詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

柳本々々の短歌

2020-06-29 09:40:21 | 詩(雑誌・同人誌)
加藤治郎がフェイスブックに、投稿していた。

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毎日歌壇:加藤治郎・選 - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20200629/ddm/014/040/036000c‬
特選
◎あがってきてはだかで冷蔵庫あけ、わたしはすごい風のベランダ 
東京 柳本々々
【評】短い時間が流れている。バスルームを出てベランダにいる。「すごい」という気分に根拠はないのだろう。
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私は、こんなことを考えた。

柳本々々の短歌ははじめて読んだが、詩よりも読みやすい。
一首だけで判断してはいけないかもしれないが。

読点の位置が絶妙。
「すごい」の根拠は、この読点の位置にあると思う。
ふいの「一呼吸」。肉体の声。
意味的には、「わたしはすごい」のあとに句点を感じる。
つまり

あがってきてはだかで冷蔵庫あけ、わたしはすごい。風のベランダ

「肉体」から「精神」への切断と接続(飛躍?)の中心に「すごい」がある。
でも、その中心を絶妙に隠す。
啄木なら、

あがってきてはだかで冷蔵庫あけ、
わたしはすごい。
風のベランダ

という3行の短歌にするかもしれない。
でも、そうすると、わかりやすすぎる。
「わざと」わかりにくくする。
そこが「現代詩」なんだろうなあ。
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(72)

2020-06-29 09:05:08 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
未発表詩篇 遺稿ノートⅠ 詩集名(いつか晴れた日に)

* (宇宙は途方もなく厚く重い一冊の書物である)

あらゆることが印刷されているのか
書き手はだれなのかさつぱり分つていない

 「印刷」。何気ないことばだが、私は、つまずいた。「書物」を想像するとき、私は「印刷」ということばをめったに思い浮かべない。「文字」「活字」は連想するが、「印刷」は想像からこぼれ落ちている。
 この「印刷」を、嵯峨は「書き手」と言い直している。
 ここで、私は安心する。
 「書物」は書かれるものであって、印刷されるかどうかは別の問題である。書いたときに、もう「書物」なのだと私は考えている。
 言い直しているのは、嵯峨も、同じように考えているからだろう。





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)

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