古谷鏡子『浜木綿』(空とぶキリン社、2020年06月10日発行)
古谷鏡子『浜木綿』の巻頭の「街角」に引き込まれた。ほかにもっとおもしろい詩が収められているかもしれないが、引き込まれた瞬間の、そのことを書いておきたい。
「街角」は「いま/ここ」から「遠いところ」にあって、人を「遠いところ」へ連れ出す。「街角」をそう定義したあとで、「あなたの近辺に街角はない」という。では何がある。「コンビニの角」がある。「コンビニの角」はなぜ「街角」ではないのか。「遠いところへ」人間を連れて行かないからである。
では、その「遠いところ」とはどういうところ?
たとえば、
ている場所。それはたとえば「コンビニの角」と同じ場所かもしれない。しかし、その風景を「コンビニの角」と呼んだ瞬間に、それは「街角」ではなくなる。
街角とは……。
街角とは、まず「ことば」なのだ。
「古い書物のなかの一頁」が象徴的だが、その描写は「古い」かもしれない。しかし、ことばとはもともと「古い」ものだ。繰り返しつかわれることで、「ことば」は「ことば」になる。「ことば」はつかわれることで「記憶」になる。それは単なる「いま/ここ」の情景ではなく、「いま/ここ」と「記憶」をつなぐ情景、人間を「歴史」にひきもどす「情景」である。
「どこか遠いところ」とは「ここ」から「遠い」のではなく、「今」から「遠い」のである。しかし、その「遠さ」は思い出した瞬間に、「今」よりももっと「近く」なる。「一秒前」よりももっと「肉体」に密着している。いや「肉体」のなかにある「時間」そのものになる。「肉体」のなかから、「遠いはずの時間(過去)」が、「肉体」そのものをつきやぶって噴出してくる。「今」が、新しく生み出される。
このとき「あなた」とは、だれだろうか。
「詩人」が出てくる。「パンパス」が出てくるから、日本ではない。註釈によれば、ここに登場しているのはボルヘスである。しかし、その註釈をつきやぶって、ここには古谷がいる。その「街角」はボルヘスにとって「はじめて」であって、古谷にとって「未知」であったとしても、「記憶」のなかでは古谷の「街角」である。
「ことば」とは、そういうものである。
読んだ人が、そのことばをとおして「いま/ここ」を感じたならば、それは読んだ人間のものである。「ことば」は、そうやって生きていく。
「だれが書いた/だれが読んだ」と入れ替わる。つまり「循環する」。ひとが「循環する」だけてはなく「時間」が循環する。その運動は「無限」だ。「無限」とは「静止した状態」ではなく、「動き」そのものを指している。
「ことば」が見届ける。「ことば」は「時間」の証言者である。
古谷の詩は「現代詩」と呼ぶには「古くさい」かもしれない。けれど「時間を証言することば」というのは、いつでも「新しい」。どんな「証言」にも、「証言する人」の必然性がある。その必然性を「新しい」と、私は呼ぶ。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
古谷鏡子『浜木綿』の巻頭の「街角」に引き込まれた。ほかにもっとおもしろい詩が収められているかもしれないが、引き込まれた瞬間の、そのことを書いておきたい。
街角。まちかどという語のひびきが
あなたを今ここから連れだそうとしている どこか遠いところ
あなたの近辺に街角はない
蔓草のからまった垣根 白い小花が咲きみだれ
「あのコンビニの角をまがって」とひとがいう
「街角」は「いま/ここ」から「遠いところ」にあって、人を「遠いところ」へ連れ出す。「街角」をそう定義したあとで、「あなたの近辺に街角はない」という。では何がある。「コンビニの角」がある。「コンビニの角」はなぜ「街角」ではないのか。「遠いところへ」人間を連れて行かないからである。
では、その「遠いところ」とはどういうところ?
たとえば、
蔓草のからまった垣根 白い小花が咲きみだれ
ている場所。それはたとえば「コンビニの角」と同じ場所かもしれない。しかし、その風景を「コンビニの角」と呼んだ瞬間に、それは「街角」ではなくなる。
街角とは……。
街角。甃のゆるやかな坂道をあがったところ
煉瓦づくりのばら色の塀 格子窓の奥にレースのカーテンが揺れて
石造の家屋があり ひとが佇んでいる
記憶の底をけずるようにそれがあなたにとってのまちかどか
あるいは古い書物のなかの一頁
街角とは、まず「ことば」なのだ。
「古い書物のなかの一頁」が象徴的だが、その描写は「古い」かもしれない。しかし、ことばとはもともと「古い」ものだ。繰り返しつかわれることで、「ことば」は「ことば」になる。「ことば」はつかわれることで「記憶」になる。それは単なる「いま/ここ」の情景ではなく、「いま/ここ」と「記憶」をつなぐ情景、人間を「歴史」にひきもどす「情景」である。
「どこか遠いところ」とは「ここ」から「遠い」のではなく、「今」から「遠い」のである。しかし、その「遠さ」は思い出した瞬間に、「今」よりももっと「近く」なる。「一秒前」よりももっと「肉体」に密着している。いや「肉体」のなかにある「時間」そのものになる。「肉体」のなかから、「遠いはずの時間(過去)」が、「肉体」そのものをつきやぶって噴出してくる。「今」が、新しく生み出される。
このとき「あなた」とは、だれだろうか。
街角。たとえそこが貧しい町のはずれ
両側に低い家並の石の壁面がつづき
ぬかるむ泥の道のむこうがパンパスの草の大地であろうと
街角に立って 詩人は はじめておとずれたこの町で
循環する時間 無限を 実感する ある秋の夜更けに と
「詩人」が出てくる。「パンパス」が出てくるから、日本ではない。註釈によれば、ここに登場しているのはボルヘスである。しかし、その註釈をつきやぶって、ここには古谷がいる。その「街角」はボルヘスにとって「はじめて」であって、古谷にとって「未知」であったとしても、「記憶」のなかでは古谷の「街角」である。
「ことば」とは、そういうものである。
読んだ人が、そのことばをとおして「いま/ここ」を感じたならば、それは読んだ人間のものである。「ことば」は、そうやって生きていく。
「だれが書いた/だれが読んだ」と入れ替わる。つまり「循環する」。ひとが「循環する」だけてはなく「時間」が循環する。その運動は「無限」だ。「無限」とは「静止した状態」ではなく、「動き」そのものを指している。
街角。を探してあなたは古都をゆく 日常は捨てる
林のなか きっちりと寺院の庭を仕切って瓦屋根の土塀がつづく
土塀は直角にまがり くずれない 土に菜種油をまぜて築いたので
少しずつ壁土の色は変化していると解説書にある 時空を超え
その土壁の色の変りようをだれが見届けるというのだろう
「ことば」が見届ける。「ことば」は「時間」の証言者である。
古谷の詩は「現代詩」と呼ぶには「古くさい」かもしれない。けれど「時間を証言することば」というのは、いつでも「新しい」。どんな「証言」にも、「証言する人」の必然性がある。その必然性を「新しい」と、私は呼ぶ。
*
評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168076093
「詩はどこにあるか」2020年1月の詩の批評を一冊にまとめました。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168078050
(バックナンバーについては、谷内までお問い合わせください。)
オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455
(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com