「現代詩手帖」12月号(28)(思潮社、2022年12月1日発行)
松本秀文「ゴジラ」。
「ゴジラ以後に詩を書くことは茶番だ」
「茶番」に傍点が振ってある。「わざわざ」か「わざと」か。同じように傍点が振ってあるのが、
決して二度目などないのだ
そうか。でも、二度目どころか、何度でも繰り返してしまうのだ人間というものだ。それが証拠に、松本は傍点を振ることを繰り返している。そうではなくて、私が傍点に、二度、目を止めたということか。
何とでも言える。「わざわざ」でも「わざと」でも。しかし、どんな「何度」でも、その瞬間は「一度」というか、「初めて」である。
ひとつ、疑問。
松本は、いつ「ゴジラ」見たのか。私は「ゴジラ」誕生の前年に生まれているので、見たのは、もちろんリバイバル上映が最初。すでに「二度」以上上映されているし、もしかすると最初に見たのは「初代ゴジラ」ではないかもしれない。……ということは。「ゴジラ以後に詩を書くことは茶番だ」ということばは、私にはほとんど意味を持たない。すでに、「ゴジラ」が「ゴジラ以後」を生きているからだ。
逆に言えば、松本が書いているのは、もう「繰り返された歴史」であり、新しいものはないということである。「〇〇以後、詩を書くことは〇〇である」という言い方そのものが「歴史」である。
「二度と繰り返すなよ」
とも松本は書くのだが、むしろ何度でも繰り返さなければならないことがあるのだ。「わざと」ではなく、「わざわざ」。(山崎修平の詩の感想につづく。)
山腰亮介「ゆきのきと」。
ゆきのきと
ときのきゆ
は、「雪の帰途/時の消ゆ」か。「朱鷺の消ゆ」でもいいかもしれない。いまはまた復活したが、一時期、日本の朱鷺は絶滅した。消えるものの象徴として「朱鷺」が「時」にかわって思い描かれてもいいかもしれない。
羽毛ほどける
朝のひといき
「羽毛」は朱鷺の羽毛。そして、それは雪の一片であり、また雪の朝の白い息(ひといき)かもしれない。
「わざと」、どう読んでもいいように書かれている。「わざと」、ことばのゆらぎを抱え込んでいる。「わざと」ではなく、「わざわざ」、そうしているのだ、その「わざわざ」が詩なのだと山腰は言うかな? この繊細さは、松本の詩に続けて読むと、なかなか、つらい。時系列、五十音順のアンソロジー編集方式は、そういうことは考えないだろうけれど……。谷川俊太郎の作品を五十音順を無視して最初に持ってくるくらいなら、こういうことにこそ、配慮をしてもらいたい。「人事」ではなく「作品」をたいせつにしてもらいたい。私は、そのことを「わざわざ」つけくわえておく。
山崎修平「招待」。(松本秀文の詩の感想のつづき。)
壊すことはたやすいこと、そう、それはわかっていた。
この一行を、それが書かれている連ではなく、次の連に結びつけると、どうなるだろうか。
恥ずかしげもなく僕らは自由という言葉を放った。
エリュアールのように、自由、自由、自由と。
それで、エリュアールの言った「自由」ということばを「壊す」ことができたのか。壊したのはだれか。そうではなくて、すでに「自由」は壊れていた(壊されている)のではないのか。
もう一度、エリュアールの言った「自由」を大声で言わなければならない時代になっていないか。「恥ずかしい」のは、そういう時代を許している私たちのことばだろうと私は思う。
エリュアールの言った「自由」は、私には「平和」と同義だが、「自由」を破壊するのはナチスやプーチンだけではない。「台湾有事」を待ちつづけているアメリカもそうである。もし「台湾有事」が起きたとしたら、そのとき(そのあと)あらわれるのは、いったいどんな「ゴジラ」だろう。日本の映画人は「新ゴジラ」を作ることができるか。作る権利があるか。
この感想を、私は「わざと」書いているのではない。「わざわざ」書いているのだ。つけくわえておく。松本や山崎の詩がいつ書かれたものか私は知らないが、私は「ゴジラ」や「ゴジラ以後に詩を書くことは茶番だ」という表現、エリュアールの「自由」という言葉に触れて、どうしても安倍晋三や岸田文雄のやっていること、バイデンがやっていることを度外視して感想を書くことはできない。詩と政治が別個の世界に存在するとは考えることができない。
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