加藤ミユキ『歳月の庭』(ながらみ書院、2020年09月23日発行)
加藤ミユキ『歳月の庭』は歌集。
さくら樹は繁りて涼しき風をうむその下に仏具老いの服売る
巻頭の歌である。さくらの木の下を通ったら、露店(?)が出ていた。仏具や老人用の服を売っている、ということなのか。よくわからない。加藤には風よりも、仏具、老いの服という取り合わせが新鮮に感じられ、それが「涼しい」という印象と重なったということかもしれない。
こういう「意味/ストーリー」の「捏造」を求められるような歌は、私は苦手である。最初からつまずいてしまった。
歌集とか詩集とか句集とかは、最初の作品が重要だ。小説でも書き出しにつまずくと、どうも先へ進むのがつらくなる。
自転車の朝の散歩に口ずさむ「いつでも夢を」今日の声良し
この歌は32ページにあるのだが、そこまで読んで、ふっと一息ついた。ことばのリズムに無理を感じない。ほかの歌には、何か、無理を感じる。「意味」を完結させることに重心が置かれていて、音が動いている感じがしない。
この歌に音のなめらかさというか、音が別の音を誘い込み音楽になるような響きがあるかといえば、それは私は感じないのだが、最後の「今日の声よし」の言い切りに納得した。自転車をこぎながら口ずさむ歌は他人に聞かせるためのものではない。自分を動かすための歌(声)だ。自分のために歌い、その自分のための声を「よし」と言い聞かせている。自己完結している。特に他人を必要としていないのだ。そこに、私は共感した。ほかの歌も特に「共感」を求めてことばが開かれているというのではないのかもしれないけれど、この歌は自己完結の形がとても自然だ。他人が加藤の歌(声)をどう批判するかは気にしていない。そこに潔さのようなものがあり、それに共感したのかもしれない。
「帰ります」に「分つた」と夫これだけのためにわが持つ携帯電話
この歌も自然な「完結性」がある。ここには夫が存在するのだが、その夫の存在は加藤をどこか別の世界へ連れて行くわけではない。むしろ「閉ざす」ためのもの。閉ざすことで濃密になるためのもの。
で。
この「濃密さ」を問題にするとき、最初の部分の助詞の動き「に」と「と」があまりにも論理的。ほかの歌も「意味」の正確さを求めるあまり、描写というよりは論理(説明)になっているように思える。
「帰ります」「分つた」このだけのためにわれと夫がもつ携帯電話、というのでは音がそろわないのだが、「帰ります」と「分つた」は助詞をつかわずにひとつづきにしてしまった方が緊密な感じ(わかりきった感じ?)になるのでは、と思う。
憂きことよ五月の落葉まだ若き葉も混じりゐて庭面をかくす
「憂きことよ」という嘆きが、ここではやはり「説明」になっていると思う。私は「誤読」を好む人間なので、こういう「誤読」を拒否したことばは苦手である。しかし、ことばは進むにしたがって「誤読」を誘うように動く。「若き葉も混じりゐて庭面をかくす」はいいなあ、と思う。「庭面」の何をかくしているのか。その書かれていないものを探して「誤読」するのが、私は好きなのである。
二階屋根にとどくばかりの山茶花の咲きつぎ散りつぎいまだ盛れる
集中では、この歌がいちばん好きだ。「散りつぎ咲きつぎ」ではなく「咲きつぎ散りつぎ」という順序なのに、それが「いまだ盛れる」というところに、いのちの強さがみなぎっている。それが「とどくばかりに」の「ばかり」と呼応している。
一首を読み終わったあと、意識がもういちど自然に前のほうにもどる。言い直すと、ついつい読み直してしまう。私はいったい何を読んだのだろうか、と揺さぶられる。「誤読」したくなる。言いたいことがいっぱい出てくる。
でも、それは、書かない。ただ、いろんなことを言いたくなった、とだけここでは書いておく。
庭の木々光りかがやく真夜降りし雨にみどりの色のあたらしき
蹲踞の水のみにくる鳥一羽いつしか友となりて待つわれ
この二首も、読み返しを誘うことばの動きがある。
集の最後の歌。
美しく夜が明けたりととのえへて枕辺に置きし衣に手を通す
「ととのえる」のは単に衣ではなく、生き方ということになる。そして美しいのは「夜明け」ではなく、やはり生き方ということになる。こんなふうに「意味」を付け足してはいけないのだけれど、ここにも読み返すときだけ、ことばが深くなるという動きがある。きっと歌を読むことでいのちをととのえてきたひとなのだ。加藤ミユキは。
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