荒木元「西安の夜」(「GA-GYU+」7、2020年06月15日発行)
詩は、ほんとうのことを書く必要はない。体験を書く必要はない。それなのに、あ、これは「ほんとうのことだ」と感じることばに出会うことがある。そういうことばが、私は実は好きである。
荒木元「西安の夜」。
雨の夜
全身ずぶ濡れの男が 青海湖をめぐって
ここまで来たと言ってあらわれた
「西安」は中国の都市だろう。「青海湖」は中国の湖だろう。私は知らない。だから、ここに書かれていることが現実のことが、架空のことか、私は判断しない。
雨が降りつづいていて、遠くに稲妻が光る。それを見て、日本人旅行者が歓声をあげる。
男は 青海湖に浮かぶ空のような眼で
ほほ笑みながらそれを見つめている
男は 湖畔で野宿した夜の
星空について ことばすくなに話してくれた
「青海湖に浮かぶ空のような眼」は「ことば」になりすぎている。ほんとうのことかもしれないが、私は、こういうことばを「ほんとう」とは感じない。むしろ、嘘っぽく感じる。だから、これからどんな嘘が詩として捏造されるのだろうと思いながら、ことばを追い始める。
「湖畔の野宿」「星空」はお膳立てどおり、つまり「定型」だなあ、と思って読んでいる。
「現代詩」とは「わざと」書くものだと西脇は定義していたと思うが、これでは「わざと」にもならない、と思いながら読んでいる。
つまり、「ケチ」をつけるために読んでいるなあ、と気づきながら読んでいる。
ところが、
見渡すかぎりの闇の中で
夜通し ひとり寝袋にくるまって
空を見上げる男の姿が浮かんだ
この三行で、とても奇妙なことが起きた。「浮かんだ」は「思い浮かんだ」であり、想像したということなのだが、「思い」が省略されているために、私はなぜか、男の体が宙に浮いている(浮かんでいる)姿を見てしまったのである。「男」がそのまま「浮かんだ」のである。
そして、ここに「ほんとう」が書かれている、と感動したのだ。
これはもちろん私の「誤読」なのだが、「誤読」した瞬間、これは「ほんとう」のことが書いてある、と確信したのだ。
この私の「誤読」を、荒木のことばがさらに推し進める。
男を乗せた丘が めまいのように
漆黒の宇宙に回転している
荒木は、男を「丘」ごと宇宙に放り投げているが、私は男が宇宙に「浮かんでいる」と感じたのだ。あ、宇宙まで行ってしまったのだと感じた。それが「見渡すかぎりの闇」ではなく「見渡すかぎりの星の中」のできごとなのだ。
どうして、こんなふうに「誤読」したのか。
星空について ことばすくなに話してくれた
「ことば」が「少ない」からだ。もっと聞きたいという気持ちが、男からことばを奪い、さらにそのことばを聞いた荒木からもことばを奪い、私が「見渡すかぎり」の「星」を見つめる男になってしまって、私そのものが「宇宙」に浮いてしまったのだ。
「見渡すかぎりの闇の中」は「漆黒の宇宙」と言い直されているのだが、その「漆黒」はそのまま「星空」なのだ。それは地上で見上げる「光景」ではなく、「宇宙」のなかでしか体験できない光景である。
この男は、その後どうなったか。
最終行。
男はすでに 青海湖の夜空を残して 旅立っていた
「宇宙」へ旅立っていた、と私は読む。
他の都市へ出発していたという意味なら、気取ったことばづかい、「詩的ないいまわし(もう古いけれど)」の「定型」へになってしまうが、「夜空」そのものを置き去りにして、「夜空」のはるか向こうの「宇宙」へ行ってしまったと、私は読んでしまうのだ。
荒木が「思い浮かべた」のではなく、男が「事実」として「浮かんだ(地上を離れた)」が、そのことが「結果」として証明されるのだ。
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