北川透『海の古文書』(7)(思潮社、2011年06月15日発行)
「五章 スケルツォ 狂女の日記風に」。この章では、私は二つのことを書きたい。深津のことはどこかで緊密につながっているのだが、そのつながりをうまくことばにできそうにないので、とりえあず別々に書いてみる。
まず、一点目。
ここに書かれているのは、確かに「日記」なのかもしれない。日付がある。ただし、その日付は肝心の部分が伏せ字である。
で始まり、その日付は「×+1(あるいは2)日」という具合には動いて行かない。ふつうに考えれば「×日」の次の日記は「×+1日」ということになるが、そうではないかもしれない。「×-1日」があってはいけないということはないだろう。
私が考えたのは、こういうことである。
私たちが「過去」を語る時、その「過去」とはほんとうの「過去」ではなく「いま/ここ」から呼び出した「過去」である。当然、その「過去」に関することばには、「過去→いま」という時間のなかでおきたことが反映している。どんな「過去」でも「いま/ここ」で書く「過去」は、あくまで「いま」から見た「過去」である。
「いま」を書く時はどうだろうか。「いま」を書く時も、やはり「過去」は影響してくる。「いま」は単独で「いま」があるのではなく、「過去」からつづいているもの、「過去」から断絶したものがあって「いま」である。その連続と断絶を具体的に書こうとすれば、どうしても「過去」についても書かなければならない。
「日記」は「その日」の出来事、その日の思いを書くものであるけれど、どうしてもそこには「過去」が影響している。「その日」というものはない。だから「×月×日」に書いたとしても、それが「×日」だけのこととは限らないし、次の日に書いたことがそのまま次の日のことであるとは限らない。
人間の時間は、「物理」の時間とは違って、何か別のものを引きずっている。
でも、その別のものって、何?
北川は「それ故に……。」とすべての「日記」の書き出しをはじめているが、人間が引きずっているものは、たぶん、その「それ故」なのだ。
「それ故」って何? 「それ」は何を指している?
あ、これは面倒くさいね。説明ができないね。うまく「過去」(それに「先行する」何か)を、ことばにできないこともある。何かことばにならないまま、「過去」を引きずる--そういうことの方が多いのだ。あるいは、あらゆることが「それ故」になりうるといった方がいいかもしれない。
「×月×日」というのは、「きょう」であっても、「過去」を引きずってしまっているのだ。
「使い古されたことば」「死語のゴミ」。「それ故氏」(あるいは、それ故、という表現がもたらすもの)を特徴づけるのは、「古い」「死」であるだろう。「過去」は「古い」であり、「死」なのだ。それは、いつでも「いま」を追いかけてくる。
次の「×月×日」の日記。
「過去」があるから、過去を振り切るために引っ越した。「過去」のことを「ゆれ故軍団」は「正体」と定義している。「正体」と定義する、つまり「過去」こそが「真実」であるという主張のもとに「過去」はいつでも、「いま」を追いかけてくる。「いま」を突き破って「過去」を噴出させようとする。生き返らせようとする。過去はけっして遠ざからない。そして、過去が接近することで、逆に「未来」が「いま」から遠ざかるということが起きてしまう。「いま」が「未来」へ向かう運動が邪魔されてしまう。
矛盾が起きてしまう。
「いま」は「未来」へ向かっているはずなのに、接近してくるのは「過去」である。そして、その「接近」の方法が「それ故」なのだ。「理由」(論理)なのだ。その論理、その論理のことばは、古い、もはや死語であるけれど、追いかけることをやめない。
「それ故」は「わたし」と「わたし」を結びつける。結びついた時、つまり「わたし=わたし」という関係が「ゆれ故」によって証明された時、それを「正体」と呼ぶのが「それ故軍団」の「数学」である。「ことばの論理」である。「過去」は全体に切断されないものなのである。
最後の方の「日記」。
この「日記」は、私が最初に書いたように「×日+何日」ではない。ここに書かれているのは「×日-何日」、つまり「過去」である。「それ故……」ということばを生きる時、そこでは「時間」は「過去」にならざるをえないのである。
けれども「わたし」はいつも「わたし=わたし」という関係を生きてはいなかったのだ。この詩集の「基本論理」は「わたし」は「わたしではない」である。「ひとり」は「ひとり」ではない。「ひとり」は「ふたり」になる。「ふたり」は「ひとり」になる。
イコール(わたし=わたしである)を否定しながら、わたしではなく「なる」。その運動が、この詩集のことばの登場人物たちの「基本」である。
この「ではない」を利用して、何かに「なる」というのが「詩」なのだ。「それ故に」という「因果関係」を断ち切って、自由に運動していくのが「詩」である--というのは、唐突な定義であるけれど、このことと、私がもうひとつ書きたいことがあると冒頭に書いたこととが関係がある。
