詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「詩はどこにあるか」10月号

2020-11-01 23:14:50 | 詩(雑誌・同人誌)
「詩はどこにあるか」10月号を発売中です。
182ページ、1750円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=1680710487

目次

高野尭『逃散』2  池田清子「秘密」、青柳俊哉「水平線上の祈り」、徳永孝「カラス」6
金井雄二『むかしぼくはきみに長い手紙を書いた』15  糸井茂莉『ノート/夜、波のように』22
高貝弘也『紙背の子』26  谷川俊太郎「夜のバッハ」を読む 31
糸井茂莉『ノート/夜、波のように』(2)37  柏木麻里『蝶/Butterfly 』41
バーツラフ・マルホウル監督「異端の鳥」45  高貝弘也『紙背の子』(2)48
木村草弥『修学院夜話』52  アーロン・ソーキン監督「シカゴ7裁判」57
高貝弘也『紙背の子』(3)61  尾久守侑『悪意Q47』66
糸井茂莉『ノート/夜、波のように』(3)71  糸井茂莉『ノート/夜、波のように』(4)76
近藤久也「ぶーわー44あとがき」84  服部誕『そこはまだ第四紀砂岩層』89
ファラド・サフィニア監督「博士と狂人」94  
青柳俊哉「水色のゆうぐれ」、池田清子「折り返し」、徳永孝「花」97
吉田文憲「残された顔」106  黒沢清監督「スパイの妻 劇場版」110
鈴木ユリイカ『私を夢だと思ってください』112 鈴木ユリイカ『私を夢だと思ってください』(2)120
山本かずこ『恰も魂あるものの如く』129  山本かずこ『恰も魂あるものの如く』(2)137
一色真理『幻力』144  吉田博「光る海」151
浜江順子『あやうい果実』155 為平澪『生きた亡者』161
中神英子『一歩』166  青木由弥子『しのばず』170
池田清子「G」、徳永孝「ポリゴナム」、青柳俊哉「生まれえぬバラ」173

バックナンバーは、谷内までお問い合わせください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷口鳥子『とろりと』

2020-11-01 10:33:41 | 詩集
谷口鳥子『とろりと』(金枝雀舎、2020年10月31日発行)

 谷口鳥子『とろりと』はたいへんおもしろい詩集だ。今年読んだ詩集の中では最高傑作と言っていい。いろいろなスタイル(形)があるのだが特に行頭がそろっていない作品が印象に残る。このブログではことばの配置をそのまま再現することがむずかしいので、すべて行頭をそろえた形で引用する。(正しい形の作品は詩集で確認してください。)
 何がおもしろいか。
 ことばがことばのまま、意味にならずに、そこにある。
 たとえば「足ゆび」。

だんご虫みたいに
まるまって足ゆび

紫のカーテン少しだけめくり
月見えるときだけ月 見上げ
吸いこんで細ク白ク
白糸で五本指ソックスの穴かがる
うごけうごけうごけ パーのできない足のゆび

足ゆびに線くにゃり
おしこめられている

朝ノ空気ウゴキダス前ニ線ハ字ニナッテ詩ニナッテ線ハ
ベランダの柵を抜け壁をつたい舗道の目地じぐざぐ
信号機にまきつき見えなくなって月のほうへ

黄色い線の内側に
二列に並んでいる

 夜、五本指ソックスの穴をかがっている、ときのことを描いているのか。「意味」はなんとでも「捏造」できる。つまり、私自身に引きつけて「誤読」できる。その穴をかがったソックスを履いて誰かが朝出かけていく。谷口ともとれるし、別の人ともとれる。私はただなんとなく、そのひとを見送っている感じを受け止めるので、谷口ではない人(でも、身内だね)が谷口につくろってもらった靴下を履いて外出していく、そのひとを谷口はそっと見守っているという「情景」を「意味」として「誤読」する。
 まあ、こんなことはどうでもいい。どうでもいいと書くと語弊があるが、「詩」はそんなところにはない。「詩」は「意味」ではない。つまり「説明」ではないからだ。
 詩は、たとえば書き出しにある。

だんご虫みたいに
まるまって足ゆび

 これは、

うごけうごけうごけ パーのできない足のゆび

 と言い直されているが、たしかに足の指は手の指ほどには器用に動かない。丸まっている。でも、それがどうした? 何か困る? いや、困る人もいるだろうけれど、そしてこの靴下の持ち主はきっとそういうことで困ってもいるのだろうけれど、困っていること(また、谷口がその困っていることに対して親身になっていること、だからこそ穴をつくろっている)を忘れて、その「だんご虫みたい」と「まるまっている」とか「うごけうごけうごけ パーのできない足のゆび」ということばそのものに引きつけられる。
 「意味」はあるかもしれないが、「意味」になる前の、「ただのことば」がある。それは先に書いた「困っていること/気にかけていること」が、ふとことばにならない何かのなかからひっぱりだした「思いつき」なのだが、この「思いつき」に何とも言えない深い温かさがある。
 それは

