徳永孝「カルダモン ミルクティー」、池田清子「独り言」、青柳俊哉「言葉の糸」(朝日カルチャーセンター福岡、2020年06月15日)
紅茶をいれて飲む。そのことが書いてあるだけ、と思うが、そうではない。ここには「事実」が書いてあるというよりも、ことばが「音楽」そのものである、ということが書かれている。
「ジンジャー」と「ホワジャオ」の響きあいが楽しい。カタカナと漢字のすれ違いも楽しい。響きあい、すれ違いと感じるのは「ジ」の音が交錯するからだろうか。
とりわけ二連目の
の音の響きが美しい。楽しい。「ン」という音ではない音(?)がリズムをつくっている。「ダ」という濁音が一回だけ登場するのも、響きの強さ(豊かさ)を感じさせる。
発音する人によって違うだろうけれど、私は「ダ」と「ラ」の類似性も、この一行を不思議な響きにしている要素のひとつだと思う。
読んだ後、それでは何が書いてあった? というようなことを語り始めると、「意味」がみつからずに困るかもしれない。しかし、世界は意味だけではできていない。声に出すと楽しい、耳がうれしがっているだけではなく、声に出すときに動く喉とか舌とかも、きっと喜んでいる。
もう一篇、「音の見える世界」の一連目も楽しかった。
「ブラック」は画家、絵本作家「エリック・カール」につながっていくのだが、意味よりも、ここでも「音」の方が行と行をつないでいる。
「意味」というものは、人間ならだれでも自分自身の意味をかかえて生きている。だから、必要ならばいつでも意味は捏造できるものである。たとえば、いま書いたブラックは画家であり、その「絵」の印象が二行目のエリック・カールを誘い出している。一行目と二行目は無関係なようで関係がある、という具合に。
でも、こういうことは気にしないで、ただ、あ、何か美しい音が響いていると感じること、その感じに肉体をあずけてみるということも必要だと思う。
意味がわからないけれど、読んでいて「音」が気持ちがいい、あるいは逆に意味はわかるし、説得力もあるが、どうも音の響きが重くて説教くさくて、いやだなあ、と感じる詩もある。
「音(音楽)」は無意識の連想を活性化させるように思える。
*
参加者のひとりが、「痛みをじぶんのことばのなかで消化している。ことばに返還することで、内容は心地よくないのに、何かここちよいものに変わっている」と感想を語った。「消化」は「昇華」であり、また「浄化」ということだろう。私は「消化」と最初に書いたが、参加者が言ったのは「昇華」だったかもしれないし、「浄化」だったかもしれない。
意味を特定せずに、「消化/昇華/浄化」のままにしておく。
「痛みを持ちこたえている底力、しぶとさ」のようなものがあるという感想も聞かれた。
たぶん最後の二行の繰り返しが効果的なのだと思う。一度では「痛み」が強すぎる。もし、これが三回、四回と繰り返されていたら、また印象が違うと思う。二回だから、効果的。二回の繰り返しのなかで、きっと「音」が変わっている。その音の変化が気持ち(感情)の変化だ。同じ文字が書かれているのだが、音が変化していると感じるのは、私たちが、「痛いなぁ」を繰り返して言った体験があるからだ。「肉体」が、詩に反応しているのだ。
*
参加者から「イメージが広がっていく。やがて消えていくのだけれど、その変化が気持ちがいい」と「わかりにくい」という感想があった。
イメージの変化、イメージの移動については、わかりにくさは、こう指摘しなおすことができると思う。
タイトルの「言葉の糸」が三行目に出てくる。「無意識」ということばが直前にあるが、この「言葉の糸」は「肉体(五感)」では見えない何か、意識でとらえた「事実」だろう。「日ざかりの庭」という現実が、意識の「事実」(心象)へと変化して、動いていく。(「現実」から「意識」へと世界の次元が変化していっているから、区別がつきにくいということかもしれない。)
「庭」と「言葉の糸(意識)/無意識」の、どれがいちばん大きな存在か、特定するのはむずかしいが、対象を把握するために意識が移動しながら焦点を動かしている感じがする。