で、もうひとつのこと。
この「海の古文書」は「現代詩手帖」で連載されたものである。連載詩を書く時、詩人はどんな構想を持っているのだろうか。北川は12回(?)の全体の構造を最初から設計図として持っていたのだろうか。
「設計図」(つまり、到達すべき世界ともいうべきもの)を持っていても、持っていなくても、まあ、ことばは動かしていけると思う。それは散文の場合も、詩の場合も同じだと思う。私の大好きな森鴎外の「渋江抽斎」は「設計図」なしに書かれた散文の大傑作である。その「渋江抽斎」と比較しながら「散文」と「詩」のことを考えてみると……。
「散文」の場合、最初に書いたことを「事実」と踏まえて、次の章のことばが動いていく。「それ故」ということばで「事実」を踏まえるかどうかは別にして、「事実」を積み上げることで、ことばの世界を広げていく。
ところが「詩」はそうではなく、「事実」から、あるいは事実の積み上げる「ストーリー」から逸脱していく。ことばが「事実」から離脱して、別の次元へいってしまう。そこから「事実」を逆照射するというのが「詩」である。
「散文」と「詩」は、ことばの運動がまったく逆なのだ。
「詩」は「過去」を(先に書いたことを)踏まえないわけではないが、尊重しない--いや、それから「自由」になろうとする。そういうことばの運動が「連載」の形で動かすというのは、まあ、一首の「矛盾」である。「連載」できないのが「詩」なのだと思う。けれど、北川は「連載」で詩を書く。
このとき--ちょっとおもしろいことが起きる。
「五章」の「狂女日記」は「四章」にでできた魯迅の「狂人日記」を踏まえている。引き継いでいる。
前に書いた「事実」を踏まえるという「散文」の「痕跡」が「それ故」ということばのなかに、残っている。「連載」の形式をとると、どこかで、それは「散文」を引き寄せてしまう。--といっても、これは私の印象にすぎないのだが……。
この「五章」では、北川は「散文」と「詩」のせめぎ合いのなかで書いているという感じがする。そして、そのせめぎ合いは「連載詩」という形式を選んだために、より強くなっているように思える。
(「渋江抽斎」のことを書いてしまったので、追加。この作品が不思議なのは、評伝であるにもかかわらず、主役の渋江抽斎が死んでからも作品が延々とつづくことである。死ぬまでが全体の三分の一、残り三分の二には生きた渋江抽斎は出てこない。前に書いた「事実」を踏まえながら進むのが「散文」のことばという定義をあてはめると、とても変な作品ということになる。渋江抽斎が死んでしまったあと、この評伝は散文であることを超越してしまう。散文であるけれど、散文ではない。森鴎外にしか書けなかった「詩」になっている、と私は思っている。--ほんとうは、この森鴎外の「詩」と、北川の書いている「詩」のなかにあらわれる「散文」との対比みたいなことを書きたいのだが、まとまりきらない。)
「五章 スケルツォ 狂女の日記風に」。この章では、私は二つのことを書きたい。深津のことはどこかで緊密につながっているのだが、そのつながりをうまくことばにできそうにないので、とりえあず別々に書いてみる。
まず、一点目。
ここに書かれているのは、確かに「日記」なのかもしれない。日付がある。ただし、その日付は肝心の部分が伏せ字である。
二〇〇×年×月×日
で始まり、その日付は「×+1(あるいは2)日」という具合には動いて行かない。ふつうに考えれば「×日」の次の日記は「×+1日」ということになるが、そうではないかもしれない。「×-1日」があってはいけないということはないだろう。
私が考えたのは、こういうことである。
私たちが「過去」を語る時、その「過去」とはほんとうの「過去」ではなく「いま/ここ」から呼び出した「過去」である。当然、その「過去」に関することばには、「過去→いま」という時間のなかでおきたことが反映している。どんな「過去」でも「いま/ここ」で書く「過去」は、あくまで「いま」から見た「過去」である。
「いま」を書く時はどうだろうか。「いま」を書く時も、やはり「過去」は影響してくる。「いま」は単独で「いま」があるのではなく、「過去」からつづいているもの、「過去」から断絶したものがあって「いま」である。その連続と断絶を具体的に書こうとすれば、どうしても「過去」についても書かなければならない。
「日記」は「その日」の出来事、その日の思いを書くものであるけれど、どうしてもそこには「過去」が影響している。「その日」というものはない。だから「×月×日」に書いたとしても、それが「×日」だけのこととは限らないし、次の日に書いたことがそのまま次の日のことであるとは限らない。
人間の時間は、「物理」の時間とは違って、何か別のものを引きずっている。
でも、その別のものって、何?
