詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

縦割り打破?

2020-11-02 18:51:34 | 自民党憲法改正草案を読む
縦割り打破?

   自民党憲法改正草案を読む/番外410(情報の読み方)

 2020年11月02日読売新聞夕刊(西部版・4版)に衆院予算委の「一問一答」がのっている。

改革「デジタル庁に権限」/衆院予算委 首相「一問一答」初論戦

 という見出し。最初の質問者は自民党議員だから、夕刊で報道されているのは、いわば「身内のよいしょ」で固められた「宣伝」。そして、だからこそ、ここに「問題」が隠されている。
 記事には、こう書いてある。

 首相は、政権の看板政策である行政のデジタル化について、「行政の縦割りを打破し、大胆に規制改革を断行する突破口としてデジタル庁を創設する」と改めて表明した。その上で「社会全体のデジタル化に責任を持って取り組むため、各省庁が持っている権限を含め、(デジタル庁に)権限をしっかり付与していきたい」と述べた。

 ここで言う「縦割り行政」とは「各省庁」ごとの「縦割り」である。これをどうやって「打破」するか。菅は単に情報を「デジタル化」するだけではなく、「各省庁が持っている権限を含め、(デジタル庁に)権限をしっかり付与していきたい」と言っている。
 これは、言い直せば、
 「権限をデジタル庁に一元化する」
 ということである。この「一元化」は「デジタル庁」が新しい「縦割り」の元締めになるということである。
 さらに言い直せば、菅の意図を各省庁に伝える(各省庁を支配する/個別の反論を許さない)ために「デジタル庁」を利用するということである。

 これを私たち国民の「情報」と結びつけて言い直せば、国民のデジタル化された情報を全て「デジタル庁」が把握し、その情報を国民を支配するために利用するということ、国民を政府の下に置き、支配すること(独裁を完成すること)になる。

 どんなことでもそうだが、立場が違えば、ものの「見え方」が違う。ある立場からは見えなかったものが、別の立場から見える。
 たとえば「原子力発電」は「温暖化ガス」を排出しない。けれど放射能の危険が伴う。廃棄物の処理の問題が伴う。(ほかにも、いろいろあるが。)どちらか一方だけの「情報」を取り上げて、その「情報」をもとに全体をしはいしてしまうことは危険である。
 つねに多様な視点からの点検が必要である。「多様性の確保(多様性の担保)」について、菅は何も言っていない。
 すでに学術会議問題で明らかになったように、菅は「多様性の排除」を政権の目標にしている。
 同じ視点で「デジタル庁」を設置しようとしている。

 読売新聞の見出しは、まことに正直に菅の意図を代弁している。

デジタル庁に権限を集中させる

 と「集中(させる)」ということばを補えば、菅の狙いが明確になる。権限を集中させ、支配の「効率化」をはかる。異論を許さない(反論するものは排除する/異動させる)ということが、「デジタル庁」が設置されれば急速に進むのである。

 少し会社組織などと比較してみればわかる。いまは、どの会社でも「デジタル化」が進んでいる。どの会社にも「デジタル(情報)/システム」を支える部門はあると思う。しかし、そういうシステムや情報は、いわば「補助機関」である。組織の「主役」ではなく「脇役」である。「主役」になってはいけない機関である。
 「主役」は「企画・立案」である。何が問題であり、それに対して何ができるか。それを考える。そこから派生してくる問題をどうサポートするかというのが「脇役」の仕事であり、「デジタル処理/デジタルシステム」というのは、その一部である。
 しかし、菅は、その「脇役」を「主役」にしようとしている。
 「デジタル庁」はきっと戦前(戦中)の「軍隊」のように国民を支配することになる。たぶん菅は「軍隊」組織として「デジタル庁」を活用しようとする。すでに「警察国家」の様相を見せ始めているが、それがいっそう拡大する。
 「デジタル」ということばにだまされてはいけない。「情報検閲・情報支配組織」がその「正体」である。








*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

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中沢けい「うどんかけ」、粕谷栄市「音楽」

2020-11-02 09:16:56 | 詩(雑誌・同人誌)
中沢けい「うどんかけ」、粕谷栄市「音楽」(「森羅」25、2020年11月09日発行)

 中沢けいが詩を書いているとは知らなかった。そして「うどんかけ」ということばも、私は知らなかった。私は「かけうどん」という。こういうことはどうでもいいことかもしれないけれど、私は気になるのである。
 「かけうどん」はデパートの食堂で「うどんかけ」が食べたいとダダをこねる子どもが主役だ。「澄んだおつゆのなかにうどんが沈んでいるうどんかけが好き」と言い張る。中沢の思い出なのかもしれない。最初にデパートの食堂が出てきて、次に雨の日の思い出があり、ふたたびデパートの食堂にもどり、最後に「オチ」のようなものが書かれているのだか、間にはさまった「雨の日」の部分が非常におもしろい。

