詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

2020年05月25日(月曜日)

2020-05-25 17:08:00 | 考える日記
「間違える」。
 だが、間違えてはいけないのか。「正しい」とは何なのか。
 ある作品について何かを書く。それは、その作品が好きだからだ。好きになった瞬間、私は私を忘れている。私は私ではない。だから「正しい/正しくない」の区別は意味がない。
 好きになるとは、自分がどうなるかを気にしないで相手についていくことだ。もう自分ではないのだから「正しい/正しくない」を考えてもしようがない。


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Estoy loco por espana(番外篇64)Lucianoの作品「叫び」

2020-05-25 16:55:26 | estoy loco por espana

El trabajo de Luciano "El grito"
Madre e hijo.
Las dos manos están completamente conectadas.
En lugar de sostener dos manos juntos, cada manos esta’n directamente conectados al cuerpo del otro (al hombre del otro).
Esta’ gritando la madre cuando escucha los gritos del nin’o?
Esta’ gritando el nin’o cuando escucha el dolor de su madre?
Esta’n gritando el mismo sufrimiento y tristeza?
Esta’n gritando en diferentes voces?
No lo se’.
No tengo que hacer una distincio’n.
El movimiento físico de los gritos y el movimiento de la vida conectan a los dos.
Lo que necesito ahora es gritar. Y escuchar el grito. Al escuchar un grito, no podemos simplemente abrazar a la otra persona. Tenemos que gritar juntos
En ese momento, nace un "grito" que no existi’a antes.

Lucianoの作品「叫び」
母親と子どもだろうか。
二人の手は完全につながっている。
手と手がつながっているというよりも、それぞれの手が相手の肉体(肩)に直接つながっている。
子どもの苦悩の叫びを聞き、母親も叫んでいるのか。
母親の哀しみの叫びを聞き、子どもも叫んでいるのか。
二人は同じ苦悩、哀しみを叫んでいるのか。
二人は違う声で叫んでいるのか。
わからない。
それは区別しなくてもいいことなのだろう。
叫ぶという肉体の動き、命の動きが二人をつなぐ。
いま必要なのは叫ぶこと。そして、その叫びを聞くこと。叫びを聞いたら、相手を抱きしめるだけではダメだ。いっしょに叫ぶのだ。
そのとき、いままでそこになかった「叫び」が生まれる。
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大竹しのぶの言っていることは正しいけれど

2020-05-25 13:27:36 | 自民党憲法改正草案を読む
大竹しのぶの言っていることは正しいけれど。
       自民党憲法改正草案を読む/番外360(情報の読み方)

 ヤフーニュースが、「日刊スポーツ」のニュースを配信している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3c79828590bdf191f30fe639fd6d0ac1938e02cc?fbclid=IwAR0D8Jwp0fumNXwRa9Y9PyEjldg5A73Y-ebMt7gUtN-3uKSUnoml6st53cw
*******************
大竹しのぶ「なぜ麻雀。怒りを通り越し恐ろしい」
女優の大竹しのぶ(62)が、東京高検の黒川弘務検事長の賭けマージャン問題に「怒りを通り越して、恐ろしい」との思いをつづった。
大竹は22日、インスタグラムを更新。「信じられない事が昨日の夜ありましたね。検察官というのは法を犯した人を起訴できる唯一の仕事であるはずなのに、その人が、かけ麻雀をしていたなんて、しかも事実を伝えるべき仕事の新聞記者と」と言及した。
続けて「自粛を守り、沢山の人が苦しい思いをしています。長い間守ってきたお店を閉めた人、面会することも許されず、病院で亡くなった方もいることでしょう。先が見えずに命を絶ってしまった方もいました。犯罪に走った人も。そして命をかけて働いている医療従事者の方たち、明日からどうやって生きていけばいいのか、途方に暮れている人たち。そんな人がいる中で、なぜ麻雀ができるのだろう。わからない」と憤り、「怒りを通り越して、恐ろしいと思いました」とつづった。
********************
 大竹しのぶのことばは「意味」わかるけれど、私は違和感をおぼえる。
 誰だって「自粛」なんかしたくない。ばれないなら、羽目を外したい。ここから出発しないと、世の中が窮屈になる。(人が人を監視する社会になっては、つまらない。)
 さらに問題は。
 「悪いのは黒川だ」ということに意見が集中してしまう。黒川攻撃が始まる。
でも、ほんとうに問題なのは何?
 黒川が賭けマージャンをしたこと?
 そうではなくて、そういう黒川の検事長の定年を延長し、さらに黒川を検事総長にしようとした人間がいること。
 そこに目を向けないといけない。
 「検察庁法改正」で盛りあがった「ツイッターデモ」は、いま、どうなっているか。
 「黒川の賭けマージャンは許せない」「黒川が訓告処分で、退職金を7000万円ももらうのは許せない」というような黒川攻撃に集中していないか。
 安倍はどうなったんだ????
 安倍の「独裁」に対する「反対デモ」が、いつのまにか「黒川攻撃」にすりかえられている。
 安倍の作戦( 安倍批判の矛先を変える) に、まんまと乗せられてしまっている、と私は感じる。
 「有名人も検察庁法改正に反対している」が「有名人も黒川の自粛無視、賭けマージャンを怒っている」にすりかえられている。
 もう一度、安倍批判にもどろう。
 安倍は黒川を「懲戒」ではなく、「訓告」にした。しかも「訓告」処分を決定したのは 稲田だと、他人に責任を転嫁した。
 黒川に退職金7000万円の道を残した。
 黒川を逮捕するという道を閉ざそうとしている。
 すべて安倍がやっていることだ。
 安倍に目を向けよう。
 おそろしいのは黒川ではない。
 安倍だ。
 「黒川次期検事総長に起用」についてだって、安倍は「黒川の実態を知らなかった。稲田や法務省( 法相) の報告にだまされた」と言い逃れるだろう。森友学園・鴻池のとき、安倍は国会で「鴻池は詐欺師だ」と批判したことを思い出そう。
 不都合なことが起きれば、それはすべて「他人のせい」にしてしまう安倍。
 それを忘れてはならない。


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