石松佳「笑い水」(「現代詩手帖」2020年06月号)
「現代詩手帖」2020年06月号は「新鋭詩集2020」という特集を組んでいる。そのなかの、石松佳「笑い水」の前半が、私にはとても印象深かった。
強い陽射しの中で人々が手を翳している光景を見ると、不思議に死にたくなる
ことがある。
この「不思議に」は、書いている石松に「わからない」ということだと思う。こういう「わからなさ」をそのまま「わからない」形で書くということにひかれる。
この「不思議」 (わからない) は、こう言い直されている。
朝食と性行為について書かれたそれは雨後の匂いに満ちており、最終連で主人
公がこちらに向かって歯を見せて笑う姿が、少しこわくて好きだ。
「好きだ」が「不思議」である。「こわくて/嫌いだ」なら、ごくふつうの感じだ。しかし「嫌いだ」ではなく「好きだ」と言ってしまうところに「わからない(不思議)」がある。
何を好きになるか、なぜ好きになるか。そんなことは、だれにもわからない。「好きになった」(好きである)ということしか、人間にはわからないものなのだ。
この石松佳については、私は、奇妙なことをおぼえている。
石松は「新人作品欄」の投稿者だった。その作品を私は強烈な印象でおぼえているわけではないが、渡辺玄英がその年の「年鑑(12月号)」で、石松の作品が印象に残ったというようなことを書いていた。あ、そうか、渡辺も石松の作品が好きなのか、と思った。そのことをおぼえている。渡辺と石松は、私の中で「ひとつながり」として記憶されたのだ。(石松が投稿していたとき、選者は渡辺ではなかった、と記憶している。)
そして、ここから私はまた奇妙なことを考えたのだ。
渡辺には「水道管の上で眠る犬」(だったと思う)という初期の詩がある。もうタイトルの記憶もあやふやだから、その詩のどこがいいのかということを具体的に言うことができないが、ことばがしっかり「事実」をつかんでいる、という印象があった。その「事実」のつかみ方は、「散文」に近い。そして、そのことを私を非常に安心させた。そのことをおぼえている。
その安心感が、いま、石松の詩を読むと、すーっと蘇ってくるのである。
「不思議(わからない)」から、それが「好きだ」にかわるまでの、ことばの変化(ことばの動き方)に、どこか渡辺と石松のあいだで「共有」されるものがあるのかもしれない。
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