詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

石毛拓郎「峠の墳墓にて」

2020-06-18 12:07:06 | 詩(雑誌・同人誌)
石毛拓郎「峠の墳墓にて」(「飛脚」24、2020年06月10日発行)

 石毛拓郎「峠の墳墓にて」は国木田独歩のことを書いている。
 石毛と私の考え方のいちばんの違いは、石毛が「存在」を社会にかえしながら考えるのに対し、私は社会を気にしない(忘れてしまう)ということにあると思う。と、書くと抽象的だが。
 独歩を書くにあたって、石毛は「出産」から書いている。男と女がいて、交わって、子供が産まれる。これはごくあたりまえのことなので、私は男と女がだれであったか気にしたことはないが、石毛は男と女を特定し、そこに「社会」を見ているのである。
 これは、「おさらい」。私は、あ、そうなんだとは思うが、それ以上考えるのはめんどうなので、そこに書いてあることを気にしない。
 で、いきなり最終連をひく。

風に吹かれて
若葉にすくぶる峠の墳墓にたつと
そこに民権運動が眠っている
独歩は、口を手で隠して
なにごとか海外にむかって叫んでいる
山林をのぼり、峠を越えた者たち
峠で息絶えた者たち
峠の変哲もない墓地で
ひと口、喉を湿らしていたら
黒い外套の独歩が
匕首を抜いて、墓地の塵を払い
虚栄の自由を切り裂いていった

「なにごとか海外にむかって叫んでいる」という一行で、私は立ち止まる。
「なにごとか」が何を指すか、石毛にはわかっている。私は独歩のことは「名前」くらいしか知らないので、その「なにごとか」がわからない。ここに石毛と私の違いがあるのだが、なぜ、私は石毛が「なにごとか」について知っているかと「わかる」か、というと……。
「海外にむかって」ということばがあるからだ。
峠から見える「海」に向かってではない。「海」のはるか向こうの「海外」に向かって叫んでいる。このときの「海外」というのは「具体」であると同時に抽象である。単に「土地」を指すのではなく、土地の「意味」を含んでいる。その「意味」は「自由」である。
独歩は、海に向かって叫んだのではない。ましてや、「海外の国」に向かって叫んだのでもない。「海外の国」のひとには、独歩の「叫び」など聞こえるはずがない。独歩が叫んだのは「自由」に向かって叫んだのであり、その「自由」とは独歩が知っている何かなのだ。独歩は、独歩が知っていることを、独歩自身に向かって叫んだのだ。「口を手で隠して」いるのは、その「叫び」が他人に聞かせるものではなく、自分にさえ聞こえればいいものだからである。それは独歩の肉体を突き破って、独歩の前にひろがり、独歩は自分の「肉体」から噴出した「自由/叫び」に向かって自分の「肉体」を動かす。
そういうことを、

匕首を抜いて、墓地の塵を払い
虚栄の自由を切り裂いていった

と石毛は言い直している。そう「ことば」にすることで、石毛は、いまひとりの「
独歩」になるのである。「なにごとか」とし言えない「叫び」をそのままことばにするのはむずかしい。しかし、独歩がしたこと(肉体の動き)なら、石毛はその肉体を追体験できる。追体験することで、独歩になる。
 (二連目から引用した方が、「肉体」の動き、独歩と石毛の「重なり」がわかりやすいのだが、省略した。)



 石毛は「言わずに死ねるかい!」というコラムを、「どこか」に書いている。「どこか」については以前聞いたことがあると思うが、忘れた。その「94」のなかに、こんな文章がある。

 ある日、ある集会の帰り際、見知らぬ若い男につかまり、立ち話で聞かされた。その若者が《こんな小さな集会でも、ここでは安心して真面目になれる》と、真顔で言うのだ。

 石毛はそのことばに「心底、驚いた」と書いている。私も驚いた。石毛が「驚いた」のは、どのことばか。「ことば」全体、その「意味」か。
 私は「安心して」に驚いた。真面目になるのに、「安心」「不安」ということばがついてまわるのか。
 私の子どものころは、ふざけていると「真面目になれ」(真面目にやれ)と叱られたけれど、つまり「不真面目」だと叱られるという「不安」がついて回ったものだけれど、いまは、逆。ふーん、そうなのか。私は、それ以上考えなかったが、石毛は考えている。それについては書かない。ただ、そこでも私は、石毛と私の違いを感じた。
 私は年をとるとともに「自己中心」になってしまって、「社会」を考えるのがめんどうくさい。もう、自分一人で手いっぱい。「その人」の向こう側までつながってみようという気力がなくなってしまった。石毛は、偉い、と思う。





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陸上イージス(その3)

2020-06-18 09:16:10 | 自民党憲法改正草案を読む
陸上イージス(その3)
       自民党憲法改正草案を読む/番外363(情報の読み方)

 2020年06月18日の読売新聞(西部版・14版)の一面。

河井夫妻に出頭要請/検察 買収容疑で逮捕へ

北「前線部隊強化」計画/挑発続く 韓国統一相が辞意

コロナ対策 閉会中審査/国会閉会 検察庁法改正案 廃案

 ニュースが並んでいる。「陸上イージス停止」の報道はどこにも見当たらない。一面以外の他面にも書かれていない。
 とても不思議だ。
 私がいちばん知りたいのは、アメリカの反応。どうして、アメリカの反応がないのだろうか。
 疑問点は二つある。
①秋田の陸上イージスはハワイの米軍基地を守るため、山口の陸上イージスはグアムを守るためにあると見られているが、アメリカはハワイとグアムをどう守ることにしたのか。日本の、アメリカに対する「防衛負担」はどうなるのか。
②陸上イージスの「購入費」はどうなるのか。購入費に続いて「維持費」もアメリカの軍需産業の収入になるはずだが、アメリカは「収入源」に対して日本に苦情を言わないのか。これは、「防衛費負担」の問題と言い直せそうである。

