詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(63)

2020-06-02 21:54:44 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
非在の犬

熱い夏は
どこを歩いても四方に炎えひろがっている

 「暑い」ではなく「熱い」と書く。それが「炎ひろがっている」につながる。
 これは、いわば「誤字(誤読)」なのだが、そこには理由があるのだ。



*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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Estoy loco por espana(番外篇70) Luciano Gonza’lez Diaz

2020-06-02 19:12:05 | estoy loco por espana


Luciano Gonza’lez Diazの作品

?Que’ es el mundo para un pa’jaro?
?El pa’jaro tiene una casa? ?La casa del pa’jaro tiene ventanas? ?En la casa hay una mesa y una taza familiar para tomar café’?
Alguien en mi’ corazon, el me dice :
La pa’jaro necesita el cielo y los a’rboles.
Pero yo pienso :
Cuando la pa’jaro esta’ solo, escribe un diario.
En lugar de escribir lo que ha visto, escribe en su diario lo que quiere ver.
No es un suen’o Esa es la realidad.
Necesita una mesa para eso. Tambie’n necesita una silla. Y, sobre todo, necesita café’ y mu’sica.

Un pa’jaro esta’ a punto de aletear.
Una mano protege la vida del pa’jaro.
El duen’o de esta mano esta’ pensando en tal cosa.
La pa’jaro tiene un mundo de aves.
No es mi mundo, no es un mundo del humano.
Por eso es MI mundo, el mundo en el que tengo que vivir.
El mano pieosa asi’.

一羽の鳥にとって世界とは何だろうか。
鳥に家はあるか。鳥の家に窓はあるか。テーブルやコーヒーを飲むための、つかいなれたカップはあるか。
鳥に必要なのは空と木である、と私のなかのだれかが答える。
しかし、私は考えるのだ。
鳥はひとりになったとき日記を書く。
見てきたことを書き記すのではなく、これから見たいことを日記に書く。
夢ではない。それは現実だ。
そのためにはテーブルが必要だ。椅子も必要だ。そして何よりも、コーヒーと音楽が必要だ。

一羽の鳥が羽ばたこうとしている。
その鳥の命を守っている手がある。
この手の持ち主は、きっと、そんなことを考えている。
鳥には鳥の世界がある。
それは私の世界ではない。
だからこそ、私の世界、私が生きなければならない世界なのだ。
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石松佳「笑い水」

2020-06-02 16:56:04 | 詩(雑誌・同人誌)
石松佳「笑い水」(「現代詩手帖」2020年06月号)

 「現代詩手帖」2020年06月号は「新鋭詩集2020」という特集を組んでいる。そのなかの、石松佳「笑い水」の前半が、私にはとても印象深かった。

強い陽射しの中で人々が手を翳している光景を見ると、不思議に死にたくなる
ことがある。

この「不思議に」は、書いている石松に「わからない」ということだと思う。こういう「わからなさ」をそのまま「わからない」形で書くということにひかれる。
この「不思議」 (わからない) は、こう言い直されている。

朝食と性行為について書かれたそれは雨後の匂いに満ちており、最終連で主人
公がこちらに向かって歯を見せて笑う姿が、少しこわくて好きだ。

「好きだ」が「不思議」である。「こわくて/嫌いだ」なら、ごくふつうの感じだ。しかし「嫌いだ」ではなく「好きだ」と言ってしまうところに「わからない(不思議)」がある。
 何を好きになるか、なぜ好きになるか。そんなことは、だれにもわからない。「好きになった」(好きである)ということしか、人間にはわからないものなのだ。

 この石松佳については、私は、奇妙なことをおぼえている。
 石松は「新人作品欄」の投稿者だった。その作品を私は強烈な印象でおぼえているわけではないが、渡辺玄英がその年の「年鑑(12月号)」で、石松の作品が印象に残ったというようなことを書いていた。あ、そうか、渡辺も石松の作品が好きなのか、と思った。そのことをおぼえている。渡辺と石松は、私の中で「ひとつながり」として記憶されたのだ。(石松が投稿していたとき、選者は渡辺ではなかった、と記憶している。)
 そして、ここから私はまた奇妙なことを考えたのだ。
 渡辺には「水道管の上で眠る犬」(だったと思う)という初期の詩がある。もうタイトルの記憶もあやふやだから、その詩のどこがいいのかということを具体的に言うことができないが、ことばがしっかり「事実」をつかんでいる、という印象があった。その「事実」のつかみ方は、「散文」に近い。そして、そのことを私を非常に安心させた。そのことをおぼえている。
 その安心感が、いま、石松の詩を読むと、すーっと蘇ってくるのである。
 「不思議(わからない)」から、それが「好きだ」にかわるまでの、ことばの変化(ことばの動き方)に、どこか渡辺と石松のあいだで「共有」されるものがあるのかもしれない。 





*

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