詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

清岳こう「マグニチュード9・0」

2011-06-07 23:59:59 | 詩(雑誌・同人誌)
清岳こう「マグニチュード9・0」(「現代詩手帖」2011年05月号)

 「現代詩手帖」2011年05月号には和合亮一の「詩の礫」のほかにも東日本大震災に関係した作品が多数掲載されている。清岳こうは短い作品を3篇書いている。どの作品も印象に残る。

つなみ

「娘を流しました。」と
娘が流れました。ではなく

娘とあの若い衆とのつきあいに反対しておけば
娘をあの海辺の町にとつがせなかったら

毛糸帽子を深々とかぶった小母ちゃんが呑みこんだいくつもの無念

 「娘を流しました。」は、大震災の津波に娘を流しました--ということになるのだが、こういう日本語はない。「流れました」でも不自然である。流されたがかろうじて不自然ではないかもしれない。ふつうは奪われましたと言うだろう。けれど「流されました」「奪われました」では「小母ちゃん」の気持ちがことばになってとはいえない。自分の気持ちを言おうとすると日本語をねじ曲げないと言えない。
 そういうことが、必然的に、起きたのだ。
 「小母ちゃん」は詩人ではないだろう。作家でもないだろう。そのひとが、けれど突然詩人になる。日本語を、ある特別の高みへと運んでいく。
 清岳は短い詩ばかり書いているか、これは短くしか書けないのだ。ほんとうに言いたいことはたくさんあるが、気持ちをこめることばを見つけ出すのは簡単なことではない。
 その困難さが、悲しい形で結晶している。

ころがっているのは

グローブ
ボールはどこへ飛んで行ったのか
少年野球はなかなか始まらない

一輪車
車輪はどこまでいったのか
8の字走行 ジグザグ走行の練習をやりのこしたまま

 「車輪」は「主語」であって、「主語」ではない。「車輪」は自分の意志で「練習」するわけではない。一輪車乗りを練習するのは、子どもである。主語は「子ども」。書かれていない「主語」。その理由は? だれもが知っている。その悲しみ。
 悲しみを悲しみとして、長いストーリーとして語れるようになるまでには「時間」が必要なのだ。時は悲しみをいやすという言い方があるが、悲しみはまた時間を経ないことには実感にもならない。それは、何かの直後に悲しみがないというのではないのだが、直後は悲しみが悲しみであるかどうかも、わからない。いや、わからないのではなく、わかるのだけれど、ことばにならない。短いことばでないと、何かもちきれないものがあるのだ。大きいものはもちきれない。もってしまうと、つぶされてしまう。けれど、何かをもっていたい。悲しみをもっていたい。変な言い方になるが、悲しみをそっと抱くことで、自分のなかにあるほんとうの悲しみが散らばってしまうのをそっと抑えている感じがある。悲しみを大事にするために、小さな悲しみ(小さなことば)をていねいにつつみこんでいる--その不思議な美しさ。美しさと言ってはいけないことなのかもしれないけれど、美しいと、私は感じてしまうのだ。

土台石の上にあったのは

たあいもない口げんか
南部せんべいにほうじ茶

開運祈願の青だるま
看護士になる夢

今 あるのは 湖水だけ

 いや、「湖水だけ」ではない。そこに「たあいもない口げんか」があり、「南部せんべいにほうじ茶」があったという記憶がある。日常があったという記憶がある。そして、それを語る「ことば」がある。
 出来事が遅れてやってくる--と書いたのは阪神大震災を体験した季村敏夫(『日々の、すみか』)だが、出来事のほかにもやってくるものがある。遅れてやってくるものがある。出来事の意味は、あとからわかる。それと同じように、「日常の暮らし」も、あとからわかる。あとから、あ、「日常はこうだった」「日常の暮らしのなかにはこういう幸福があった」ということは、あとからやってくる。
 衝撃をくぐりぬけた、あと、静かにやってくる。
 それはぽつりぽつりとやってくる。ひとつずつやってくる。そして、少しずつ集まり、「暮らし」の記憶そのものになるのだが、この「少しずつ」のやってき方が、ああ、せつないねえ。「日常の暮らし」はずるずるとつながっていて、きりがないはずなのに、ぽつりぽつりしか思い出せない。思い出すたびに涙が出る。

 短さのなかには短さだけの「意味」がある。短くあることの重要さがある。




風ふけば風―清岳こう詩集
清岳 こう
砂子屋書房
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平田俊子「美しいホッチキスの針」

