中上哲夫「岩だらけの詩」(「独合点」140、2020年06月10日発行)
中上哲夫「岩だらけの詩」の全行。
「まるで空から降ってきたみたいに」が、とてもいい。「まるで」が直喩がはじまることを予告している。「まるで」がなかったら、この直喩は唐突すぎる。きっと考え込んでしまう。「まるで」があるから納得する。この「まるで」は直喩を予告するだけではなく、中上が「まるで」を言ったあとで「空から降ってきた」ということばを待っている「時間」のようなものを感じさせる。びっくりしたとき、そのびっくりはすぐにはことばにならない。「まるで」と言って、それからここばを整える。遅れてくることばを誘い出すというよりも、待っている感じ。さっと書いたことばのようだけれど、ここにたどりつくまでには「時間」がかかっている。そして、その「時間」がかかっているということが、リアルに、ライブ感覚で伝わってくる。いっしょに岩だらけの村を歩きながら感想を言い合っている感じがするのだ。
つづいて「ごろんごろんと象のような岩が」と、また直喩があるのだが、この「象」は、私には聞こえてこない。見えてこない。最初に引用するとき、省略して引用して、いま書き加えたくらいだ。それくらい「まるで空から降ってきたみたいに」が強いのだ。「象」の比喩は、中上が「まるで空から降ってきたみたいに」と言ったことばを聞いて、連れが「そうだね、象みたいだね」と付け加えたような、ちょっと間の抜けた(?)ところがある。
このあと、なぜ、岩が転がっているかが「解説」される。ここは散文だ。
「気にする者などいない」とは言うが、そういうことばが生まれてくるくらいには、実は「気にしている」。この散文特有の矛盾を乗り越えてことばが加速して、「結論」が書かれる。「矛盾」は「起承転結」の「転」だね。
「片目をつぶってみせる」は「ウィンク」のことだが、この「しぐさ」が「まるで空から降ってきたみたいに」の「まるで」と同じ働きをしている。これから、ちょっと違うことを言うからね、という合図。嘘だよ。でも、嘘には「ほんとう」が含まれているんだよ。嘘とは比喩のことである。
で、その「ほんとう」というのは、「呑んだくれの兄貴のように」ではないのだ。この直喩ではないのだ。こういう「心情」をくすぐる比喩というのは、「その家の主」でなくても言えるかもしれない。つまり、想像ででっちあげることができるかもしれない。
けれど。
この比喩は、頭ではでっちあげられない。そこにいる人、そこに暮らしている人にしか言えない。岩だらけの土地で暮らす。水をどうするか。水は川が頼りなのだ。川が枯れたら、人は「わあわあ」とは泣かない。泣いている暇などない。水を探すという新しい労働に駆り立てられる。だから、ここには「嘘」があるのだが、その「嘘」は、他の人にはつけない「ほんとうの嘘」なのだ。「ほんとう」は声に出さずに、こころのなかでわあわあ泣きながら水を運んでいるのだ。その土地へ行って、そこに暮らす人と話すことで、やっと手に入れることのできる「ほんとう」なのだ。
旅行記風に、簡単にスケッチしている感じがする。ただ思い出を書き飛ばしているように見える。でも、この詩は、「ほんとう」にその土地を歩かなければ書くことができない詩であり、その「ほんとう」をことばのリズムが正直に再現している。
「岩だらけの詩」とタイトルに「詩」ということばをいれて、ちょっと照れたように差し出しているところも、とても気持ちがいい。
この「詩」には、自分が書いたことばという以上に、そこで暮らしている人の「ことば」という意味が含まれている。他人というか、自分ではない「絶対的な存在」が発したことば、自分(中上)を超越したことばを「詩」と呼んでおり、この作品の場合、それは最後の鍵括弧ののなかの「その家の主」のことばなのだ。他者のことばだけれど、聞いた瞬間に自分ことばになる。そういう体験を「詩を読む」というが、中上は、そうした意味を「詩」ということばにこめているのだ。
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中上哲夫「岩だらけの詩」の全行。
道といわず
庭といわず
畑といわず
野原といわず
丘といわず
森といわず
どこもかしこも岩だらけなのだ
まるで空から降ってきたみたいに
ごろんごろんと象のような岩がころがっている村があるのだ
