砂東かさね「浮動」、齋藤健一「朝」(「乾河」88、2020年06月01日発行)
砂東かさね「浮動」の一連目。
削りたての鉛筆をノートに立てたら
つ、と
尖端が粉になり
散らばった
この鉛筆は、自分でナイフで削ったものだろう。「削りたて」の「たて」に、そういう気持ちを私は感じてしまう。短いことばに、そのひとの「肉体(思想)」があらわれるのである。
一文字目から
かすれた線がついてくる
ある一点がどこにあるのか
私は根気づよく
付き合わねばならない
これは「記憶」であると同時に、いまだから言える「記憶」かもしれない。鉛筆をナイフで削って、ノートを取る。それが日常だったころは、こういうことは「ことば」にはならなかっただろうと思う。
こういうところにも「肉体」というのはあらわれてくる。
そして、その「肉体」は、こんな自己主張をするのだ。
私たちの教室には
エアコンがなかった
水泳の授業を終えたばかりの
生乾きの髪からは
スライメイトひとりひとりの
体温であたためられた
塩素の匂いが立ちのぼる
これは美しい。
佐多稲子の『キャラメル工場から』に、主人公の少女が朝の電車に乗るシーンがある。満員だ。そして、そこには各家庭の、ひとりひとりの、味噌汁の「匂い」がまじっている。人の吐く息の中に味噌汁の匂いがまじり、それが充満しているのだ。
それを思い出した。
「ひとりひとり」の「体温」。
こんなことばは、やはり中学生(だと思う)には、思いつかない。「肉体」が「思想」となる。「思想」が「肉体」となるということに、年齢は関係がないが、それをはっきり「ことば」として自覚できるようになるには時間がかかる。
もちろん中学生がこういうことばを書いてもいい。しかし、書けば「早熟」ということになる。「早熟」は「早熟」でいいのだろうが、私は「遅れてやってくることば」の方が安心する。
そこには、ことばと「根気づよく」「付き合ってきた」時間がある。
*
齋藤健一「朝」。
雨にたたかれる。自転車を漕ぐ。自分である。咽から草
から水から塩辛さだ。追いかけてくる。ペダルやハンド
ルの光沢。目を地面にむけている。ぬれた石がはねかえ
した。ぐるぐると足首を廻した。きつく締めたゴムの昨
日がある。如何にして廻りつづける。
「咽から草から水から塩辛さだ。」には、ことばを補足する必要があるだろう。
雨が顔をたたく。顔を伝った雨が口に入り、喉で「塩辛さ」を感じる。汗の味だ。それに人間特有のものかもしれないが、草にもし「口、喉」というものがあれば、草もそれを感じるかもしれない。
「想像」が齋藤の「肉体」を追いかけてきて、齋藤の「肉体」は「草」とも一体になる。
この一体感は、すべての存在に広がっていく。齋藤はいま、雨なのか、自転車なのか、草なのか、石なのか。眼なのか。
「はねかえした」ということばがある。「はねかえる」という運動が「肉体」なのである。「昨日」は過去に過ぎ去っていくのではなく、「あす」になってあらわれ、時間を廻しつづける。
きょうの「朝」は、きのうの「朝」であり、あすの「朝」である。そのつながりのなかで、「肉体」が「肉体」に、つまり「ことば」になる。
「記憶」は「夢」ではなく、いまであり、まだやってきていない、何かである。
*
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