 そして、この①と②から、こんなことを考えてしまうのである。
 河野は、陸上イージスを改善費のために、膨大な金がかかる。費用対効果が低い、というようなことを言った。つまり、防衛と金の関係に問題があると言った。
 同じ問題は、辺野古でも起きている。埋立工事が軟弱地盤のために、ほんとうに完成するのかどうかわからない。つまり、防衛の役にたつのか、費用はいくらかかるかわからない。
 でも、河野は中止するとは言わない。
 陸上イージスと辺野古基地とどう違うのか。「金の流れ」が違う。陸上イージスは、金が日本からアメリカの軍需産業へ流れる。辺野古では、日本の金が日本の企業に流れる。そして、企業に流れた金はどうなるか。
 陸上イージスの場合、アメリカの軍需産業から、日本政府に金がキックバックされることはないだろう。キックバックがあるとしたらトランプへの「献金」という形になるだろう。
 しかし、辺野古の場合はどうか。日本の金は、日本の土木建築業者に支払われる。日本の企業だ。その企業から安倍に対してキックバックがあるだろう。献金だけでではなく、選挙時の「投票(票固め)」というキックバックもあるだろう。
 陸上イージスは、安倍にとって「金づる」ではない。しかし辺野古は「金づる」である。その違いが、陸上イージスは停止できても、辺野古は中断・廃止はできない理由である。アメリカの防衛戦略ともアメリカの軍需産業の利益とも関係がない。アメリカの防衛戦略、軍需産業の利益を考慮するとき、他の武器で代替できる。
 陸上イージスがだめなら、イージス艦を増やせばいい。イージス艦向けの武器を売ればいい。イージス艦増強の必要性があるという「解説」なら、すでに紙面化されている。
 06月17日の読売新聞(西部版・14版)2面。

「前提違う 進められぬ」/首相 陸上イージス代替検討へ

 という見出しで、イージス艦増強の案が書かれている。イージス艦は来年3月に8隻になるが、さらに増やすのだろう。契約済みの陸上イージスのためのレーダーなどについては、イージス艦や、他のレーダーサイトで使い道がある、という。
 つまり、陸上イージスの「全システム」は購入しないが、部品をさまざまな形で購入し続け(爆買いを続け)、アメリカの軍需産業の損失にはならないようにする、という「密約」のようなものが、すでにできているのだ。
 だから、「突然」、陸上イージスは停止、と河野が言えたのである。
 そして。
 この17日の2面のニュースの見出しには、「河野(防衛相)」の名前はなく、かわりに「首相(安倍)」が前面に出てきている。記者団に答える安倍の写真まで掲載されている。主役が河野から安倍に代わっている。
 ここが、とてもおもしろいというか、読売新聞ならではの「配慮(ニュース報道)」になっている。
 陸上イージス停止を安倍が発表すれば、河野が発表した以上に衝撃は大きい。「防衛相の決断」ではなく「安倍の決断」になるからだ。しかし、実際は安倍が決断している。安倍が河野をあやつっているということを、「首相 陸上イージス代替検討へ」ということばであらわしている。陸上イージスの代替をどうするか、それを検討し、決断するのは河野(防衛相)ではない、と明記している。

 私は、山本太郎の都知事選立候補表明の直後に、陸上イージス停止が発表されたこと、それについてのアメリカの反応がどこにも書かれていないことから、アメリカの方針が変わったのではないか、という「予測」を書いたが、どうも無関係らしい。
 すでにアメリカとの「密約」は終わっている。
 読売新聞の記者は、そういうことも、どうやら「把握」しているらしい。つまり、関係者から「リーク」されているということだろう。今後、予定されていた「爆買い防衛費」は、どうアメリカに支出されるのか(形を変えた爆買いになるのか)、みんな知っているのだ。知っていて、書かない。

 「知っていて、書かない」に類似したニュースでは18日の4面に「国会閉会」と絡んで、とてもおもしろい記事が載っている。

#国会を止めるな 野党の運動不発

 国会は会期延長がないまま閉会する。これは、野党がSNSで呼びかけた「#国会を止めるな」が盛りあがらなかった「証拠」である、と告げるニュースである。野党の力は弱い、と知らせるためのニュースであり、わざわざ鳥海・東大准教授の、

「広告のプロでもネットの世論をつかむのはむずかしい。素人の国会議員が仕掛けて成功するはずがない」

 という否定的コメントを引き出している。
 これは黒川辞任に追い込んだときの、検察庁法改正見送りという「スクープ」を報じたとき「世論の反発(世論の勝利)」のような表現をつかったのと対照的だ。黒川辞任に至るだろうということを知っていて、先に「世論の反発(世論の勝利)」を打ち出し、そのあとで黒川辞任へと「情報」を落着させたのだ。検察庁法改正→黒川検事総長誕生→賭けマージャン発覚だと、きっと安倍はてんやわんやになっていただろう。「世論の勝利」という形で、いったん「ガス抜き」が行われた。その「誘導」に読売新聞がつかわれた、ということだ。
 読売新聞は、SNSの運動(世論の動き)には否定的であるというのは、「スクープ」以前の報道、そして、今回の4面の報道の仕方を見れば、はっきりしている。そして、それだからこそ、ことばにならない部分で、政治がどう動いているかをいろいろと想像させてくる。なまぐささが漂ってくる貴重な「情報源」でもある。





#検察庁法改正に反対 #安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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