ヨーロッパのずっと北の方に
太古の昔
氷河が運んできたものだというのだが
気にする者などいない
古い隣人として
ともに暮らしているのだ
屋敷内に頭を出した岩礁をなでながら
その家の主が片目をつぶってみせる
「呑んだくれの兄貴のように
素敵じゃないか
もし彼がいなくなったら
みんなわあわあ泣くだろうな
川が水を失ったときのように」
「まるで空から降ってきたみたいに」が、とてもいい。「まるで」が直喩がはじまることを予告している。「まるで」がなかったら、この直喩は唐突すぎる。きっと考え込んでしまう。「まるで」があるから納得する。この「まるで」は直喩を予告するだけではなく、中上が「まるで」を言ったあとで「空から降ってきた」ということばを待っている「時間」のようなものを感じさせる。びっくりしたとき、そのびっくりはすぐにはことばにならない。「まるで」と言って、それからここばを整える。遅れてくることばを誘い出すというよりも、待っている感じ。さっと書いたことばのようだけれど、ここにたどりつくまでには「時間」がかかっている。そして、その「時間」がかかっているということが、リアルに、ライブ感覚で伝わってくる。いっしょに岩だらけの村を歩きながら感想を言い合っている感じがするのだ。
つづいて「ごろんごろんと象のような岩が」と、また直喩があるのだが、この「象」は、私には聞こえてこない。見えてこない。最初に引用するとき、省略して引用して、いま書き加えたくらいだ。それくらい「まるで空から降ってきたみたいに」が強いのだ。「象」の比喩は、中上が「まるで空から降ってきたみたいに」と言ったことばを聞いて、連れが「そうだね、象みたいだね」と付け加えたような、ちょっと間の抜けた(?)ところがある。
このあと、なぜ、岩が転がっているかが「解説」される。ここは散文だ。
「気にする者などいない」とは言うが、そういうことばが生まれてくるくらいには、実は「気にしている」。この散文特有の矛盾を乗り越えてことばが加速して、「結論」が書かれる。「矛盾」は「起承転結」の「転」だね。
「片目をつぶってみせる」は「ウィンク」のことだが、この「しぐさ」が「まるで空から降ってきたみたいに」の「まるで」と同じ働きをしている。これから、ちょっと違うことを言うからね、という合図。嘘だよ。でも、嘘には「ほんとう」が含まれているんだよ。嘘とは比喩のことである。
で、その「ほんとう」というのは、「呑んだくれの兄貴のように」ではないのだ。この直喩ではないのだ。こういう「心情」をくすぐる比喩というのは、「その家の主」でなくても言えるかもしれない。つまり、想像ででっちあげることができるかもしれない。
けれど。
川が水を失ったときのように
この比喩は、頭ではでっちあげられない。そこにいる人、そこに暮らしている人にしか言えない。岩だらけの土地で暮らす。水をどうするか。水は川が頼りなのだ。川が枯れたら、人は「わあわあ」とは泣かない。泣いている暇などない。水を探すという新しい労働に駆り立てられる。だから、ここには「嘘」があるのだが、その「嘘」は、他の人にはつけない「ほんとうの嘘」なのだ。「ほんとう」は声に出さずに、こころのなかでわあわあ泣きながら水を運んでいるのだ。その土地へ行って、そこに暮らす人と話すことで、やっと手に入れることのできる「ほんとう」なのだ。
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この「詩」には、自分が書いたことばという以上に、そこで暮らしている人の「ことば」という意味が含まれている。他人というか、自分ではない「絶対的な存在」が発したことば、自分(中上)を超越したことばを「詩」と呼んでおり、この作品の場合、それは最後の鍵括弧ののなかの「その家の主」のことばなのだ。他者のことばだけれど、聞いた瞬間に自分ことばになる。そういう体験を「詩を読む」というが、中上は、そうした意味を「詩」ということばにこめているのだ。
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(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
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