それは二連目で、さらに明確な運動になる。「絵はがき」は小さい。現実の「海」は絵はがきにはおさまり切れない。しかし絵はがきのなかに描かれた海がある。それは現実の海ではなく、意識が海と判断している何かだ。その大きな海は海より小さい「流木」が対比され、さらに小さい「羽」へと視線が動いている。動いていくけれど、その大から小への動きがスムーズなので、動いていることを忘れてしまう。
私は三連目の「蝉声」にとまどっていたのだが、作者が、河野裕子の歌集(歌)からの引用だと言った。河野裕子は、「豊饒の海」の作者・三島由紀夫と「言葉の糸」によってつながっていく。ふたりとも死んでしまった。そしてそのことが「リンネ(輪廻)」ということばで、しっかりと結びついた作品だ。
私は、一連目の羽、二連目の羽を「言葉の糸」というイメージから繊細な白い(儚い)羽を想像したが、青柳は、黒い羽だと言った。黒が、二人の死、さらに「輪廻」へとつながっていくのか、納得した。
一、二連目に死につながる明確なイメージがあれば、「蝉声」と死がもっとわかりやすくなったのではないか、と思う。
*
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カルダモン ミルクティー 徳永孝
きっ茶店で飲む
家でいれてみる
ジンジャーを足してもいい
花椒(ホワジャオ)はどうかな
インドでは
スルタンがチャイを飲む
カルダモンの産地スリランカ
シンハラ人 タミル人の島
仏教の国
紅茶をいれて飲む。そのことが書いてあるだけ、と思うが、そうではない。ここには「事実」が書いてあるというよりも、ことばが「音楽」そのものである、ということが書かれている。
「ジンジャー」と「ホワジャオ」の響きあいが楽しい。カタカナと漢字のすれ違いも楽しい。響きあい、すれ違いと感じるのは「ジ」の音が交錯するからだろうか。
とりわけ二連目の
カルダモンの産地スリランカ
の音の響きが美しい。楽しい。「ン」という音ではない音(?)がリズムをつくっている。「ダ」という濁音が一回だけ登場するのも、響きの強さ(豊かさ)を感じさせる。
発音する人によって違うだろうけれど、私は「ダ」と「ラ」の類似性も、この一行を不思議な響きにしている要素のひとつだと思う。
読んだ後、それでは何が書いてあった? というようなことを語り始めると、「意味」がみつからずに困るかもしれない。しかし、世界は意味だけではできていない。声に出すと楽しい、耳がうれしがっているだけではなく、声に出すときに動く喉とか舌とかも、きっと喜んでいる。
もう一篇、「音の見える世界」の一連目も楽しかった。
ブラックのバイオリニスト
エリック・カールの I see a song
音楽の星 Jelly Jum
時の終わりのための四重奏曲
メシアンにも音が見えていたのかな
「ブラック」は画家、絵本作家「エリック・カール」につながっていくのだが、意味よりも、ここでも「音」の方が行と行をつないでいる。
「意味」というものは、人間ならだれでも自分自身の意味をかかえて生きている。だから、必要ならばいつでも意味は捏造できるものである。たとえば、いま書いたブラックは画家であり、その「絵」の印象が二行目のエリック・カールを誘い出している。一行目と二行目は無関係なようで関係がある、という具合に。
でも、こういうことは気にしないで、ただ、あ、何か美しい音が響いていると感じること、その感じに肉体をあずけてみるということも必要だと思う。
意味がわからないけれど、読んでいて「音」が気持ちがいい、あるいは逆に意味はわかるし、説得力もあるが、どうも音の響きが重くて説教くさくて、いやだなあ、と感じる詩もある。
「音(音楽)」は無意識の連想を活性化させるように思える。
*
独り言 池田清子
強烈な
パンチを
くらった
ぱん ぱん ぱん ぱん
痛いなぁ
痛いなぁ