北川は「それ故に……。」とすべての「日記」の書き出しをはじめているが、人間が引きずっているものは、たぶん、その「それ故」なのだ。
「それ故」って何? 「それ」は何を指している?
あ、これは面倒くさいね。説明ができないね。うまく「過去」(それに「先行する」何か)を、ことばにできないこともある。何かことばにならないまま、「過去」を引きずる--そういうことの方が多いのだ。あるいは、あらゆることが「それ故」になりうるといった方がいいかもしれない。
「×月×日」というのは、「きょう」であっても、「過去」を引きずってしまっているのだ。
それ故に……。それ故さんたちが、不意にこの貧しいマンションのワンルームに押し寄せてきた。それ故さんの代表のそれ故氏は、素っ裸のまま、直立不動の姿勢で敬礼した。(略)……それ故氏は、空中に突き出した、かちかちのダダダダウンコにすがりつき、掻き毟り、興奮のあまり、黒い毛を逆立てて震わせて、遂にその場に倒れてしまった。その衝撃で、毛の生えた埴輪のようなそれ故氏の身体には、無数の罅が入り、欠けて歪んで一層複雑に単純化した穴から、ぼろぼろと干からびたミミズや丸虫、小石や使い古されたことばの破片が、ごちゃまぜになって、こぼれ落ちたのだった。それ故に、それ故氏は、この上もなく痛ましかった。それ故に、もっと痛ましかったのは、それ故氏の背後に詰めかけていたそれ故軍団が、それ故氏をたすけ、介護するどころか、代表を見捨てて、一斉に逃散してしまったことだ。それ故に、死語のゴミと化したそれ故氏を、早く片づけるように、これからわたしは管理人に伝えに行かなければならないのだ。
「使い古されたことば」「死語のゴミ」。「それ故氏」(あるいは、それ故、という表現がもたらすもの)を特徴づけるのは、「古い」「死」であるだろう。「過去」は「古い」であり、「死」なのだ。それは、いつでも「いま」を追いかけてくる。
次の「×月×日」の日記。
それ故に……。わたしにその予感があった。それ故に……。それ故氏とその一党が押し寄せてくる前に、あの擂鉢状の地勢の中に造成された団地から、ひそかに脱出し、このワンルームマンションに移ったのだった。あいつらが、それ故に……を連発し、私の正体を暴きたてないではいられないからだ。
「過去」があるから、過去を振り切るために引っ越した。「過去」のことを「ゆれ故軍団」は「正体」と定義している。「正体」と定義する、つまり「過去」こそが「真実」であるという主張のもとに「過去」はいつでも、「いま」を追いかけてくる。「いま」を突き破って「過去」を噴出させようとする。生き返らせようとする。過去はけっして遠ざからない。そして、過去が接近することで、逆に「未来」が「いま」から遠ざかるということが起きてしまう。「いま」が「未来」へ向かう運動が邪魔されてしまう。
矛盾が起きてしまう。
「いま」は「未来」へ向かっているはずなのに、接近してくるのは「過去」である。そして、その「接近」の方法が「それ故」なのだ。「理由」(論理)なのだ。その論理、その論理のことばは、古い、もはや死語であるけれど、追いかけることをやめない。
息絶え絶えになるまで、わたしの逃亡の責任を追及しまくるやつら。でも、わたしは、何時だって、わたしからもっとも遠い誰かだから、おまえは過激なカラスだっただろう、と言われても、わたしは単なる狂った巻尺だったのかも知れないし、底の破れた郵便受けだったのかも知れない。じっさい、いまもわたしは狂女の振りをして日記を書いている。
「それ故」は「わたし」と「わたし」を結びつける。結びついた時、つまり「わたし=わたし」という関係が「ゆれ故」によって証明された時、それを「正体」と呼ぶのが「それ故軍団」の「数学」である。「ことばの論理」である。「過去」は全体に切断されないものなのである。
最後の方の「日記」。
それ故に……。われらの王と共に戦え。それ故に……。追うから逃げるな。それ故に……。被告を仮想する無数の時間の糸に絡まれた彼らとわたし。それ故に……。降り注いでいる、真昼の冷たい月の光の下に転がされ。それ故に……。昆虫は羽根をもぎ取られた。
