「現代詩手帖」12月号(27)(思潮社、2022年12月1日発行)
南原充士「末子」。
亀の甲にマッチ箱を載せ
お尻をくすぐる
突然はじまる奇妙な描写。何のことかわからないが、わからなくていいと思う。南原の「過去」というか「肉体」である。どんな「過去」が「肉体」に刻まれているかは、読んでいけば少しずつわかるだろう。たぶん「自画像」だろう。「マッチ箱」というものを、最近見なくなったが(わが家にあるかどうか……)、何かの表徴である。亀もそうかもしれないが、亀が南原だとすると、マッチ箱は彼が背負わされている(と思っている)何かだろう。
それは、こう言い直される。
二番目の兄は父がちがうらしいが
さとし君にはまだわからない
しかしなあ。「さとし君」(「充士」は、さとし、と読む?)が何歳の設定なのかわからないが、こういうことって、子どもにはほんとうにわからない? 子どもは、なんでもわかってしまうものだと私は思っているので、この「わからない」がわからない。子どもがわかっていないのは(私の経験から言うと)、自分(子ども)がついている嘘を、大人は嘘だと気づかない、つまり、自分はなんでも知っている(大人よりも物事を知っている)と思っているのだが、大人は子どもの嘘をみんなわかっている、ということだろうなあ。
脱線したかな? そうでもないと思う。
せっかく詩を書き出したのに、「物語」に収斂していくところが、おもしろくない。「わざわざ」詩を「物語」に閉じ込めてしまうことはないだろう。
藤井貞和「金メダルをメキシコ湾の湖へ沈める」は、タイトルからしてわからない(不可解)だ。メキシコ湾に湖がある? しかし、
湖の底には、むかしの親たちの墓の村があってよ、
わしら運転手のはこぶ、移転の通知には、
墓ごとに宛て名が書かれおる、それを、
ゆらゆら、藻のかたちして出てくる腕二本へわたすのや。
そのとき、ぎゅっと腹をにぎってくるのが不快で、
ふと気をとられたら、もう、わしらは霧のなかよ、
この「ぎゅっと腹をにぎってくるのが不快」が強烈だし、そのあとの「ふと気をとられたら」がすごいなあ。「ふと気をとられたら」は論理(ことば)を動かすための「通路」なのだが、そして、こういう「通路」は散文には必要であっても詩には必要がないものなのだが。
というのは「一般論」であって。
この「通路」を明確にしているのが、藤井のことばを、詩に消化させる原動力になっている。つまり、キーワード。
藤井は、たぶんメキシコで「現地調査」かなにかしているのだろう。そこでタクシー運転手の話を聞く。そして、その話を聞いていて、「ふと気をとられたら」、タクシー運転手の話すことばの世界に引き込まれている。「ぎゅっと腹をにぎ」られて、引きずり込まれている。
この場合「気をとられて」の「気」というのは「こころ」とか「思い/意識」ではなく、「腹」の奥にある「内臓」のことである。あえて言えば、それは無意識(意識で操作できないもの)である。「腹をにぎる」は、腹の「皮下脂肪」をにぎるのではなく、臓腑(内臓/無意識)をわしづかみにするのである。だからこそ、逃げられない。
こうなれば、もう「わかる/わからない」の世界ではない。わかるしかないのである。読者の無意識をわしづかみにし、有無を言わせず説得してしまうもの、それが詩である。
マーサ・ナカムラ「川の記述」も、「わかるしかない」ものを書こうとしているのだが、「現代詩手帖」の投稿欄で読んだ詩のような、「肉体感覚」(肉体の運動)が、私の「肉体」にかさなるような感じがすっかり薄くなってしまっている。
川帯の向こうに敷かれた水色の布団の上で
夫と子どもは
うまくいかないと泣いているのだった
「水色の布団」よりも「うまくいかないと泣いている」ふたりの「肉体」の動きを、「肉体の部位」(たとえば、藤井は「腹」と「腕」をつかっていた)をとおして書いてもらいたいなあと思う。民話とか民俗学(民族学?)は、何よりも、「肉体の故郷」なのである。
藤井の詩は、現代(詩のなかに出てくる年号でいえば、一九六四年以降)を描いているが、それが「肉体」を描いているからこそ、「いま」を「神話」にも昇華するのである。
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