参加者のひとりが、「痛みをじぶんのことばのなかで消化している。ことばに返還することで、内容は心地よくないのに、何かここちよいものに変わっている」と感想を語った。「消化」は「昇華」であり、また「浄化」ということだろう。私は「消化」と最初に書いたが、参加者が言ったのは「昇華」だったかもしれないし、「浄化」だったかもしれない。
意味を特定せずに、「消化/昇華/浄化」のままにしておく。
「痛みを持ちこたえている底力、しぶとさ」のようなものがあるという感想も聞かれた。
たぶん最後の二行の繰り返しが効果的なのだと思う。一度では「痛み」が強すぎる。もし、これが三回、四回と繰り返されていたら、また印象が違うと思う。二回だから、効果的。二回の繰り返しのなかで、きっと「音」が変わっている。その音の変化が気持ち(感情)の変化だ。同じ文字が書かれているのだが、音が変化していると感じるのは、私たちが、「痛いなぁ」を繰り返して言った体験があるからだ。「肉体」が、詩に反応しているのだ。
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言葉の糸 青柳俊哉
日ざかりの庭へおちていく
飛ぶ鳥の羽を
無意識の 言葉の糸がうけとめる
詩人から送られてきた絵葉書の
だれもいない豊饒(ほうじょう)の海の流木のうえに
羽がいちまい垂直にとまっている
最後の蝉声(せんせい)をうたう歌集の
最後のページに 底のない青空から
朝も夕もなく 蝉の声がふりつづける
美しい尼僧の中の 日ざかりの庭に
蝉の声がたちこめて 記憶もリンネもすべて
けされていく
参加者から「イメージが広がっていく。やがて消えていくのだけれど、その変化が気持ちがいい」と「わかりにくい」という感想があった。
イメージの変化、イメージの移動については、わかりにくさは、こう指摘しなおすことができると思う。
タイトルの「言葉の糸」が三行目に出てくる。「無意識」ということばが直前にあるが、この「言葉の糸」は「肉体(五感)」では見えない何か、意識でとらえた「事実」だろう。「日ざかりの庭」という現実が、意識の「事実」(心象)へと変化して、動いていく。(「現実」から「意識」へと世界の次元が変化していっているから、区別がつきにくいということかもしれない。)
「庭」と「言葉の糸(意識)/無意識」の、どれがいちばん大きな存在か、特定するのはむずかしいが、対象を把握するために意識が移動しながら焦点を動かしている感じがする。
それは二連目で、さらに明確な運動になる。「絵はがき」は小さい。現実の「海」は絵はがきにはおさまり切れない。しかし絵はがきのなかに描かれた海がある。それは現実の海ではなく、意識が海と判断している何かだ。その大きな海は海より小さい「流木」が対比され、さらに小さい「羽」へと視線が動いている。動いていくけれど、その大から小への動きがスムーズなので、動いていることを忘れてしまう。
私は三連目の「蝉声」にとまどっていたのだが、作者が、河野裕子の歌集(歌)からの引用だと言った。河野裕子は、「豊饒の海」の作者・三島由紀夫と「言葉の糸」によってつながっていく。ふたりとも死んでしまった。そしてそのことが「リンネ(輪廻)」ということばで、しっかりと結びついた作品だ。
私は、一連目の羽、二連目の羽を「言葉の糸」というイメージから繊細な白い(儚い)羽を想像したが、青柳は、黒い羽だと言った。黒が、二人の死、さらに「輪廻」へとつながっていくのか、納得した。
一、二連目に死につながる明確なイメージがあれば、「蝉声」と死がもっとわかりやすくなったのではないか、と思う。
*
オンデマンドで以下の本を発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
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(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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