萩野なつみ『トレモロ』(七月堂、2020年10月21日発行)
萩野なつみ『トレモロ』の「午睡」にこんな行がある。
日付は打たないでおく
無数のまなうらに
あかるく濡れた切手を貼って
誰へともなく送りたい
ぬるくたわむ午後
ここにいてここにいない
やがて
むせかえるほどしずかな凪がくる
そのまえに
とても美しい。とくに「むせかえるほどしずかな凪ぎがくる」が輝かしい。「むせかえる」と「しずかな凪ぎ」の対比が「太陽がいっぱい(アラン・ドロン主演)」のラストシーンを思わせる。「くる」という動詞も端的で強い。森鴎外の動詞の使い方に似ている。
充足と倦怠と、なにもないことだけが孕む巨大な巨大な不安の暴力がある。
だが、私がいま抜き出して書いた部分、そして私の抜き出した感想は、詩の全体とは相いれないものなのである。
一連目には、「リネンの隙間を泳ぎわたる」という一行がある。その「リネン」をどう読むかによって、詩の世界は大きく変わるが、私が最初に引用した連のあと、詩は大きく転換する。
看取るべきものを看取り
わらったはずの窓辺に
余白のようにさざめくカーテン
ふれて、
なくした呼気をにじませながら
濃い影をしたがえて
あらゆる景色に
ひるがえる
だめ押しのように、ことばはつづく。
出会いたかったあなたに
うたいたかった歌を
まどろみの底に浅く埋める
いつか
墓碑を濡らす朝にめざめて
ほそく立ち上がる
めぐりの果てで
書こうとしている世界はわかる。まあ、私の「誤読」かもしれないが。愛する人が死んだのだ。だが、詩ということばを使いたくなくて「午睡」と呼ぶ。その瞬間、「嘘」が始まるのだが、その嘘を真剣につらぬくとき「詩」という別の次元の真実が生まれる。それを頼りに、いまを生きる。そういうこころの動きを書こうとしている。
でも、私は、それを信じることができない。
私が最初に引用した連のことばと、他の連のことばに連絡がない。いや、連絡はある。「日付」「まなうら」「濡れた」「送りたい」。とくに「ここにいてここにいない」は臨終に立ち会った人間なら感じるいちばんの矛盾を端的にあらわしている。
だが、
むせかえるほどしずかな凪がくる
この一行は、どうも違う。「文体」が違うと感じてしまう。この一行から「虚脱感」を引き出すことは、私にはできない。
「祝日」の次の連の、
鳴る、ために
さみしさをためこむ
わたしたち
昨日の鍋を火にかければ
にんじん だいこん
ことこと、と
くずれていくかたち
「昨日の鍋を火にかければ」という行を起点にして動くそのあとのことば、そのあとのことばを動かす「昨日の鍋を火にかければ」という行の強さに私はひかれるが、ひかれるからこそ「文体が違う」と感じてしまう。
萩野の基本的な「文体」は、おなじ「祝日」から引用すれば、
あさ
ちぎれた五線が
寡黙で清潔な庭で
しらじらと燃えつづける
というような「非日常の肉体」にあるだろう。そういう「文体」のなかに突然、「動かしがたい肉体(過去をもった肉体)」があらわれると、私はびっくりしてしまうのである。
「夏の声域」はタイトルも美しいが、次の部分も美しい。
水面にくるめく
夢のような青白い雑音にくるまれて
息絶えたかった
夏の、
次第に翳る頬に
淡い読点を散らして
待つことはいつもさみしい
ほんとうに美しいのは「次第に」以降の三行だが、その直前の連の「青白い雑音」という嘘っぽさ、「息絶えたかった」という嘘っぽさが、「次第に」からはじまる嘘を真実に変える「踏み台」になっている。
特に「夏の、」の「、」が「読点」ということばになって復活し、「散ら」されるところが輝かしい。
「頬」ということばは出てくるが、ここには「肉体」はない。「肉体はない」ということを強調するために「頬」が書かれているだけだ。
「頭」から「肉体」を見つめ、その「肉体」から「本能」というか「欲望」を洗い流した上で、欲望、本能を失った「さみしさ」を書くと、萩野の世界になるんだろうなあ、と感じる。
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