ティエン・ユアン(田原)文、くさなり・絵『ねことおばあさん』(みらいパブリッシング、2020年06月20日発行)
『ねことおばあさん』は絵本。
ぼくが物心がついたころ、
おばあさんは猫を飼っていました。
と、はじまる。
猫との交流が、少しずつ語られる。私は苦手で(非常に怖い)、「猫」ということばだけでも、ぞっとするときがあるし、実際に見かけると近づかないようにしている。
この絵本の猫は、ネズミを捕って食べたあと、
猫はかならず
雑巾のところに行って
口を拭き、
水のあるところに行って
口をすすぎました。
という、非常に非常に怖い生き方をしている。田原は怖いとは思っていないし、くさなりも怖さが際立つような絵を描いていないが、私は、こういうところが怖いのである。奇妙に人間的、あまりにも人間的なのだ。猫というのは。
もし私がネズミだったら、こんなふうに証拠もなく、この世から消されてしまうのだ。そう思うと、怖いでしょ?
でも、そんなことを田原は書こうとしているわけでもないし、くさなりも私のようには感じなかっただろう。
その猫は、さらに人間的になる。
そして、停電の夜にきらめく猫の目は、
おばあさんにとって
たったひとつの光でした。
私は田舎で育った。田舎の家の便所は、離れたところにある。私の家では、母屋から納屋を通り抜けて、その納屋の端っこにある。そこまでの距離はかなり長い。真っ暗な納屋の中で、猫の目が光っていたりすると、それは猫というよりももっと怖い存在のように感じられる。「悪いことをする何か」に感じられる。「悪いことをする」のは人間なのだ。
もろちん、田原は、「悪者」として猫を描いているわけではない。
冬になると、猫は孫たちと同じ、
おばあさんの生きたストーブです。
これも、おばあさんにとって、猫は「よろこび」をもたらす存在であることを示すことばなのだが、私は、猫が触れたときの「ぐにゃっ」とした感触がどうしてもなじめなくて、この絵本のおばあさんのようには、猫に接触できない。
このあと、おばあさんは死ぬ。
猫は悲しんでいるように見えませんでした。
おばあさんが横たわっているところに
やってくると、
にゃあにゃあ鳴くこともなく、
目を閉じたおばあさんの顔を
ただ静かにじっと見つめて、
ときに舌でおばあさんの顔を舐めました。
この部分で、私は、一瞬、「猫」を忘れた。
中国の漢詩を読んでいると、自然(人間以外の生きもの)が「非情」な存在として目の前にあらわれてくることがある。「断腸の思い」ということばの語源になった猿でさえ、私には「人間的」というよりも、「人間を超える絶対的なもの」(人間の「情」など気にしない超越的なもの)に感じられる。
田原の猫も、ここでは人間的に「鳴く」ということはしない。鳴かないことで、人間の死に対する思いを断ち切る。もっと違った何かに触れていると感じさせる。
このあと猫は「人間的」な存在にもどり、
猫はいつものようにおばあさんの
寝ていたベッドに入って、
おばあさんを待ちながら寝ていました。
とういようなことをする。しかし、そのうちに年をとって死んでしまい、おばあさんの墓のそばに埋められる。
ということろで、田原のことばは終わっているのだが。
絵は終わらない。
どういう絵がつづくのか、世界が展開するのかは書かないが、これはとてもいい絵本だなあと感じた。
田原のことばが終わったところから、田原のことばを読んだ読者のことばが動き始めるのだ。
鴎外の「渋江抽斎」は、「評伝」なのに、渋江抽斎が死んだあともことばがつづいていく。渋江抽斎が書かれていないのに、渋江抽斎が動いて見える。
それに似た感動だ。
田原のことばはない。田原はおばあさんと猫の「交流」を、猫の死で閉じているのだが、「生死」を超えたものが、その後、「絵」を突き動かしていく。
あとがきを読むと、くさなりも、死んだおばあさんに対する猫の姿に突き動かされて、後半の絵を加えたと書いている。
私は、最初に書いたように猫は苦手だが、この田原の猫は、猫を超えている。人間が考える猫(情のなかの猫)を超えている。それがおもしろい。
たいへん貴重な体験をした。
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