(谷内注・「もぎ取る」の「もぐ」は原文は漢字。手ヘンに宛てる)
この「日記」は、私が最初に書いたように「×日+何日」ではない。ここに書かれているのは「×日-何日」、つまり「過去」である。「それ故……」ということばを生きる時、そこでは「時間」は「過去」にならざるをえないのである。
けれども「わたし」はいつも「わたし=わたし」という関係を生きてはいなかったのだ。この詩集の「基本論理」は「わたし」は「わたしではない」である。「ひとり」は「ひとり」ではない。「ひとり」は「ふたり」になる。「ふたり」は「ひとり」になる。
イコール(わたし=わたしである)を否定しながら、わたしではなく「なる」。その運動が、この詩集のことばの登場人物たちの「基本」である。
この「ではない」を利用して、何かに「なる」というのが「詩」なのだ。「それ故に」という「因果関係」を断ち切って、自由に運動していくのが「詩」である--というのは、唐突な定義であるけれど、このことと、私がもうひとつ書きたいことがあると冒頭に書いたこととが関係がある。
で、もうひとつのこと。
この「海の古文書」は「現代詩手帖」で連載されたものである。連載詩を書く時、詩人はどんな構想を持っているのだろうか。北川は12回(?)の全体の構造を最初から設計図として持っていたのだろうか。
「設計図」(つまり、到達すべき世界ともいうべきもの)を持っていても、持っていなくても、まあ、ことばは動かしていけると思う。それは散文の場合も、詩の場合も同じだと思う。私の大好きな森鴎外の「渋江抽斎」は「設計図」なしに書かれた散文の大傑作である。その「渋江抽斎」と比較しながら「散文」と「詩」のことを考えてみると……。
「散文」の場合、最初に書いたことを「事実」と踏まえて、次の章のことばが動いていく。「それ故」ということばで「事実」を踏まえるかどうかは別にして、「事実」を積み上げることで、ことばの世界を広げていく。
ところが「詩」はそうではなく、「事実」から、あるいは事実の積み上げる「ストーリー」から逸脱していく。ことばが「事実」から離脱して、別の次元へいってしまう。そこから「事実」を逆照射するというのが「詩」である。
「散文」と「詩」は、ことばの運動がまったく逆なのだ。
「詩」は「過去」を(先に書いたことを)踏まえないわけではないが、尊重しない--いや、それから「自由」になろうとする。そういうことばの運動が「連載」の形で動かすというのは、まあ、一首の「矛盾」である。「連載」できないのが「詩」なのだと思う。けれど、北川は「連載」で詩を書く。
このとき--ちょっとおもしろいことが起きる。
「五章」の「狂女日記」は「四章」にでできた魯迅の「狂人日記」を踏まえている。引き継いでいる。
前に書いた「事実」を踏まえるという「散文」の「痕跡」が「それ故」ということばのなかに、残っている。「連載」の形式をとると、どこかで、それは「散文」を引き寄せてしまう。--といっても、これは私の印象にすぎないのだが……。
この「五章」では、北川は「散文」と「詩」のせめぎ合いのなかで書いているという感じがする。そして、そのせめぎ合いは「連載詩」という形式を選んだために、より強くなっているように思える。
(「渋江抽斎」のことを書いてしまったので、追加。この作品が不思議なのは、評伝であるにもかかわらず、主役の渋江抽斎が死んでからも作品が延々とつづくことである。死ぬまでが全体の三分の一、残り三分の二には生きた渋江抽斎は出てこない。前に書いた「事実」を踏まえながら進むのが「散文」のことばという定義をあてはめると、とても変な作品ということになる。渋江抽斎が死んでしまったあと、この評伝は散文であることを超越してしまう。散文であるけれど、散文ではない。森鴎外にしか書けなかった「詩」になっている、と私は思っている。--ほんとうは、この森鴎外の「詩」と、北川の書いている「詩」のなかにあらわれる「散文」との対比みたいなことを書きたいのだが、まとまりきらない。)
続・北川透詩集 (現代詩文庫) | |
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