 雨の日。「今日は雨降りだから越後屋さんのうどんかけを注文し
て」と頼む。母はすました顔で「今日は越後屋さんはお休みの日よ」
と言う。そのとたんに出前の越後屋さんのバイクがやってくる。お
隣のおうちで出前を頼んだのだ。「越後屋さん、お休みじゃないよ」
と大喜び。軒先から雨だれ。縁側で小躍りしている私の頭越しに母
が言う。「越後屋さん、すまないけど、うどんかけを三杯、お願い
します」と。お昼に母と弟と私でうどんかけ三杯。さすがにうどん
かけを一杯だけ配達してくださいとは言えない母だった。越後屋さ
んは知っている。ここのうちの娘はうどんかけが好きだって。「今
日は雨降りだからうどんかけ」と唱えながら軒先でずっと踊ってい
る私だった。

 私が気に入ったのは「今日は雨降りだからうどんかけ」がくりかえされているところだ。正確には同じことばではない。最初は「今日は雨降りだから越後屋さんのうどんかけを注文して」。それがそのあと「今日は雨降りだからうどんかけ」になる。「越後屋さん」が省略されるのだが、これは出前を取るなら「越後屋さん」ということが中沢の家では「共有」されていた事実だからくりかえさないのだ。でも、それではなぜ最初は「今日は雨降りだから越後屋さんのうどんかけを注文して」と「越後屋さん」が含まれるのか。これは中沢が「小説家」であるから、ついつい、こう書いてしまっているのだ。あとのことばがスムーズにつづくようにしている。いわば「伏線」のようなもの。
 言い直すと。
 現実には「今日は雨降りだから越後屋さんのうどんかけを注文して」と少女は言ったのではないと思う。少女は「今日は雨降りだからうどんかけを注文して」と言ったのだと思う。そして、それはたぶん母の「口癖」というか、母の習慣(中沢家の習慣)だったのだろう。ある日、母が「今日は雨降りだからうどんかけにしよう」と出前を取ったのだ。そのうどんかけが少女は気に入った。そして雨降りとうどんかけがセットになってしまった。「越後屋さん」は、そういうストーリーでは「脇役」。必然ではあるけれど、少女の気持ちのメーンではない。メーンは「雨降りだからうどんかけ」であり、それは同時に「母と少女」の記憶、「私の記憶」なのだ。
 こんなふうに読み直すと、わかりやすくなるかもしれない。
 二度目の「うどんかけ」の部分が「今日は雨降りだから越後屋さんのうどんかけ」だったら、そこから「母」が消えてしまう。「私(少女)」の「わがまま」のようなものだけが浮き彫りになる。「越後屋さん」が消えるからこそ、かわりに「母」が浮かびあがる。「さすがにうどんかけを一杯だけ配達してくださいとは言えない母だった。」というのは、いまから思い出している「母」のことだが、それが、なんといえばいいのか、これがテーマという主張の仕方ではなく、「少女の私」を描くふりをして(?)、静かに浮かびあがる。
 ということを意識しながら、最後の「オチ」の部分を読むと、また楽しい。「オチ」に対する「母」の姿が書いてないのが、とても楽しい。読者はそれぞれ自分の「母」を思い出して、そこに「母」を反映させるしかない。その瞬間、「母」という存在、中沢の「母」に限定されない、普遍の母(母の永遠)のようなものが「共有」される。
 私は中沢の作品は「海を感じるとき」とその後数年の短編集くらいしか読んでいないので、この書き方に「へえーっ」と声が出てしまった。何が「へえーっ」なのかは、私自身よくわからないけれど。



 粕谷栄市「音楽」。

 何が楽しいといって、たくさんの果実が、嬉しそうに、
実っている樹木を見るほど、楽しいことはない。まして、
それらが、みんな、自分の顔をしていて、笑っているの
を見ると、思わず、自分も、笑いたくなる。

 「楽しい」と「笑っている」がくりかえされる。「嬉しい」も同じようなことばだ。そういう似たようなことばが、少しずつ動いていく。動いていくが、何かかわったものになるわけではない。ただおなじところをぐるぐる循環している。
 どうして、これが詩なのか。
 同じところで、ぐるぐると同じことをしていられるから詩なのだ。ストーリー(意味)になることを拒んでいる。
 実際には「意味」というか「ストーリー」のようなものが、あるにはある。中沢の作品について書いたとき「オチ」ということばをつかったが、一種の「結論」のようなものがあるにはある。タイトルの「音楽」がそれだけれど、その「結論」よりも、なかなか「結論」にたどりつかずにぐるぐる巡回し続ける、とどまりつづけることばの「間」がとてもおもしろい。何かしら「豊かさ」のようなものがある。
 それは中沢の詩のなかに出てきた「母」のようなものである。
 粕谷の書いている「間合い」。そういうものがあることは、多くの人が知っているはずだ。けれど、いまはそういう「間合い」でことばを動かす(考える)ひとは少ない。だから、そういう「間合い」に出会うと、何とも言えずなつかしい感じになる。あたたかい感じになる。「母」に抱きついているような感じになる。甘えながら夢を見ているような感じになる。
 中沢の作品を読まなかったら、また違った感想になったと思うけれど、きょうはそう感じた。
 詩の感想は、そのときの状況で、いろんなふうに変わってしまうものだ。



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