2011-06-07 23:08:18 | 詩(雑誌・同人誌)
平田俊子「美しいホッチキスの針」(「朝日新聞」2011年06月07日夕刊)

 詩とは、こだわることである。あることにこだわり、そのこだわりの距離(対象との距離)を他のものへあてはめていく時、そこに「こだわり」の遠近感が生まれる。
 平田俊子「美しいホッチキスの針」は、「こだわり」ということばを取り込みながら、ことばを動かしている。

きょうとどいた数枚の書類は
ツユクサの花の色をした
美しい針で綴じられていた
灰色の地味な針しか知らない私に
その色は新鮮だった
曇天のように重たいこころを
艶(つや)やかな針の色が
少し明るくしてくれた

ホッチキスの役目は紙を綴じること
針の色にこだわる必要はないのに
美しい色に染めた人がいて
その針を選んだ人がいて
そのうちの一本が
旅をし 私のもとに届いた
ツユクサを通して
知らない人たちと
手をつないだような気分だ

人のこころを慰めるのは
花ばかりではない
油断をすると指を傷つける
血柵危険なものにさえ
人はこころを遊ばせる
夕焼けの空 朝焼けの空
空が青い害の色に染まったときも
人は満たされ 立ち尽くす

 平田はホッチキスの針の色を「ツユクサの花の色」と書いている。直接、色の名前をことばにしていない。迂回している。これが「こだわり」。
 「迂回する距離」。
 「ツユクサの花の色」は「比喩」だが、平田の場合「いま/ここ」にない「ツユクサ」をことばにするとき、単に「ツユクサ」を呼び出しているのではない。呼び出すというよりは、むしろ、平田が「ツユクサ」の方へ歩いて行っている。そういう「距離」でもある。
 何かを自分に引き寄せるのではなく、平田自身が、「他のもの」(他者)へ近づいていく。自分から迂回する。
 そして、人に会う。他人に会う。
 ホッチキスを「美しい色に染めた人」「その針を選んだ人」。ことばを動かすことは、ことばを通して「人」に出会うことなのだ。「ツユクサ」を通して、「ツユクサ」を知っている人に出会うのである。もしかすると、その針を染めた人はツユクサを知らないかもしれない。買った人も知らないかもしれない。けれど、平田が「ツユクサの花の色」とことばにすることで、平田は「ツユクサ」を知っている人として「つくった人」「買った人」に出会う。この「出会い」は私のことばで言えば「誤読」である。でも、それは「誤読」であるから、楽しい。「誤読」であるから、平田の感性を知ることができる。平田の願いを知ることができる。「誤読」のなかには、一種の「いのり」が含まれている。
 平田は、ホッチキスの針に色をつけることを思いついた人、その針を買った人に「ツユクサの美しさ」を知っていてほしいと願っている。祈っている。
 「ツユクサ」を知っていること--それが何になるか。何にもならない。ただ、ツユクサを知っている人は「ツユクサの花の色」という「比喩」を通って、ツユクサを知る「時間」を旅するのである。そうして、そこで見知らぬ人、知らないけれどこころをいっしょに遊ばせることができる人と出会う。--この何にもならないことのなかに、不思議な喜びがある。
 「手をつなぐ喜び」「心を遊ばせる喜び」。
 「満たされる」というのは、「こころ」のなにか何かが入ってくることではない。「こころ」が「こころ」から出て行って、「自分」ではないものと出会うこと。自分ではなくなることのなかにあるのかもしれない。



 ちょっと唐突な、そして強引な感想であるとは知っているのだが、ふと、私は大震災の被災者たちの「ありがとう」をいま感じたことと結びつけたい気持ちである。
 被災者たちは、一様に「ありがとう」ということばを口にしている。「ありがとう」は、満足したときに発することばだが、そのとき被災者たちは、被災者の「こころ」にとどまっていない。そこから踏み出して、支援者(救助者)の方へ動いてきている。「助けてもらう人」は自分の場所を離れなくてもいいはずである。けれども被災者たちは「ありがとう」ということで「被災者」であることから一歩踏み出して支援者・救助者に近づいてきている。その一歩の接近--そこに、私は、ふるえてしまうのである。あ、私たちが被災者の方に近づいていかなければならないのに、被災者たちがわざわざ「生きています」と近づいてきて話してくれている、生きるということはどういうことなのかを「ありがとう」ということばで語ってくれている。そう感じるのである。





