詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(2)

2023-01-04 17:14:17 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「祈り」は嵐に遭難した子供の帰りを待つ母を描いている。その最後の二行。

母の待つ子の永久に還らぬを知るイコンは
じっと聴いていた、哀しげに、荘重に--。

 「還らぬを知る」という引き締まった音が美しい。
 中井は、口語と文語をつかいわける。「還らぬを知る」は文語といえるかどうかはわからないが、少なくともいまの口語ではない。
 文語の特徴はスピードが速く、ことばの関係が緊密なことである。余分な思いがはいりこまない。「事実」が「真実」として浮かび上がる。ここでは「還らぬ」と「知る」のふたつの動詞が、絶対分離できないものとして動いている。
 その緊張のあとに、感情が、感覚が、解き放たれる。悲劇のカタルシス。最後の一行は、その直前のことばが「還らないことを知っている」という間延びした普通のことばだったら、痛切さが半減したと思う。

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「現代詩手帖」12月号(26)

2023-01-04 16:10:36 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(26)(思潮社、2022年12月1日発行)

 高田昭子「風の吹く日」。

初夏の風が渡る街の交差点で
信号が青に変わるのを待ちながら
遠い草原を思っている

人々の暮らしは
馬の背にまたがり
土埃をあげながら歩み続けてきた
来歴に来歴をつなぎ続け
その先には いつも
すこやかな赤児の産声が聴こえていた

 「遠い草原」の「遠い」がどれくらい遠いのかわからない。「来歴に来歴をつなぎ続け」から想像するに「時間的に遠い」のだと思うのだが。しかし、私はどんなに「時間」をたどってみても、私の知っている「暮らし」のなかには「馬の背にまたがり/土埃をあげながら歩み続けてきた」人がいないので、高田の書いていることが理解できない。
 この詩の最後は、「馬」ではなく「魂を運ぶ鳥」に変わるのだが、この「馬」と「鳥」の関係もわからない。最初から「鳥」で押し通せば、まだ、何かが伝わるかもしれないが。

 高野尭「マルコロード」。

 どこからかながれてくる、ヒヤッとした、どこからかきこえて、もやっとしたやまでもうみでもない、このへやでもないどこか、空でさえないそらから、どこからかながれ、よるべなく声にならず、

 ことばを重ねると近づいていくのか、遠ざかっていくのか。遠ざかって行くにしろ、その「遠い」には何かが意識されているから「遠い」のだろう。つまり、「肉体」が遠ざかって行っても「意識」は近づいていく。そういうときの、ことばの動きを、読点「、」でつないでゆく。
 これはもちろん「わざと」である。つまり、この「わざと」は、「わざわざ」をめざすのである。そのとき「空でさえないそら」というような「表記」は意味があるだろうか。私は、「意味」も「効果」もないと思う。

 鍋島幹夫「帰りたい庭」。

子供たちの顔の上をすべっていく
草色の雲
この解像途中の あるいは 接続をやめた残像 みたいなものは
回線の向こう岸に見る 村々や校舎への 敵意のなごりだという人もいるが
それは違うと思います

 「それは違うと思います」が、この詩のキーワードである。その特徴は「それは違うと思います」というときにも、相手(だれか)の主張をていねいに聞くことである。
 「それは違うと思います」のあとに、鍋島が何と思っているかが、またていねいに語られるが、きっとその自分自身のことばに対しても、鍋島は「それは違うと思います」と言っている。
 一回、彼自身の「正しいと思っていること」を語るのではなく、それを何度も言い直している。その果に、「思う」は「考えている」にかわり、最後は、こう締めくくられる。

ぼくの複製で埋めつくされる 庭の暗いわななき--
別のホームの庭から
夢精のめざめの履歴で
何度でも取り出す ことができる

 「何度でも」。この「何度でも」の何か「遠い」と「近い」が同居している。固く結びついている。遠ざかったのか。「違うと思います」。近づいたのか。「違うと思います」。「何度でも」繰り返されるもの、繰り返してしまうもののなかに詩がある。
 「わざと」繰り返すのではない。「わざわざ」繰り返すのでもない。「自然に(何度でも)」繰り返すのである。

 

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Estoy Loco por España(番外篇273)Obra, Jesus del Peso

2023-01-04 10:12:00 | estoy loco por espana

Obra, Jesus del Peso

  Volando, flotando en el aire. Como una gaviota.
 Si se mira de cerca, se ve que efectivamente está en el suelo, pero no me siento su peso en absoluto.  Está hecho de hierro, pero me parece que vuela recto hacia el cielo. Quiero subirme a la cima y sentir el viento.
 Ah, lo entiendo! No es una abstracción de un pájaro, sino una forma de la ligereza del viento que siente un pájaro. Por eso, en cuanto lo veo, mi cuerpo se aleja flotando. Siento el viento. Las alas de hierro agarran todo el viento.

 El ritmo de la combinación de cuadrados es agradable. Las líneas de la obra de Jesus son nítidas e inquebrantables, y su precisión les confiere una sensación de ligereza. Ningún avion, por preciso que sea, puede dar una impresión de ligereza como esta obra. Esta puede ser la forma del avión del futuro.

 Jesus の作品。飛んでいる、宙に浮いている。まるでカモメのように。
  よく見ると、たしかに大地の上に立っているのだが、重さを全く感じない。鉄なのに、そのまま空へ飛んで行きそうだ。上に乗って、風を感じたい。
  あ、そうなのか。これは鳥を抽象化したのではなく、鳥が感じている風の軽やかさを形にしたものなのか。だから、見た瞬間に、私の肉体が浮いてしまうのだ。風を感じてしまうのだ。鉄の翼は、すべての風をつかんでいる。

  四角形の組み合わせのリズムが、心地よい。乱れがあるようで、乱れにならない。Jesus の作品は、それぞれの線がとてもシャープで、ゆるぎがないが、その正確さが軽さを感じさせる。どんな精密な飛行機でも、このJesus の作品のような軽さを感じさせることはできない。未来の飛行機の形かもしれない。

 

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