詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『深きより』(8)

2020-11-21 14:49:42 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(8)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「八 わたくし・おほやけ」は「紀貫之」。

 紀貫之は土佐にいた五年間は歌をつくらなかった。土佐から都へ帰る船上で突然「歌ごころ」がもどった。墨をすり、紙をひろげ、筆をとると……。

筆さきからあふれ出たのは 歌ならず こちたき日記
それも男手のおほやけならず 女手のわたくしの日記
書くわたくしも おのずから男ならず 女になつてゐた

 「書く」という動詞がこの詩のというより、高橋の詩のキーワードになると思う。
 「書く」のは「手」で書くのである。「男手」とは「漢字」、「女手」とは「仮名(かな)」を指すが、この「手」は「書く」という動詞を「名詞化」したものと言える。紀貫之の時代は、漢字で書けば男、かなで書けば女という区別があった。この区別を逆手にとって、紀貫之はかなを書くことで「男手」を「女手」に変えた。「手」を変えることが、男から女に「なる」ことだった。
 この三行は、とても強烈だ。何度もくりかえして読んでしまう。

 このあと「女」は「わたくし」と言い直される。ここから、私は少しずつ違和感を覚える。

わたくしは女になることで 初めてわたくしを歌うた
それまでわたくしが歌うてきたのは わたくしならず
上つ方の屏風の絵につけた かりそめのおほやけ歌

 ここに書かれているのは「論理」の積み重ねによる、「論理の解体/論理の再構築/論理の逆転」である。
 だから、とてもうるさく感じられる。「手」と「書く」を通して「女」になったはずなのに、少しも「女の肉体」を感じさせない。「手」が消えてしまっている。「書く」が消えてしまっている。「ひらかな」が多用されているが、見かけのことに過ぎない。

 ここから脱線して、私は、こんな「誤読」をする。
 「文字(表記)」の違いは「性」の違いである。しかし、紀貫之を離れて高橋の詩にもどってこの問題を考えると奇妙なものが見えてくる。
 高橋が紀貫之を取り上げたとき、「女になる」ということが「欲望/本能の理想」として書かれている。詩は女になって書くもの、女こそが詩人である、という本能的な認識が動いている。頭ではなく、肉体が動いている。その「肉体」が「手」というこことば、「書く」ということばを呼び寄せていた。
 しかし、せっかく女になるという欲望を実現したのに、高橋はその女を隠すようにして「文字」を書く。実際は漢字にこだわって書いている。さらに漢字へのこだわりを「旧かな」をつかうことで漢字の問題からべつなものにすりかえようとしている。(高橋は、別の主張を持っているだろうけれど。)このこだわりを目にすると、私には、高橋は高橋のなかに動いている女を隠すために「文字表記」にこだわって書いているとしか思えない。漢字(男手)にこだわることで、「手」から男になるという方法を生きているとしか、私には思えなくなる。
 紀貫之の「肉体の変化」に心底同意し、紀貫之の肉体の変化についていっているとは感じられない。「肉体」の問題を「わたくし/おおやけ」という「意識」のありようにすえかえ、「意識」を追認している。
 言い直せば、「女になる」ということを、現実として生きるのではなく、「虚構」として提出し、「虚構」のなかで「歌(文学)」を再構築し、それを紀貫之像として提出している。
 
 何か違うなあ。

 高橋の詩(書きことば)は、女であることを隠すために動いている。
 本質は女なのに、男になって書いている、という印象がする。男が書いている詩というものを書いてみる、という形で書かれているという感じがする。詩を書くことで、男になっている、男をアピールしているという印象、男根主義の匂いがする。
 この複雑なコンプレックスが、紀貫之に「女になつてゐた」と言わせた後、それを念押しするようにして、こんなふうに詩を締めくくる。

残る十とせ 頼まれの随 屏風歌をつくりつづけたが
誰が知らう それはすべて わたくし歌だつたと
翻つて かつてのおほふけ歌も わたくし歌に変はつたと

 こんな念押しは、男根主義者だけが見せる「未練」だろう。女にかわってしまった人間、つまり「女」が言うことではないだろう。他人(公)がどう見る化など関係ないとつっぱねるのが「わたくし」の決意というものだろう。
 でも、こういう未練が最後に出てくるから、高橋の詩だと言えるのだが。


                



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「藤田嗣治と彼が愛した布たち」

2020-11-21 10:46:18 | その他(音楽、小説etc)


