詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

検察庁法案・特例法案の隠れた意味

2020-05-19 15:32:26 | 自民党憲法改正草案を読む
検察庁法案・特例法案の隠れた意味
       自民党憲法改正草案を読む/番外356(情報の読み方)

 2020年05月19日の読売新聞(西部版・14版)の1面。

検察庁法案 今国会見送り/政府・与党 「定年特例」反発受け

 という見出しがある。
 読売新聞は「定年特例」を見出しにとって、ここに問題がある、と指摘している。特例というのは、

内閣か法相が必要と認めた場合、幹部の定年を最長で3年延長できる

 というものである。
 なぜ、安倍はそれにこだわるのか。安倍の「総裁」任期は来年(2021年)秋で切れる。本来なら安倍は、改正法が施行される「2022年」には首相ではない。さらに検事総長の定年を3年延ばした「2025年」には首相であるはずがない。自分が首相でないなら、たぶん、わざわざ法改正までして、検察を思いのままに動かしたいとは思わないだろう。とくに、これだけ国民の反発を買っているのなら、「将来の政権」のためにそんなことをする必要はないだろう。
 だから、ここからは逆に考えていかないといけないのだ。
 新しい検察庁法を2022年から施行し、そのとき「検事総長」であるだろう黒川を、さらに定年延長で3年伸ばす。2025年も安倍は「総裁/首相」でいるつもりなのだ。総裁の任期(3年)を目安にしていうと3期の期限は2021年、4期は2024年、5期は2027年。安倍は、絶対に2027年までは「総裁/首相」をつづけるのだ。
 そして、安倍がこだわっている2025年には何があるか。「2024年」までではダメな理由はどこにあるのか。
 2025年には悠仁は2006年生まれの悠仁は19歳。2022年からは「成人」は「18歳」に引き下げられるから、すでに「成人」である。ここがポイントなのだ。
 私は、2016年の「平成の天皇の強制生前退位」のときから言い続けているのだが、安倍の狙いは、悠仁を天皇にすること、悠仁天皇の「生みの親」として名前を残すことである。すでに平成の天皇は強制的に退位させることに成功した。平成の天皇を沈黙させることに成功し、いまの天皇についても2012年の自民党憲法改正案にある天皇の「象徴」に関する定義を語らせることに成功している。あとはいまの天皇をやはり強制的に退位させ、次の天皇を誕生させる。秋篠はいまの天皇とおなじような年代だから交代させても「新鮮味」はない。新しい時代を印象づけるなら悠仁にまで若返りさせる必要がある。悠仁が「成人」ならば、その「成人祝い」をかねて天皇にしてしまえば、時代が変わったという印象は「令和」のとき以上だろう。「名目」なら、あとからいろいろ考え出すことができる(捏造できる)。
 2024年になるか、2025年になるのか、そこまでは予測できないが、ともかくそのころ、「悠仁天皇」が誕生する。誕生させる。そのとき、安倍は「首相」でいたい。そのために画策しているのだ。

 私の書いていることは「妄想」だろう。「妄想」であってほしいと私も願っているが(言い換えると、一日も早く安倍を首相から引き下ろし、逮捕するということが必要だと考えているが)、安倍のやっていることは、一日も長く(すくなくとも2025年までは)首相でいるということを狙って、検察庁の人事を支配しようとしている。
 黒川が「検事総長」になっても、いまの法令のままでは2022年には「定年」になってしまう。2022年では悠仁が「成人」していない。どうしても2025年まで、安倍は逮捕されるというようなことがあってはならないのだ。だからこそ、「3年」も定年を延長できるようにするのである。「1年」「2年」ではない。「3年」に意味がある。つまり「2025年」という区切りにこそ、意味がある。
 黒川の「検事長」の定年が「1年」ではなく「半年(6か月)」の延長だったのはなぜか。6か月伸ばせば、その間に、いまの検事総長が定年になる。その後任に黒川をもぐりこませることができるからだ。
 もし、いま検察が重大な「事件」をかかえているのだとしたら、黒川の定年を延長したように、稲田の定年を延長すればいいだけである。稲田の定年を延長せずに、黒田をその後任に滑り込ませようとした。そこに「意味」があるなら、その黒田を2025年までは検事総長にしつづけるということにも意味があるはずである。
 そして、その2025年までに確実に起きることは、悠仁が「成人する」ということだけである。

 2016年に、NHKが「天皇生前退位」をスクープした。ニュース元は、まだ明らかにされていない。いろいろな説があるが、私は安倍サイドからリークされたものだと確信している。なぜか。皇后が、皇后の誕生日に「生前退位」ということばに胸を痛めたと訴えたが、天皇側(宮内庁側)からなら「生前退位」ということばは出てこない。「譲位」しかない。「生前退位」というような冷たいことばは天皇を敵視している人からしか出てこない。NHKがこんな冷たいことばをそのままつかったのは、それが「権威(権力)」の側から出てきたことばだから、ことばが適切かどうか疑うこともなく、そのままつかってしまったのだ。そして、皇后がそのことについて触れたために、その後マスコミは「生前退位」ではなく「退位」というようになった。「権力がリークした」という痕跡を隠すためである。
 ことばを「抽象的」(論理的)に追いかけるだけではなく、「ことば」には必ず「使用者」(言い出した人)がいることをみつめる必要がある。「2025年」に安倍がこだわるなら、その2025年とはどういう年なのか、その前後に何があるか、それを具体的に結びつけて考えてみる必要がある。
 安倍が狙っているのは、単なる「安倍独裁」ではなく、天皇(制度)を利用した独裁である。天皇を安倍はいつでも利用している。安倍の祖父の岸や東条英機ができなかったことを安倍はもくろんでいる。そして、それを支える勢力がいる。







#検察庁法改正に反対 #安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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Estoy loco por espana(番外篇60)Joaquinの作品。

2020-05-19 09:37:03 | estoy loco por espana


El trabajo de Joaqui’n.

El ritmo de desconexio’n y conexio’n.
Es pesado en lugar de ligero.
Otros escultores pueden expresar un ritmo ma’s ligero.
O puede expresar un ritmo ma’s agudo.
El ritmo de Joaqui’n es un poco diferente del refinamiento artificial.
Natural y fisico. Es un ritmo ca’lido. Siento la voluntad de seguir viviendo.
En otras palabras.
Los humanos tropiezan y continu’an caminando incluso si tropiezan.

Joaquinの作品。

切断と接続のリズム。
軽やかというよりも、重い。
他の彫刻家なら、もっと軽いリズムを表現するかもしれない。
あるいはもっと鋭いリズムを表現するかもしれない。
ホアキンのリズムは、人工的な洗練とは、少し違う。
自然で、肉体的だ。温かいリズムだ。これからまだまだ生きていく、という意思を感じさせる。
言い換えると。
人間はつまずいてもつまずいても立ち上がり歩き続ける。
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