詩七日
平田 俊子
思潮社



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谷川俊太郎「ありがとうの深度」

2011-06-07 10:09:21 | 詩(雑誌・同人誌)
谷川俊太郎「ありがとうの深度」(「朝日新聞」2011年06月06日夕刊)

 「ありがとう」ということばで私が思い出すのは、東日本大震災の被災者の「ありがとう」である。和合亮一の「詩の礫」も「ありがとう」から始まっていたが、このことばを大震災後、何度聞いた(読んだ)だろう。私は、なぜか、ふるえてしまう。最近、ようやく「早く助けてくれ」(早く復興を進めてくれ)という怒りの声を聞くようになったが、最初のころは「ありがとう」の声の方が多く聞こえた。それは、ほんとうに不思議な声だ。なぜ、ありがとう? もっともっと要求することがあるのに……と思ってしまうのだ。谷川は、そのことばをどんな具合に聞いたのだろう。

心ここにあらずで
ただ口だけ動かすありがとう
ただ筆だけ滑るありがとう
心得顔のありがとう

心の底からこんこんと
泉のように湧き出して
言葉にするのももどかしく
静かに溢(あふれ)れるありがとう

気持ちの深度はさまざまだが
ありがとうのひとことに
ひとりひとりの心すら超えて
世界の微笑がひそんでいる

 大震災の被災者の「ありがとう」は、どこからあふれてくるのか。あふれてくるというより、全身が「ありがとう」になってしまっている。「ありがとう」以外ではなくなっている--私にはそう感じられた。「ありがとう」のことばのなかに被災者が沈んでいるような感じである。被災者の中からことばがあふれてくるというより、ことばのなかから被災者がやっと顔を出すことができた、という感じ。「いのち」そのものという感じがして、私はふるえた。
 谷川は、「ありがとう」を被災者のことばと限定しているわけではないが、あ、そうか、谷川はもどかしさを感じたのかと思った。言っても言っても言い足りないという気持ちを感じたのだと思った。「ありがとう」では伝えられないものがあるのだ。「感謝」というだけでは言い切れない何かがあるのだ。「感謝」の気持ちをあらわすことばが「ありがとう」しかないというもどかしさ。それを乗り越えてあふれてくる「ありがとう」。
 最後の3行は、感じていることを説明するのがむずかしい。私が感じたことをことばにするのがむずかしい。
 谷川は、「ありがとう」を「心の底=深度」と結びつける一方、その「心」を「超える」ものとして書いている。「心の底=深度」は、いわば下向きのベクトル、「超える」は上向きのベクトル。運動の方向が逆である。そのままでは、矛盾してしまう。
 けれど、矛盾しているから、それはほんとうのこと、つまり「思想」なのだ。
 心の底の底の底……深度が深くなると、その深さはわからない。深さがわかるのは、それが「浅い」とき、つまり「深さ」を測ることができる時だけである。「深さ」を測ることができないところまで「深度」が到達してしまうと、それは「心」ではなくなってしまう。「心」ではなくなるというと、変な言い方になるのだが、「心」が消えて別のものがふいにあらわれてくる。
 
微笑

 それは、大震災の被災者たちが、悲しみと苦しみと絶望と怒りの中で、なんとかして生み出そうとしていたものに違いない。「ありがとう」ということばを通して、「微笑」のなかに生まれ変わろうとしていた--生まれ変わりたいという「祈り」のようなもの(ようなもの、としか書くことのできない、名付けられない何か)が、そこにあるのだ。
 「ありがとう」は感謝のことばではなく、「祈り」のことばなのだ。再生への、「ことばにならない祈り」--うーん、「祈る」対象をもたない「祈り」なのだ。つまり、「神への祈り」(信仰による祈り)ではなく、一緒に「いま/ここ」に生きている「人間」と「人間」が結ぶべき「祈り=契約」のようなものだ。ひととひとが結ばれる、つながる。そこから「微笑」が始まる。見えない「心」を「超えて」、見える「微笑」が始まる--そうした瞬間への「祈り」。

 谷川の書こうとしたことは、私の感想とはまったく違うことがらかもしれない。
 だが、私は、谷川の「こころ」を知りたいのではなく、谷川のことばを通して考えたいことを考えるだけ。自分のことばを動かすだけだ。谷川のことばを手がかりに、私は、きょう、「ありがとう」から、そんなことを考えたのである。
 「ありがとうの深度」は「ありがとうの震度」でもある。こころのなかで起きた変化--「ありがとう」の意味が「感謝」から「祈り」へと動いていく時に、世界はあたたかく生まれ変わるのだ。




