青柳俊哉「野生のひかり」、永田アオ「夕陽」、杉惠美子「砂時計」、池田清子「論理的」、木谷明「白写」、徳永孝「あなたに届けられるなら」(朝日カルチャーセンター、2022年12月19日)
受講生の作品。
野生のひかり 青柳俊哉
十二月の晦日に 光のうすい
野をさまよう 藪に入り
みずみずしいうらじろの
大きな羽を 袋いっぱいつめる
雲にふれる赤松の葉と 雲を降りて
崖に荒ぶる竹の茎を 地平に凍える蝋梅
の灯りと 霙を跳ねるゆずりはの房を
ふかふかの 盥のようなバケツに束ねる
野生のひかりで餅をつつみ 頂きに
天啓の蜜柑をのせて 神をこしらえる
なぜ十二月の晦日に ひかりを集めて
太陽のめぐりに 心をあわすのか
四連目「神をこしらえる」。この「こしらえる」が印象的だ。手元にあるものをあつめて「こしらえる」。それは無からの想像ではない。手元にあるものは、もしかすると「神」が与えてくれたものかもしれない。それに新しい形を与えるというよりも、そこにあるものの秩序を新しくする。存在が新しいのではなく、存在する「形式」が新しい。そういうことを考えさせる。
*
夕陽 永田アオ
秋の日
夕陽が
町を
家々を
朱く染め
たくさんたくさん
朱く染め
染め余って
川にこぼれて
川の上を
洪水のように
溢れて行った
夕陽はみんな
行ってしまって
町はすっかり暗くなった
いまごろ
夕陽たちは
海の向こうで
朝日になるのを
待っている
「染め余って」の「余る」がとてもおもしろい。そのあとに「溢れる」という動詞が出てくる。「余る」は「余分」ではないのだろう。最初から「量」が決まっていて、それよりも「量」が多いという状態ではなく、「染める」という動詞に勢いがあって、その勢いが「余って」「あふれる」。
この運動のリズムが全体を貫いている。
だから「町はすっかり暗くなった」で終わることができずに(?)、明日の朝にまで言ってしまう。とても自然だ。
*
砂時計 杉惠美子
今年一年の砂時計がもうじき終わる
除夜の鐘とともに 静かに
上と下を返す
また一年の砂時計が同じ速さで降りてくる
音はないけれど 勢いもあるし
強さもある
まわりから支配もされないし
外からのタイマーが 鳴るわけでもない
ひたすら 自分の時間を進むだけ
干渉もされないし、見えない力に
怯えてもいない
永田の詩で「余る」と呼ばれていたものは、この詩では「勢い」「強さ」と言い直されている。それが「ある」。この「ある」は詩の中で二回繰り返されている。「ある」よりも「ない」の方が多く繰り返されている。しかし、私には「ある」の方が強く響いて来る。なぜだろうか。「ある」はことばとしては書かれていないが、無意識(肉体)を貫いているからだ。
三連目「ひたすら 自分の時間を進むだけ」は「ない」をつかって言えば「ひたすら 自分の時間を進むしかない」になる。しかし、「ある」を補って読むこともできる。「ひたすら 自分の時間を進むだけである」。ここには決意が「ある」のだ。
それは「勢い」も、「強さ」も「ある」。持っている。
*
論理的 池田清子
私は論理的ではない
ということを
論理的に証明できれば
私は論理的ではない
私は論理的ではない
ということを
論理的に証明できなければ
やっぱり
私は論理的ではない
私は、論理的である
池田の詩にも「ない」と「ある」が交錯する。私は瞬間的に「クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言った」というパラドックスを思い出したが、「論理」というのは、「後出しジャンケン」だから、なんとでも説明がつく。「多くのクレタ人は嘘つきだと、ひとりの正直なクレタ人が言った」とも説明しなおすこともできるし、「多くのクレタ人は嘘をつかないが(正直だが)、ひとりの嘘つきのクレタ人が『クレタ人は嘘つき』だ嘘をついた」。
論理は最初から絶対的なものとして存在するものではなく、つくり出すもの(青柳がつかっていたことばでいえば「こしらえる」)ものだからである。すでに存在するものを整えなおす。そして、それはいつでも「ある」になってしまうものである。
もうひとつ、「ない」が存在する(ある)と発見したのはギリシャ人であるというということも思い出した。
池田の書いている「ある」も「余った/ある」かもしれない。
*
白写 木谷明
さらさらさらさらと
人は出かけて
行きもせず帰りもせず
さらさらさらと
目には風当たり
たぐりよせ
今日も昨日もたぐりよせ
明日に折り返すものはないことを
知りながら
玄関を開ける
「論理的」に考えると、たぶん一連目の「行きもせず帰りもせず」につまずく。いったいどっちなのか、と。こういうときは、私は、その動詞がどういう具合につかわれることが多いか考える。「会社へ行く」「家へ帰る」。この例だと、木谷の書いていることは非論理的になる。しかし、私たちはたとえば「古里へ行く/古里へ帰る(帰省する)」ということがある。こういうとき、「行くの? 帰るの?」と問いかける人はいないだろう。このとき、たぶん意識しない動詞に「いる/ある」がある。私はいま「家(ここ)」にいる。そこを起点にして、ある場所へ「行く」、ある場所へ「帰る」。このとき「行く/帰る」は物理的には同じ方向への動きだが、意識的には違うのである。
その「意識」に注目して「行く/帰る」のほかにどういう動詞がつかわれているかを見てみる。おもしろいのが「たぐりよせる」である。ここにないものを、ここにたぐりよせる。それは、意識がここから、ここではない場所へ行く(帰る)ことでもあるだろう。そのとき「行く/帰る」のどちらをつかうか。
木谷は、決めない。かわりに「開ける」という動詞をつかう。どちらを選ぶかは、そのひとにまかされている。「昨日/今日/明日」のすべてを「開けたまま」にしておく。
「白写」は造語。どういう意味かは、読んだ人が考えればいいだろう。
*
あなたに届けられるなら 徳永孝
あなたが私の事を思い出し悲しんでいる様子や
時々私に会いたくてこちらに来たいと思っているのを
見ていると心配です。
あなたがこちらへ来るのはまだ早すぎます
そちらの生活を充分味わってからでも遅くはない
と思いませんか?
あなたが日々暮らしていて
幸せでいる様子が見られたなら
私も安心してこちらの生活を送れます。
時が満ちあなたがこちらへ来た時には
それまでのお互いの出来事や思いを心ゆくまで語り合いましょう。
私にはこちらで気の合う新しい仲間もできました。
あなたにもこれからまた多くの出合いが有ることでしょう。
ああそうだ、いつかあなたにチャンスが巡って来れば
新しい恋をするのはどうでしょう?
嫉妬しないのか? ですって
そうですね、するかもしれませんが
あなたの幸せが私のよろこびですから
「届ける」(届く)という動詞は、タイトルにはあるが、本文にはない。それは徳永の意識のなかに深く根づいているから、ことばにならなかったのである。すべてのことばを届けたい、ということである。
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