足ゆびに線くにゃり

 というような表現に、不思議な形で結晶している。「足ゆび」が「くにゃり」としているのかなあ。穴をつくろったときの「線」が「くにゃり」としているのかなあ。もし、「線」が「くにゃり」としているとしたら、それは谷口のつくろいかたがへたくそだったからかなあ。それとも足ゆびに問題があってまっすぐな線も「くにゃり」とさせてしまうのかなあ。
 この詩には谷口だけのことばが書かれているように見えるが、もしかすると、ここには対話があるかもしれないな、と思う。
 「ほら、穴は塞がったよ。履いてみて」
 「みっともないなあ。線がくにゃりとしてる」
 「それは、あなたの足の指がくにゃりとしているから。だんご虫みたいに/まるまってる。この足ゆびのせい」
 こんな会話があるのかもしれない。
 もちろん、こんな「ストーリー」は「誤読」。
 「誤読」とわかっていて感想をつづけるのだが、誰かと何かを「共有」していて、その何かを「共有」することによってはじめて引き出される「ことば」、受け入れられる「ことば」というものがある。そのときの「共有」の深さというのか、ひろがりというのか。なんと言っていいのかわからないのだが、一緒に生きていることによって動くものがある、そしてそれは「意味」にしなくても(散文のように、主語、述語、目的語、補語というテキストやストーリーにならなくても)、「もの」のように存在する。あるいは、「穴のあいたソックス」「穴をつくろったソックス」のように存在する。「あれ取って」「あ、あれ」という慣れ親しんだひとの「あれ」のように「具体的」なのものとして存在してしまう。
 そういうことを感じるのである。

ベランダの柵を抜け壁をつたい舗道の目地じぐざぐ

 というのは「線」の描写のようでもあり、穴をつくろった靴下を履いてあるいていくひとの足どりのようでもある。「壁をつたい」というのは「壁をたよりに」とも読むことができるし、そういう足どりだからこそ「じぐざぐ」というようなことばも動くのだろうと思う。

黄色い線の内側に
二列に並んでいる

 というのも信号が変わるまで待っている感じだなあ。「青信号を待っている」と書くと「意味」になってしまうが、その「意味」を「足ゆび」と「ソックス」にひきもどして、そこに存在させてしまう。
 それは実際に見えるものではなくても(つまり、靴を履いてしまえば、穴のつくろいなど見えないからね)、谷口には見える。
 ほんとうは(というか、客観的には)見えないものが、谷口のことばによって見えるものとして、いまここにある。それが「ことば」。それが「詩」。

 もう一篇。「音」。

魚屋でイカ買い
踏切超えると
賑やかにくりかえす宝くじ屋の宣伝
二つ目の角 右に折れ
裏まわると細長い庭
腰丈の物干に
一人分の洗濯物 奥からおっちゃんの声
来たか
やるか
斧買い換えたんや
いけるか
重いで
丸太の上に丸太 どガッと
斧握り
振り おろす
ガ ゴッ
虫くってるやつは ス ごッ
(燃えたら一緒や)

瓶の肩の薄い埃払って
注ぐ芋焼酎 一息あとに
とくっ ととくッ
生きかえったみたい
(燃えたら一緒やな)

おっちゃん
イカやけたで

 「おっちゃん」の知り合いが酒の肴(イカ)を買ってきて、なんと、薪を割って火をおこし、イカをあぶって焼酎を飲んでいる。そういう「意味/ストーリー」を捏造するのはとても簡単。
 でも、そういう「ストーリー」ではなく、「来たか/やるか」「いけるか/重いで」という二人のやりとりがとてもおもしろい。「やるか」は「いっぱいやるか」の前の、薪を割るかということなのだが、それは読んでいる内にわかる。これは読者が読んでいる内にということであって、会話しているひとは「薪を割る」という行為が「共有」されているので、そのことばを省略してしまうのだ。
 それがないと意味が通じないのに、つい省略してしまうことば、本人にはわかりきっていることば(肉体になってしまっていることば)を私は「キーワード(思想のことば)」と呼んでいるが、ここでは酒の肴をあぶるために薪を割る、ということが「肉体の思想」になっている。そしてそれが「共有」されている。そこには「斧は重い」というようなことも「共有」されている。だから、ことばは「必要最小限」のものだけが「ことば」として投げ出される。
 虫食いの丸太は簡単に割れるとか、そういう一仕事をしたあとの焼酎はうまいとか、「意味」を書かずに、その瞬間に、「肉体」からあふれだすことば、肉体から聞いた音を「もの」として、そこに存在させる。
 
(燃えたら一緒やな)

 この一行は、二度くりかえされる。最初は薪のことを言っているが、二度目は私には、火葬場でのひとの会話のようにも見える。そうすると「虫くってるやつ」というのは病魔におかされている「おっちゃん」と「誤読」できる。

おっちゃん
イカやけたで

 は、そこにはいない「おっちゃん」への呼び掛けに「誤読」できる。でも、そういう「意味」はどうでもいい。「意味」よりも、「ことば」そのものの「響き」。「意味」を突き破って存在する響き。思わず、そう書いてしまうのは、「意味」は「捏造」できるが響きは捏造できないからだ。響きは、肉体をとおって声になるその瞬間にしか存在しない。そういう絶対的な響きを、そのまま、書きことば(印刷された文字)なのに、そこに出現させてしまう。

 ふつうの書店にはなかなか出回らないだろうと思うので、発行所と電話番号を書いておく。定価は1800円+税。(ほかに送料がかかるかもしれません。事前に在庫などを問い合わせ、確認してください。)
〒239・0842 横須賀市長沢2の4の19 金雀枝舎
tel&fax 046・849・5147



**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」8月号を発売中です。
162ページ、2000円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168079876



オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする