあらわれていて、ぞくっとする。店長への反論というか、質問が、「肉体的」でいいなあ。こういうことば、「毒」があって魅力的だ。「おじさん」も発するけれど、「おじさん」がいうと「論理」になってしまって、その分「毒」が減る。「おばさん」は「毒」を「毒」のまま投げつける。つまり、「論理」ではなく、感情だね。
感情だから「毒」の論理ではない方向へことばが動いていく。
男(おじさん)なら、このあと、何がなんでも店長をやっつけるのだが、「おばさん」は妙にやさしいところがある。(あるいは、このやさしさが、冷酷なのかもしれないが。つまり、店長がその後どうなろうが知るもんか、と突き放したところがある。)
この「カラダ」と「匂い」へのこだわりは、一連目の「便器」と関係しているのだろうけれど、よくわからない。よくわからないけれど、妙にしんみりとしていて、哀しさを誘う。きっと店長を「毒」でいじめたことが、どこかにひっかかっているのだろう。
何ともいえず、やさしいのだ。
と簡単に思ってはいけない。
三連目。
もうひとり「男」が出てくる。連れ合いか、息子か。生きている限りは、いっしょに生きていかなければならない。きっと、不平をいわれるのだろう。不平をいうことが「甘え」であり、「愛」なのだが、そういう「論理」はばかばかしくてやってられない。
「論理」ではなくて、ただだれかがそれをやらなければならないだけなのだ。
これを、受け入れる。ここが「おばさん」の「度量」というものなのだ。
そうだねえ、パチンコ屋のトイレ掃除ではなく、高速道路の動物の死骸の掃除だと、どうなんだろうねえ。それはそれで、非常にさびしいかもしれない。奇妙な言い方だが、パチンコ屋の掃除の方が「店長さんは舐めるのが好きですか/汚れたものを舐めると気持ちがいいですか」と毒を吐けるだけ、感情にとっては、価値があるかもしれない。
高速道路の情景、ことばは「美しい」。いわゆる「詩」そのものを感じる。しかし、そこには「毒」を吐ける相手がいない。吐き出したいものがあっても、しまいこむしかない。そんなことをすれば、人間は死んでしまう。
「毒」は吐かねばならない。「おばさん」は、それを知っている。
*
新井啓子「旅の話」は二、三連目がおもしろい。
私の「おもしろい」には、少し註釈がいる。新井が書いていることは、「親族」が集まると自然におきることなのだろうが、読みながら私が思い出した(?)のは別のことである。
長嶋南子は、いま生きていて、詩を書いているから、こういうことを書くのは不謹慎なのだろうけれど、長嶋が死んだら、きっと私は「何度もなんども繰り返し」長嶋のことを語りそうな気がする。そして、そのとき、口をついて出てくるのが「本当にあれだよね/全くあれさ」なのである。
明確なことばではない。しかし、肉体の中に生き続けている記憶なのである。「おばさん」の記憶。長嶋には会ったこともないのだけれど。
変な感想、新井にも長嶋にも、迷惑な感想になってしまったが。
思ったことなので、しかたがない。
*
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長嶋南子「嫌われながら」の一連目。
パチンコ屋にそうじに行く
朝七時から九時まで二時間
他人の汚した便器をこすり
他人の汚した指紋をふき取り
どこもかしこも舐めても平気なようにと
店長さんはいうのです
店長さんは舐めるのが好きですか
汚れたものを舐めると気持ちがいいですか
「他人の」と明確にいうところが、嫌悪感が強くあらわれていて、ぞくっとする。店長への反論というか、質問が、「肉体的」でいいなあ。こういうことば、「毒」があって魅力的だ。「おじさん」も発するけれど、「おじさん」がいうと「論理」になってしまって、その分「毒」が減る。「おばさん」は「毒」を「毒」のまま投げつける。つまり、「論理」ではなく、感情だね。
感情だから「毒」の論理ではない方向へことばが動いていく。
男(おじさん)なら、このあと、何がなんでも店長をやっつけるのだが、「おばさん」は妙にやさしいところがある。(あるいは、このやさしさが、冷酷なのかもしれないが。つまり、店長がその後どうなろうが知るもんか、と突き放したところがある。)
わたしはきのう死にました
きょうも明日も死にます
カラダをこすって汚れをふき取り
夜はきれいなカラダになります
夢の中で死んだチビ犬がわたしを舐めまわします
朝です あらまあ また生きかえっちゃった
わたしのカラダから死臭がただよううので
香水をドバドバ振りかけて出かける
電車に乗るとわたしの隣の席が空いているのに
誰も座りません
きつい匂いは嫌われます
嫌われながら死んでいくカラダです
この「カラダ」と「匂い」へのこだわりは、一連目の「便器」と関係しているのだろうけれど、よくわからない。よくわからないけれど、妙にしんみりとしていて、哀しさを誘う。きっと店長を「毒」でいじめたことが、どこかにひっかかっているのだろう。
何ともいえず、やさしいのだ。
と簡単に思ってはいけない。
三連目。
家にはノウミソを削られた男が
死臭をただよわせて待っています
遠くの高速道路の中央分離帯あたりに
男とチビ犬のノウミソのかけらが貼りついていて
道路のそうじ人がこすっています
もうひとり「男」が出てくる。連れ合いか、息子か。生きている限りは、いっしょに生きていかなければならない。きっと、不平をいわれるのだろう。不平をいうことが「甘え」であり、「愛」なのだが、そういう「論理」はばかばかしくてやってられない。
「論理」ではなくて、ただだれかがそれをやらなければならないだけなのだ。
これを、受け入れる。ここが「おばさん」の「度量」というものなのだ。
そうだねえ、パチンコ屋のトイレ掃除ではなく、高速道路の動物の死骸の掃除だと、どうなんだろうねえ。それはそれで、非常にさびしいかもしれない。奇妙な言い方だが、パチンコ屋の掃除の方が「店長さんは舐めるのが好きですか/汚れたものを舐めると気持ちがいいですか」と毒を吐けるだけ、感情にとっては、価値があるかもしれない。
高速道路の情景、ことばは「美しい」。いわゆる「詩」そのものを感じる。しかし、そこには「毒」を吐ける相手がいない。吐き出したいものがあっても、しまいこむしかない。そんなことをすれば、人間は死んでしまう。
「毒」は吐かねばならない。「おばさん」は、それを知っている。
*
新井啓子「旅の話」は二、三連目がおもしろい。
集まるたびに
みなが思い出話をする
何度もなんども同じ話が語られる
語る人数は減っていくが
語られる人数はかわらない
いなくなってもいつも語られる人がいる
本当にあれだよね
全くあれさ なとどと
よくもわるくも
何度もなんども繰り返し語られる
私の「おもしろい」には、少し註釈がいる。新井が書いていることは、「親族」が集まると自然におきることなのだろうが、読みながら私が思い出した(?)のは別のことである。
長嶋南子は、いま生きていて、詩を書いているから、こういうことを書くのは不謹慎なのだろうけれど、長嶋が死んだら、きっと私は「何度もなんども繰り返し」長嶋のことを語りそうな気がする。そして、そのとき、口をついて出てくるのが「本当にあれだよね/全くあれさ」なのである。
明確なことばではない。しかし、肉体の中に生き続けている記憶なのである。「おばさん」の記憶。長嶋には会ったこともないのだけれど。
変な感想、新井にも長嶋にも、迷惑な感想になってしまったが。
思ったことなので、しかたがない。
*
評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
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「詩はどこにあるか」2020年1月の詩の批評を一冊にまとめました。
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(バックナンバーについては、谷内までお問い合わせください。)
オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
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(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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