詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「現代詩通信講座」開講のお知らせ

2020-06-24 23:40:25 | 現代詩講座
メールを使っての「現代詩通信講座」をはじめます。
メールで作品を送ってください。
詩への講評(感想)、推敲のヒントを1週間以内に返送します。

定員30人。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A版サイズのワード文書でお送りください。

講評、ヒントへの質問にも応じます。
1回あたり500円を予定しています。

推薦作は、ブログ「詩はどこにあるか」で紹介します。
(ただし、掲載を希望されない場合は紹介しません。)

先着15人に限り1回目(40行以内)は無料です。16-30人は1回目は 500円です。
2回目から1篇1000円になります。
ただし、無料、および500円は6月末までです。
「体験申し込み」はお早めに。

お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com
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斎藤恵子『熾火をむなうちにしずめ』

2020-06-24 09:35:18 | 詩集
斎藤恵子『熾火をむなうちにしずめ』(思潮社、2020年04月30日発行)

 斎藤恵子『熾火をむなうちにしずめ』は、詩集のタイトルが意味を持ちすぎるかもしれない。読む前から、内容を想像してしまう。胸の奥には消せない火(情熱/思い)がある。それをしずめるようにして生きている。
 この「先入観」を、私は捨てることができるだろうか。なかなかむずかしい。
 たとえば「鉄道草」。

黄昏だった
火の色に染まった数千のうす刃の葉が空を裂き
風になびくたびわたしのほほを切る

 この書き出しだけで、失恋した女を想像してしまう。失恋したけれど、「恋ごころ(恋の火)」を捨てたわけではない。それが胸の奥に残っている。それに呼応するように黄昏の空は赤い。そして薄(すすき)の葉が空を傷つけるとき、それはまた「わたしのほほ」を傷つけ、そこから血(恋の火)が吹き出る。
 斎藤は違うことを書いているのかもしれない。しかし、私には「先入観」があるので、どうしても「定型」にあわせて読んでしまう。
 こういうことが頻繁に起こる。「微暑」は「恋」とは関係がないかもしれないが、

ひかりが皺ばみ
 ふ
 ふ
子音が生まれみどりに染まる

 「みどり」と「生まれる」が「みどりご」を連想させる。そして、そこに赤ん坊を生むという「女の性」が重なる。「先入観」というのは、捨てきれないものである。これは斎藤の問題ではなく、私の問題なのだが。
 この私の「先入観」が消えるのは、詩集の最後の方にたどりついてからである。「屍人(しびと)はいません」。

玄関ドアのそばの電柱に大きなカラス
五、六羽それぞれ足場ボルトにとまり
翼をたたみわたしを視ている
矢庭にバッサバッサ羽根をひろげ
黒い嘴から威嚇の声を放つ
 カオー
屍人をさがしているのだ

 この詩は、「音」が違う。即物的で、粗い。「こころ」を無視している。「バッサバッサ」は、それこそありきたりの音(定型の音)だが、この「存在の定型」が「こころの定型」を拒絶する、あるいは無視するという感じが、なかなかおもしろい。
 これに対抗して、斎藤のことばは、それまでの詩とは違った動きをする。

わたしはくびをふった
 いません
カラスはねめつける眼ざしで
わたしを視つめ なおも
 ガオ ガオ
わめき
いっせいに勢いをつけ電柱をゆらし跳ねた

 「対象」となじむのではなく、闘う。「鉄道草」では、外部の存在によって傷つき、傷つくことで内部にあるもの(血、こころ)が外部に誘い出されるのにまかせていたが、ここでは、自分の「思い」を重視している。「思い/こころ」「抒情」になることを否定している。

今朝 病んで眠っていたひとは
ちいさな息をしていた
 ああ 生きている
わたしは安堵のため息をついた
窓を見ると
ベランダにカラスがいる
死ぬかとしれないと思ったことが
伝わったのかもしれない

 カラスと死。私は小さいこと、カラスが屋根に止まると、その家から死人が出る、と感じていた。実際、小学時代の級友の祖父母が死ぬとき、必ずその家の屋根にはカラスが二羽、三羽と止まっていたのだ。
 そんなことを思い出した。
 「死への畏怖/恐怖」というのも「思い(こころ)」には違いないが、そこには「女のこころ」とは別のものが動いていると、私は感じる。たまたま、そのとき斎藤が「女」であるだけであって、「性」は必然ではない。
 「鳥装」という詩があって、そのことばは、私には「鳥葬」として響いてくる。

鳥装のひとがたを見ました
翼がむねの前で交叉され
羽根に擁かれるような恰好になっているのです

 この「鳥装」は「屍人はいません」には、こんなふうに蘇ってくる。

追い払わなければ--
わたしは母の褪せた喪服をはおった
両腕をひろげ
袖を翼のようにばたつかせ
巨大カラスに見せかけるのだ

電柱の下でわたしは背伸びをして
黒い袂をじょうげに振りゆすった
わっさ わっさ
風切羽の大きな音をさせる
 屍人はいません

 これは「記憶」としての「現実」だろう。そういう意味では、記憶は「熾火」となって斎藤の胸の内にあるということになる。それを鎮めるために詩を書く。しかし、ことばは思いを鎮めるということはない。必ず、思いをより鮮明にする。蘇らせるものである。だから、こういう詩を書くことは、一種の矛盾なのだが、矛盾だからこそ、そこに「必然としての事実」、つまり「真実」がある。
 詩集の最後の「みどりの点点」は、この詩集のなかでいちばん感動的な作品だが、それについては書かない。「到達点」よりも、私は、そこに至る「過程」の方に、つまり行方もわからずうごめいている運動(ことばの運動)の方に関心があるからだ。「屍人はいません」は、ある意味では詩集全体を突き破っている。だが、だからこそ、そこに斎藤がいると私は感じる。「屍人はいません」は、詩のキーワードではなく、詩集の「キーワード」のようにして存在している。







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