詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『深きより』(12)

2020-11-28 11:08:18 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(12)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「十二 その女によつて」は「清少納言」。

輝かしい女があつた その女を中心に 後宮が
宮廷があつた 国家があつた 世界が存在した

 この二行を読んだとき、私は「その女」を清少納言だと思った。「主人公」を客観的に(散文的に)語っているのだと思った。ところが、読み進むと「その女」と「定子」であることがわかる。

わたくしはその女に仕へて その女の光儀を写し記す
その女によつて存在する世界を 記しとどめる

 そして、その二行を引き継いで書かれる次の一行が、この詩のポイントである。

その女の終焉は わたくしの末路は どうだつたか

 つかえる女(定子)が死んでしまったとき、それにつかえていた女(清少納言)はどうなるのか。
 定子を「詩(あるいは、ことば)」、清少納言を「高橋睦郎」と置き換えて読むと、高橋の書いていることがよくわかる。

その女に終はりなど 断じてあつてはならぬこと
だから その女の世界も 世界の端にあるわたくしも
永遠に現在形として 生きつづける といふこと

 よくわかるが、わかりすぎて「詩」から遠くなってはいまいか。ここに書かれているのは高橋の「夢」というより「理想」である。「理想」と「夢」は、どう違うか。「理想」は「論理」によって語ることができ、「論理」によって説得力を持つ。つまり、問いによって(わたくしの末路は どうだつたか)によって必然的に成立してしまう答えを獲得する。逆に言えば、問いを発したときから答えは存在し、その答えを乗り越えられないということ。
 「論理」とは、つまり「散文」でもある。そして、こういうときの「散文」は清少納言が書いた散文とは違う。
 高橋が書いているように、清少納言が書いたのは「散文」ではなく「散文詩」である。「散文詩」をつらぬくのは「論理」ではなく、なまなましい感覚。「論理」を拒絶して動く、ことばそのものの「肉体」である。詩の「答え」は「結論」にあるのではなく、ことばが動いていくときの「肉体性」、その場限りの躍動、欲望のあらわれ方、その暴力性にある。
 この作品では、あまりにも「論理」が前面に出ていて、欲望が欲望の暴力を失っている。








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「内輪話」は読売新聞の独壇場

2020-11-28 09:55:08 | 自民党憲法改正草案を読む
「内輪話」は読売新聞の独壇場

 2020年11月27日の読売新聞(西部版・14版)はとてもおもしろかった。
 「編集手帳」で菅を、夏目漱石の『三四郎』を引き合いに出して、揶揄している。

<用談があって人と会見の約束などをする時には、先方がどう出るだろうということばかり想像する。自分が、こんな顔をして、こんな事を、こんな声で言ってやろうなどとはけっして考えない>◆「会見」という言葉を含むのを思い出して、菅首相の顔を浮かべながら文庫本に先の記述を探した。新型ウイルスの感染が急拡大して以降、立ち話の取材は受けるものの、一度も記者会見を開いて国民への呼びかけをしていない

 やっと批判する気になったらしい。
 でも、この視点から言えば、23日の「桜を見る会」の特ダネを掲載した日のトップ記事、「goto札幌除外26日」は、やはりこんなに手間取ると指摘すべきだったのだと思う。
 で、きょうは一面に「大坂・札幌市発 自粛要請」という見出し(記事)がある。これは、菅のどたばたを象徴するニュースだが、おもしろいのは二面の「裏話」。「GoTo見直し 不協和音」という見出しの記事の後半に、こういう記事がある。

トラベル事業利用者の感染者は26日時点で202人にすぎないこともあり、政府は事業と感染拡大に因果関係は認められないとの立場だ。首相は運用見直しを最小限にとどめたいのが本音とされる。首相官邸は分科会が「出発地制限」を求めたことにいら立っており、政府高官は「勝手な意見だ。のりをこえている」と不快感をあらわにした。
 別の高官は「何もしなくていいならそれが一番いいが、分科会の意見を無視するわけにはいかない」と打ち明けた。「目的地制限」とは異なり、出発地については自粛要請にとどめたのは、分科会の主張を全面的に受け入れるわけにはいかないとの判断が働いたようだ。

 非常に「克明に」菅周辺の「心理」を描写していることである。「首相は運用見直しを最小限にとどめたいのが本音」と説明したあと、これでもか、これでもか、というぐらいに説明している。
①首相官邸は分科会が「出発地制限」を求めたことにいら立っており
②政府高官は「勝手な意見だ。のりをこえている」と不快感をあらわにした
③別の高官は「何もしなくていいならそれが一番いいが、分科会の意見を無視するわけにはいかない」と打ち明けた
 びっくりするは「主語」が①②③と別人であることだ。「首相官邸」「政府高官」「別の高官」と三人も「証言」している。いっしょうけんめい菅の心理を代弁している。「分科会の主張を全面的に受け入れるわけにはいかないとの判断が働いた」というのは読売新聞の記者の判断だろう。だから「だろう」とつけくわえているのだが、これだけではまだ菅の周辺でおきていること(菅のいらだちにみんながピリピリしていること)がつたわらないと思ったのか、こうつけくわえている。