これが私の優しさです 谷川俊太郎詩集 (集英社文庫)
谷川 俊太郎
集英社



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誰も書かなかった西脇順三郎(222 )

2011-06-07 08:32:34 | 誰も書かなかった西脇順三郎
 『壌歌』のつづき。
 西脇の、どこが終わりかわからない長い詩を読んでいると「意味」はどうでもよくなる。あちこちの行に「意味」はあるだろうけれど(くっつけることはできるだろうけれど)、その「意味」のつらなりがどこへたどりつくのか--そういうことはさっぱりわからない。ただ、適当にページをめくってぶつかった行を読めばいいのだろう。

マクさんの夫人はいう
「どうしたしまして、私共のご奉公は
さいのかわらのざようにいくらつみましても
ご恩にくらべてはいくら積んでも
もとの河原になつて
果てしがないのでございます」
だがよくききれない傍白があつた
「ダダダンササンコココンバババンワ
アンタハンノイノチガナナナナククク
ナナナナルヨヨクオイデヤシタ」
市子のことばの足に花が咲く

 カタカナで書かれている部分。「旦那さん、こんばんは/あんたはんのいのちが亡く/なるよ/よくおいでやした」と考えればいいのかもしれない。」そうすると「意味」がりかいできる。「意味」が聞き取れるなら、それを再現する時、日本語のなじみのある「文体」にすればいいだけのことである。
 ことろが、この詩では、「意味」を聞かずに、音を聞き取っている。「聞き取れてい」のは、「意味」なのである。その「意味」を追跡せずに、谷川は「音」そのものを追い掛けている。
 「意味」が通るように書けば「音」がこわれる。「音」を正確にとれば「意味」がなくなる。こわれる。「意味」がこわれたときと、「音」がこわれたとき。どちらが楽しいだろうか。
 むずかしい。
 西脇は、しかし、この「よく聞き取れない」ことばを歓迎している。
「市子の言葉の蘆に花が咲く」とかきそえる。「花」は一種の「比喩」。でたらめな音、意味から解放された音を西脇は「花」と呼んでいるの。

 この「音」は、次のような展開もみせる。

太陽は去つたが
すべての女神の髪の毛の
浅黄色がまだ残つている
カツシカのホンソウする車の中で
記憶の喪失ははるかにみだれ
忘れがちのパナマの
帽子の破滅をいそぐ
うすぼけた思考のつらなりの中で
ヒルガオというラテン語のあの長い
音節がただまわるだけ
沈み深遠の中におぼれた
コンウォウルス!

 「カツシカ」は「葛飾」、「ホンソウ」は「奔走」。漢字で書いた方が「意味」が正確に伝わる。けれど、そのとき「意味」が強すぎて「音」を楽しむ余裕(?)がなくなる。こういうことを嫌って、西脇はカタカナをつかう。「意味」よりも(わかることよりも)音の自在さを楽しむ。
 音楽は西脇のことばの基本なのである。
 「ヒルガオ」のくだりは、もっと象徴的である。「意味」が問題なら、ラテン語などどうでもいい。何語であろうが、「ヒルガオ」は「ヒルガオ」以外の意味にはなれない。「ヒルガオ」という存在はすでに思い出されている。認識されている。ラテン語であろうがにほんごであろうが、その想起されているヒルガオがかわるわけではない。ピンクのアサガオのような花。地面を這う花。その名前である。
 でも「音」は違う。ヒルガオという花の存在は同じでも、それに対応することばが違う。
 そして、この「ことば」は音と同時に「長さ」をもっている。(「ヒルガオというラテン語のあの長い/音節」)--音に長さがあれば、そこから「時間」もうまれてくる。
 この「時間」の感覚。
 それは「女神」が導き出したのか、あるいは時間が女神を導き出したのか、「長さ」というひとことが「いま/ここ」と「古代」の「ギリシャ(?)」を呼び出したのか。
 わからない。どっちでもいいなあ。気分次第でどちらかを答えよう。(詩、なのだか、これくらいのいいかげんさは許されるだろう。)


西脇順三郎詩集 (岩波文庫)
西脇 順三郎
岩波書店
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