「現代詩手帖」12月号(42)(思潮社、2022年12月1日発行)
藤原安紀子「拙速どうぶ」。
ムコウからあるいて
眼うらからわたしも むかい
トク トクとまたたく この
温かい は じぶんの 地から手と
なり 降られた えいえんに
あるいて あるいて
わかったようでわからない。「わかったようで」というのは「ムコウからあるいて/眼うらからわたしも むかい」を、私は、向こうから誰かが歩いてくる、それに対して私はその相手の方へ歩いていくと想像するからだ。そのとき、私の肉体のなかの変化。それを「眼のうら」から動く、肉体の内部から動くと想像できるからだ。「わかる」は「想像できる」。そして、「想像する」とは自分の肉体を他人の肉体に重ねること。単に足を動かして歩くのではなく、「歩く」はもっと肉体内部の運動、対象を見つめる「眼」の奥、瞼をつぶっても見えるものへとこころが動いていくことが力となっているからなのだと読み、あ、おもしろいと感じる。三行目に出てくる「またたく」は「まばたき」(瞼をたたく)にも通じると感じる。そのあとは「温かい」「血から」「手」という具合に、ここには「肉体」が書かれているのだと誤読をすすめ、いっそう「わかった」という気持ちになる。ことばが「学校文法」どおりに動いていないのは、何かことばにならないものを書こうとしているからだと思ったりする。
でも、こういう感じは……。
何と言うか、習い始めた外国語を、わかっている(つもり)の意味をつないでいくようで、どうも落ち着かない。
こういう奇妙に関節がずれたような文体でないと語れないことなのだろうか。私は、逆に、どう読んでも「学校文法」どおりなのに、読み終わると自分の関節がずれてしまうという印象が起きる文体の方を好む。
文月悠光「見えない傷口のために」。
ひとの言葉が刃であるなら、
唇はあらかじめ備わった傷口だろう。
なるほど。
あなたへの伝わらなさに苛立つとき
噛みしめて思う 唇は傷口であると。
「ひとの言葉」は他人のことばではなく、自分のことば。だから、唇も他人の唇ではなく自分の唇。しかし、そうすると「刃」は自分の内部、たとえば「舌」のようにして唇を切り裂く?
言葉を発するほどに、傷は深く重くなる。
はい。論理的によくわかります。
誰もが持つ無防備な傷口のために
政府から四角い包帯が配られる。
それでも、わたしの存在を「わたし」だけに
閉ざしておくことはできないのだ。
うーん、しつこい。
でも、まだまだ、とまらない。
悲しみをほどいても、心は埋まらない。
「満たされる」とは
自分を最高の相棒にすることだ。
この身体を留めつづけるために
響くような怒りと傷が必要だ。
わたしをわたしたらしめる傷を
わたしは愛する。
これは、まだまだつづいていく。読み続けると、文月の唇(肉体)が私の肉体をのっとってしまいそうで、こまったなあ、いやだなあという気持ちになる。「わざわざ」最後まで読まなくても、なんとなく「結論(?)」めいたものがわかるのだけれど、私は「わざと」最後まで読む。
そして、推理小説や映画のエンディングを語るように、「わざと」こう書く。この詩の最後はねえ……。
光が傷を飲みこんで
今ようやく言葉になった。
ね、想像どおりでしょ? でも、この想像どおりが想像どおりであることを確認するために、最初から最後まで、私が省略した部分を詩集『パラレルワールドのようなもの』で読み直してください。
優れた映画は「結末」がわかっていてもたのしく読むことができる。知っている内容なのに何度でも見る。詩も、そういうものだ。
水沢なお「窓の外で燃える火」。
授業中 たまに揺れる
山を切り拓いて 石灰を取り出すらしい
からはじまる。巨大な何かから、一部を分離する。そういうことと「ぼく」の存在が重なるように(重なることをめざして?)、ことばが動いていく。「ぽく」は切り拓かれる山なのか、取り出された石灰なのか。
「どちらも本当」だろう。この「どちらも本当」ということばは、六行目に出てくるのだが、それから先は「本当」が分離されるというよりも、より強固に結びつく。それがおもしろい。
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