詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

バッハ会談続報(情報の読み方)

2020-11-17 14:29:03 | 自民党憲法改正草案を読む
 2020年11月17日の読売新聞(西部版・14版)を見て、私は、奇妙な違和感を覚えた。トップの見出し。

海図に「日本海」継続へ/「東海」併記なし 韓国反対せず/国際機関指針

 という「特ダネ」。日本海の呼称をめぐって日韓が対立していたことは知っている。「日本海」という呼称だけを継続するというニュースはそれなりに意味があるのかもしれない。
 ただ、この日は別のニュースもある。1面の二番手の見出し。

選手ワクチン IOC負担/バッハ会長 五輪に観客「確信」

 これは、16日の「特ダネ」、

五輪「観客あり」確認へ/首相・IOC会長 きょう会談

 の続報。
 「『観客あり』確認へ」から「五輪に観客『確信』」に変わっただけだから、トップでなくてもいいということか。それよりも「日本海」の呼称の方が大事、ということか。たしかに、そういう判断もあるとは思うが。
 私の感覚では、「特ダネ」の続報で、しかもその内容が「特ダネ」に沿ったものなのだから、そのままトップ記事にしてもいいのではないか、と思うのである。「違和感」というのは、このこと。
 他の新聞と比較しているわけではないので(また「特ダネ」の続報なので、比較してもはじまらないと思うが)、明確なことは言えないが、ほんとうに奇妙。
 バッハが、観客を「確信」しているというのも、表現として奇妙だなあ、と思う。「観客あり」という16日の「特ダネ」から一歩後退している感じもする。だからトップにできなかったのではないか。
 「朗報」というより、「暗雲」の方が強い、ということかなあ。
 記事を読んでみる。(番号は、私がつけた。記事は、一部省略している。)

①来日中の国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は16日、東京都内で記者会見し、新型コロナウイルス対策として、来夏の東京五輪に参加する選手のワクチン接種費用をIOCが負担する意向を表明した。菅首相との会談では、観客を入れて五輪を開催する方針で一致した。

 この「前文」を読むかぎりは、見出しと整合性がとれている。記事も見出しも、まず「ワクチン接種費用をIOCが負担する」「観客を入れて五輪を開催する」という順序になっている。ただし「菅首相との会談では、観客を入れて五輪を開催する方針で一致した」が「確信」ということばに要約できるかどうかは疑問が残る。
 記事を読み進むと、ほかのことも疑問に思えてくる。

②バッハ氏は同日夕、大会組織委員会の森喜朗会長らと記者会見に臨み、「ワクチンが入手可能ならIOCがコストを負担する」と明言した。「接種を義務化しない」とも語り、大会の参加要件にはしない方針を示した。

 ワクチン接種費用負担には「ワクチンが入手可能なら」という条件がついている。まだ、どうなるかわからない。五輪選手に優先接種できるかどうか、何もわからない。だいたいワクチンが完成しているかどうかもわからない。さらに「接種を義務化しない」というのなら、感染拡大防止にどれくらい効果があるのかわからない。
 だから1面の「会談のポイント」の4項目にも含まれていない。
 ほんとうは、どう語ったのか。4面に「会談要旨」がのっていて、そこには、こう書いてある。

ワクチンが開発され、入手可能になれば、大会参加者や訪問客が接種できるように努力したい。

 「努力したい」と言っているだけである。この「努力したい」を見出しにして、「決定事実」のように書くのはなぜなのか。
 16日に「特ダネ」で報道した「観客あり」が、「観客あり」とは言えない状況に追い込まれているからだろう。「観客あり」と見出しにしてしまっては「誤報」になりかねないと判断したから、それを避けた。「特ダネ」が「事実」であるとはいえないかもしれないと判断したから、二番手の記事に格下げしたのだ。
 トップは「継続へ(継続方針)」という「予測」記事。外れても、別に問題はない。「へ(方針)」と書いているのだから、ということだろう。
 で、もう一つの見出しになっている、「五輪に観客『確信』」の方は、「会談内容」を正確に伝えているのか。これが気になる。