分科会との橋渡し役の西村経済再生相への風当たりも強い。政府関係者は「分科会にきつく言われるたびに、政府がずるずる付き合っている」と苦言を呈する。

 あらたに「政府関係者」が登場した。合計四人もの人間が「菅の思い通りにならない」(ということに菅が怒っている)と証言しているのだ。
 異常じゃない? こんな書き方。
 これを、どう読むべきなのか。読売新聞は、菅にこんなに同情している、と読むべきなのか、「自分の思い通りにならないからと会見も開かずすねてしまう菅はもうだめだ」と印象づけたいのか。23日の新聞に「二階派閥の伸張」を語る「作文」が載っていたが、菅から二階に乗り換えよう、ということを誰かに語りかけているのかな?
 よくわからないが、こんな「内幕」を長々と書いてしまうところが読売新聞のおもしろいところ。ニュースとは関係ないように見えて、こういう「ごちゃごちゃ」が意外とニュースの本質なのかもしれない。
 「学術会議」にしても、結局、「なぜ菅の思い通りにならないんだ」といういらだちが、むちゃくちゃに拡散してしまった。「首相は俺だ、俺の言うことを聞け」が通らなかったために、いくつもいくつも「理屈」をでっちあげ、でっちあげるたびに破綻した。菅の政策は、たったひとつ「首相は俺だ、俺の言うことを聞け」という「独裁」が就任以来つづいている。そういうことを読売新聞は間接的に(独裁)ということばをつかわずに書いている。

















#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 
*

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「学術会議」の基本的問題

2020-11-28 08:30:02 | 自民党憲法改正草案を読む
 「桜を見る会前夜祭」と「goto中止(コロナ感染拡大)」で書く人が少なくなったいまだからこそ、書いておきたい。

 「学術会議」を「国の特別機関」から切り離すという案がある。
 その意見の根幹にあるのが、国から予算が支出されているのだから、国(内閣)の方針に反対するのはおかしい、という意見である。つきつめていえば、国から金をもらうものは、国に反対してはいけない、ということになる。
 でも、これはおかしい。
 まず、国と内閣は違うということを理解していない。また国民のなかは、内閣(国)の政策に反対する人もいる。そういうひとも税金を納めており、その税金から予算が成り立っている。だから、内閣の方針に反対する人にも、税金は再分配されるべきである。
 いちばん簡単な例で言うと、国会議員には国の方針に賛成の「与党議員」と反対の「野党議員」がいる。国の方針に反対する議員に金を出す必要はない、切り離せ、ということになったらどうなるのか。
 いったん、菅が主張している「学術会議独立(実際は、分離、切り捨て)」を認めてしまうと、きっと、そうなるのである。
 もちろん、すぐに野党国会議員を排除する(当選を認めない)ということはおきないだろう。しかし、徐々に、そうなっていく。国会議員の排除は目立つが、学者の排除は国民には見えにくい。その見えにくいところから、「事件」はおきる。学者の次は、市民活動家がねらわれる。そのあと、国会議員が排除対象になる。そして「独裁」が完成する。

 しかし、アメリカやイギリスでは「学術会議」に類する組織は国から独立しているではないか、日本はどうして独立した組織になれないのか、という意見もある。
 これは、アメリカ、イギリスと日本の歴史が違うからだ。
 「憲法」から見ていけばいい。
 日本の憲法は、第二次世界大戦を引き起こしたのか日本の政府であるという認識の上に成り立っている。日本政府は暴走し、戦争を引き起こした「歴史」を持っている。政府に反対する国民を弾圧し、自由を奪い、国民を死に追いやる戦争を引き起こし、近隣諸国にも大きな被害をもたらした。そういう政府を二度とつくらないという決意のもとに日本の憲法は成り立っている。
 つまり、常に政府を監視するときのよりどころ(ついつでもだれでも国民は政府を批判できる根拠)として憲法がある。
 「学術会議」もおなじ。政府を監視し、批判する組織として、存在する。もちろん批判、監視だけではなく、さまざまな提言もするだろうが、そういう提言もまた「こうしなさい」というすすめであり、「監視」の一種である。政府の「手先」になって国民を説得するための「道具的組織」ではない。
 私の書いているようなことは、もちろん「学術会議法」には書いてはいない。しかし、同時に「学術会議」は内閣(国の方針)にしたがわなければならないとも書いてはない。学術会議法の3条には「日本学術会議は、独立して左の職務を行う」とある。「独立して」ということばが、明確に書かれている。「独立して」というのは自分の判断で、ということであり、他人の判断にあわせて、ではない。

 私は何度も書いているのだが、税金を納める国民の全員が内閣の方針(施策)に賛成しているわけではない。反対している国民のためにも、税金は再配分されるべきなのである。どんなに国に反対しようが、「反対者」を排除、除外してはいけない。どんな反対意見も、それを言う権利を「保障」するのというのが国のいちばんの仕事(責任)である。言い直さば、「倒閣運動」を保障するのが憲法である。
 私は他国の憲法を読んだことがないのではっきりとは言えないが、国(政府/行政機関)を批判してはいけない、革命を起こしてはいけない、ということを規定している憲法は、民主主義を掲げている国には存在しないだろう。
 いま、菅がやろうとしていることは、民主主義そのものの否定、破壊である。
 これは、コロナ感染が拡大しているさなか、「goto」を実施し、批判を浴びてやっと「中止/抑制」はしたものの、そのことに対して国民に具体的に説明をしない菅の態度に露骨にあらわれている。「マスクをしろ、手を洗え、三密はだめ」とは言うが、国は何をするのか説明しない。国がやっていることを、ただ黙って聞け、という態度にあらわれている。
 「桜」と「goto」に目を奪われて、「学術会議」を忘れてはいけない。みっつの問題の根っこはおなじである。権力が権力の利益のために、国民の税金をつかっている。「学術会議」の会員(候補)のなかには、そういうことに反対するひとがいる。だから、それを排除しようとしている。「学術会議」そのものを排除しようとしている。

 「桜を見る会」問題は、菅がリークしたという説もあるが、もし菅がリークしたのなら、それは「学術会議問題」から国民の目をそらすための「誘導作戦」といえるだろう。

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