中井久夫訳・リッツオス「ペネロペの絶望」(『アリアドネからの糸』みすず書房、1997年08月08日発行)
リッツオス「ペネロペの絶望」を読むと、カヴァフィスとリッツォスの違いがよくわかる。
彼の乞食の仮装が暖炉の弱い光で分からなかったわけではなかった。
そうではなかった。はっきり証拠が見えた。
膝頭の傷跡。筋肉質の身体。素早い目配り。
ぞっとして壁に倚りかかり言い訳を考えた。自分の考えを漏らさないために
答えを避ける暇がほしかった。あの男のために虚しく二十年を待ち、夢を見ていたのか?
あのいとわしい異邦人、血塗れの髭の白い男のためだったのか?
無言で椅子に倒れ、己の憧憬の骸を見る思いで床の求婚者たちの骸をとくと眺めてから
「おかえりなさいまし」と言った。
自分の声が遠くから聞こえ、ひとの声のようだった。
部屋の隅の機織り器が天井の上の籠のような影を作った。
今まで織っていた、緑の木の葉の間にきらめく輝く赤い鳥は、灰色と黒になって
これからの終わりのない忍耐という平べったい空を低く待った。
ペネロペとオデュッセウス。この物語を知らないギリシャ人はいないだろう。だから、どこまで省略し、どこまで書くか。
最初の四行は、カヴァフィスも書くだろう。しかし、そのとき「分からなかったわけではなかった」や「自分の考えを漏らさないために」は書かないだろう。カヴァフィスなら、ただ事実だけを書くだろう。「膝頭の傷跡。筋肉質の身体。素早い目配り。」にみられる素早い事実の列挙がカヴァフィスのことばの特徴である。
リッツオスは「真理」をカヴァフィスよりも克明に描く。ただし、そのとき、「真理」をこころの外にあるもの、あるいは行動としてあらわれるものとして描く。中井久夫の表現を借りて言えば「映画のように」。
カメラは、ペネロペが見たものと、ペネロペの行動を行き来しながら、ペネロペを描写する。オデュッセウスの乞食の変装、膝頭の傷跡、筋肉質の身体、素早い目配りをミドルショット、アップでとらえた後、ペネロペが壁に倚りかかる姿を、その全身をとらえる。それから、ペネロペのさまよう視線が見たものと、椅子に倒れ込むペネロペの動作を交互にとらえたあと「おかえりなさいまし」という唇をアップでとらえる。それは、もしかすると「声」ではなく、唇、舌の動きだけで表現されるかもしれない。口の動きを見れば、「おかえりなさいまし」という声が聞こえる。そんな感じだ。
ここからは、もう、ペネロペの「肉眼」が見ているというよりも、「こころ」が見ている世界だ。そこでは「緑の木の葉の間にきらめく輝く赤い鳥は、灰色と黒に」に変わっている。この「緑の木の葉の間にきらめく輝く赤い鳥は、灰色と黒になって」ということばは、カヴァフィスは絶対に書かないだろう。
そしてまた、この一行は、まるで中井がリッツォスになって書いたのではないかと感じさせる色彩の変化の表現である。中井のことばを借りていうなら、中井はここでは完全にリッツォスに「チューニング・イン」している。どこまでがリッツォスで、どこからが中井か、区別がつかない。中井の「ことばの肉体」がここにくっきりとあらわれている。
カヴァフィスとリッツオスは似たところもあるが、完全に違うところもある。その完全に違うところを、完全に違う文体で訳し分けるところに中井のことばの不思議な強さがある。リッツオスなら、たしかに、この通りのリズムで語るだろうと想像させてくれる。私は、中井の訳をとおしてしかリッツォスを知らないのだが。(カヴァフィスの詩は、池沢夏樹の訳でも読んだ。)
この詩を読みながら、どうしても知りたい思ったことが一つある。
答えを避ける暇がほしかった。
中井がこう訳している「暇」。それは原語ではどう書かれているのだろうか。私は、この「暇」にカヴァフィスの声(カヴァフィスを訳すときの中井の声)を聞いた。もしかしたら、それはふつうには「時間」と訳すことばではないか、と想像したのである。「膝頭の傷跡。筋肉質の身体。素早い目配り。」という一行が、あまりにもカヴァフィスに接近してしまったために、その口調のまま「暇」ということば(声)が出てきたのかもしれないと思ったのである。
ギリシャ語でこの詩を読んだことがある人がいるなら、ぜひ、教えていただきたい。
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