③会談後、首相は記者団に「観客の参加を想定した様々な検討を進めていることを説明した。極めて有意義なやり取りができた」と語った。バッハ氏は「来年の大会では会場に観客を入れるということについて確信を持つことができた」と評価した。

 なんと、これは「会談内容」ではなく、会談後の「記者会見」でのことばであり、しかもそれは、日本が入念に準備していることを「確信した」ということにすぎない。この「確信した」は「評価した」である。言い直せば「確認した」になるかもしれない。さらに言い直せば、「菅よ、しっかり準備しろよ」と「念押しした」ということだろう。
 記事全体を読めばわかるのだが、バッハは実は何も言っていない。実質的には、菅が「大会を開きたい。そのために日本はこんな準備を進めている」と説明し、バッハが「そうか、がんばれ。菅ががんばるなら、そして、ワクチンができたなら選手に接種する費用は負担してもかまわないよ。選手が望めばだけれどね」とリップサービスしただけとしか思えない。
 こういう「ニュアンス」は取材した人間でないと実際のところはわからないものだが、そんな「ニュアンス」がつたわってくる記事である。そして、そういう「ニュアンス」を伝えながらも、それを必死になって隠そうとしているようにも見える。だから、読んでいて非常に奇妙な感じがするのだ。
 菅と電通が必死になっていることだけが、日々、つたわってくると言えばいいのか。

 それにしても。
 五輪がらみのもう一本のニュース。「安倍氏に五輪功労章」は、ばかげているなあ。現実にコロナを征服し、その結果として東京五輪を開催したあとなら、五輪のために安倍ががんばったと言えるかもしれないけれど、開かれてもいない東京五輪のために安倍ががんばっているという理由で表彰するのは、あまりにもおかしい。逆に見れば。東京五輪中止が決定してしまうと安倍を表彰する機会がなくなるから、そうならないようにするためにいま表彰したということ。つまり、東京五輪中止はIOCでは折り込みずみ、ということか。IOCにいろいろ金を貢いでくれて、ありがとう、という意味なんだろうなあ。






*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

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高橋睦郎『深きより』(5)

2020-11-17 09:12:05 | 高橋睦郎『深きより』
高橋睦郎『深きより』(5)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「五 待ちつづける」は「小野小町」。

たぶんそこで わたくしは日がな夜どほし 待ちつづけた
誰を? 顔のない者を いつそ訪れそのものを と言はうか
それゆゑ いつしか付いた仮の名が小町 小やかな待つ女

 「待つ」と「訪れる」が交錯する。「動詞」は向き合うものがあって、はじめて行為として成り立つということか。動詞が向き合うとき、その両端に、たとえば男と女が生まれる。
 これは、詩の終わりで、こんなふうに言い直される。

されかうべの二つの眼窩にたまる雨水 雨水にうつる青空
あるいはそれが 花の移ろひ 夢の名残り 歌といふもの?

 「うつる」という動詞は書かれていない「うつす」を含む。「うつす/うつる」。雨水は青空を「うつす」、青空は雨水に「うつる」。それは切り離すことができない。
 同じように「待つ」は「訪れる」を切り離すことができないし、「訪れる」は「待つ」を切り離すことができない。
 しかし、現実には、その切り離せないものが切り離されてしまうことがある。
 その果てしない隔たりを「夢」がつなぐ。その「夢」をことばにした「歌」がつなぐ。「歌」は存在してはならない「断絶/切断」に懸けられた橋である。
 「待つ」けれど「訪れる」ものがいない。そのとき、「夢」は「歌」という橋をわたってしまう。
 それは「禁じられた越境」である。だから、「死(されこうべ)」になってしまうのだ。「歌」の橋をわたってしまうと。「歌」を詠んだひとは死ななければならない。ことばを生きた人間は死ななければならない。詩が、ことばにいのちを吹き込むのだ。死んだときにだけ、「待つ」という動詞が、たったひとつの生き方としてありつづける。永遠になる。


                



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