「藤田嗣治と彼が愛した布たち」(2020年11月20日、福岡市美術館)

 藤田嗣治は「白い肌」とともにバックの布の細密な描写、あるいは着ているドレスの写真と見紛う描写が有名である。
 私は藤田の「白い肌」があまり好きではない。白すぎて人間味がない。まるで色を抜かれてしまったような感じがする。それに比べると、布は異様なくらい、生きている。
 「タピストリーと裸婦」(1923年)は背景のタピストリーがとてもおもしろい。たたみ皺がなまなましく描かれている。そのたたみ皺が浮かびあがらせる布の柔らかさと強さに私は引きつけられてしまう。藤田は裸婦よりも、このたたみ皺(布)を描きたかったのではないのか、と思えてくる。
 布はいつでも広げられているとはかぎらない。たたんでしまわれていることがある。つかうときになってそれを広げる。そこにはたたんだときにできた皺が残っている。この皺の感じは、たとえばシーツの、それをつかったためにできる不規則な皺と違ってある一定の規則性がある。そして、そのたたみ皺は、きちんとたたんでおかないとこんなに美しい形ではあらわれない、という不思議な一面を持っている。
 「タピストリーと裸婦」では、その規則性と、シーツの乱れが同時に描かれているので、規則性のもつ不思議な「色気」のようなものが強調されることになる。抑制されていたものが解放されるとき、そこにまだ残っている抑制の名残。きちんとたたんできたものだけが持っている不思議な初々しさ。たたむとき、布の目にあわせてたたまないと、こんなに美しくならない。広げるときも、きっと手順をまもって丁寧に広げるのだと思う。たわめる、たわむ。そこには暴力があるはずなのに、暴力を感じさせない。なんといえばいいのか、不思議な反発力と抑圧がせめぎ合っている。 
 裸婦の陰影も、藤田にとっては、このたたみ皺のようなもの、抑圧と解放のせめぎあう場なのだろうか。よくわからない。私は、裸婦よりも、バックにつるされた布(タピストリー)のたたみ皺のように欲情してしまう。触りたくなる。触って、本物かどうか確かめたくなる。絵だとわかっていても。裸婦の肌をはいまわる執拗な陰影に、一種の暴力のようなものを感じるが、それは裸婦自身が発する生命力というよりも、藤田の視線の力である。藤田の絵筆によって、布は生き始めるが、裸婦の肌は死に始める、という感じがする。私は、そこに描かれているものが「絵」なのに生きて動き始める、ということが感じられるものが好きなのだ。
 「自画像」(1929年)のシャツも奇妙だ。シャツの形に閉じこめられた布が、肉体の動きを借りて別なものになろうとしているように見える。シャツの下には「肉体」があるはずなのだが、「肉体」をほうりだして、シャツが生き始めようともがいているようにも見える。筆をもつ手も、藤田の目も、そしてそのそばにいる猫の目も動かない。シャツだけが動こうとしている。あ、背景に描かれている女の横顔、髪も動こうとしている。そしてなによりも不思議なのは、その「絵の中の絵」の方が、私には藤田の「自画像」よりも魅力的に見えることだ。「裸婦」では「死んでいる」と感じる「肌」が絵の中の絵の、その女の首筋、顎の影では「生きている」と感じる。タペストリーに触ってみたいと感じたように、この絵の中の絵の女の横顔(首筋や顎)には触ってみたいと思う。藤田の来ているシャツ(その布)にも触ってみたいと思う。でも、藤田の「肉体」には触ってみたい、という気持ちは起きない。

 そういうことを思った後で、展覧会そのものを思い出してみると「藤田嗣治と彼が愛した布たち」と絵だけではなく、「布」にも焦点を当てていることの「意味」のようなものもわかる。もしかすると、タイトルに導かれるようにして、私は藤田の絵を見たのかもしれないが、藤田が「布」に執着していたこと、愛していたことが非常によくつたわってくる企画展だった。藤田がつくった服や裁縫道具も展示されている。
 藤田は「裁縫」が得意なのだ。布に親しんでいる。ミシンをつかうだけではなく、手でも縫う。自分の着るものをデザインし、手作りしている。それは「着る」というよりも「布を生かす」という感じがする。画家ではなく、ファッションデザイナーとし生きていれば、どんなふうになっただろうかというようなことをふと思った。布そのものが美しい形をもとめて歩きだすという感じのファッションが生まれていたのではないだろうか。



                



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