池田清子「いないということ」、青柳俊哉「円輪」(朝日カルチャー講座、2020年02月03日)
いないということ 池田清子
それは
川のように
遠くではないよ
紙一重というけれど
そんなに厚くもないよ
薄-----------い膜の
右 と 左
「いない」。でも、「いない」と「実感」できない。むしろ「いる」と感じる。「いない/いる」の違いはなんだろうか。
一連目の「川のように」という比喩は、さまざまに読むことができる。
いま、ここにいない。そして、その「いない」をみつめるとき、窓の向こう、遠くの景色が見える。そこには川があることを知っている。その川までの「距離」を知っている。その知っている「距離」ほどには遠くない。「もっと近くにいる」
二連目は「遠く」の逆を書いている。「近く」にいる。しかも、その「近く」というのは、説明がとてもむずかしい。「紙一重」というのは、隔てるものがほとんどない状態を指すが、その「紙一重」という比喩でさえ「厚み(距離)」を感じさせるので、適切ではない。
三連目で、二連目の「厚さ(距離)」を言い直す。「薄-----------い膜」と。でも、それは言いたいことではない。言いたいのは「いる」と感じるときの、その感じ方。「前と後ろ」「上と下」ではなく、「右と左」。隣り合っている。並んでいる。そういう感じ方こそを言いたい。
「いない」けれど「いる」と感じる。そして、そのとき二人は右と左に並んでいる。ほんとうは「いない」のだから、「いる」私と、「いない」あなたの距離はとても遠い。川よりも遠い。けれどあなたが「いる」と感じるとき、その「いる/いない」のあいだの距離はとても短い。密着している。しっかりと結びついている。
一連目の「川のように」は「三途の川」ということばも思い出させる。あなたが「いない」のは彼岸へ行ってしまったからだ。川ということばは「岸」と結びついて、そういうことも連想させる。
「いない」ということは、「いる」ということを「実感」することである。「いる」のは、いつでも「近く」である。そして、そのとき二人はいつも並んでいる。
「川」「紙一重」「薄い膜」。現実と比喩が静かに交錯する。短いけれど、情がこもったことばが動いている。
円輪(えんりん) 青柳俊哉
大沼の岸辺を歩きながら
空からふる深い
枯葉をふみしめ
かれらの声と感覚につつまれている
きのう雪の結晶であったものを
きょうは緑の羽をつけたちいさい少年が
足もとの葉から葉をわたって
水のうえに無数の円をえがいている
わたしたちにきざまれる幸福なしるし
遠い水平線から一羽の鳥がこちらへむかってやってくる
少年とよく似た陰影をもつ鳥
鳥は岸辺をしばらく並走したかとおもうと
わたしのかげにかさなり
大沼をつつみこむ霊気の中にきえた
引かれているのだ
大気にうずまく無数の輪の中に
ふりつもる枯葉の声と感覚につつまれ
空と水をわたっているのだ
詩のなかほどの「遠い水平線から一羽の鳥がこちらへむかってやってくる」という一行が印象的だ。「ふる」という動詞は「空からふる」とつかわれている。上から下への動きである。「ふみしめる」も垂直の動き。「かれら(枯葉)の声」「雪」も上からやってくる。そして、その上から下への動きに向き合うように「足もと(下)」から動いていくものがある。垂直に上へ向かうのではないが、鳥のように浮かび上がりながら動いていく。静かな上昇運動だ。
そうした動きを切り開く、新しい動きを世界にもたらすようにして鳥が「遠い水平線」からやっている。それは「水平線」のように横に広がる動きである。
この動きによって、垂直と水平が交錯し、世界がより立体的になる。
「少年とよく似た陰影を持つ鳥」の「陰影」とは何か。受講生から疑問の声が出た。「わかりにくい」。しかし、こういうことは作者に「答え」をもとめてもおもしろくない。「陰影」とは何かは、自分の知っている「ことば」のなかへ引き返していきながら、そこからつかみとってこないといけない。
池田の詩を読んだとき「川」は「三途の川」につながる、と書いた。「川」をつかってことばを動かすとき、「三途の川」ということばがあらわれる。さらに「川」から「岸」ということばが連想され、「彼岸/此岸」ということばも思い浮かぶ。そして、そう思ったとき、池田の「いない」というのは、相手が亡くなってしまって「いない」ということなのだと伝わってくる。「誤読」かもしれないが、そういう「つたわってくる何か」を感じること、自分で何かをくみ取るということが読むということなのだと思う。
同じように「陰影」についてもことばを動かしてみる。「陰影」ということばを、どういうふうにつかうか。「他人が」ではなく、「自分は」どうつかうか。「もの」そのものに対しては「陰影」とことばを重ねるよりも「影」と単独でつかう。木の影、人の影。でも「陰影のある人だね」というときは、どうだろうか。「肉体」ではなく「こころ」とか「雰囲気」を思い浮かべる。「肉体」につながるものでも、たとえば「陰影のある声」とは言うかもしれない。「陰影のある表情」は言いそうで言わないかも。しかし、ひとの「表情(顔色の変化)」などは「陰影」と呼べそうである。何か「こころ」とか「気持ち」が動いているとき、「陰影」ということばをつかいそうである。
そうであるなら「少年とよく似た陰影をもつ鳥」というのは「少年のこころ/気持ちと重なる鳥」ということになる。少年は、遠い水平線からやってくる一羽の鳥を「自分自身」と思ってみつめていることになる。
「わたし」(わたしたち)は大沼の岸辺を歩いている。枯葉がふってくる。枯葉を踏む。音が聞こえる。そういう「現実」がある一方、歩きながら「現実」とは少し違うことも「夢想」する。「いま/ここ」にないものを思い描く。「いま/ここ」にある「しあわせ」と「いま/ここ」にない「しあわせ」。夢、理想。そういうものが、遠くから「鳥」のようにやってくる。それは「わたし」のなかの「少年」が生み出した何かだろう。
「わたし」は「少年」であり、また「鳥」である。それは「並走」し、「重なる」。「かげにかさなる」とは「こころにかさなる」でもあるだろう。「こころ」が「かさなる」ことで「わたし/少年/鳥」は「ひとつ」になる。言い換えると、ことばを動かすことで自分が自分ではなくなってしまう。新しい自分に生まれ変わる。最後の三行は、そういう「生まれ変わったわたし」の姿である。「わたし」でも「少年」でも「鳥」でもなく、「空と水をわたる」何か、不思議な「感覚」(霊気)になって世界を動いていく。
しかし、「霊気」ということばは、この詩にぴったりとは言えない。青柳は「霊気」と感じているのだろうけれど、あまりにも抽象的でつかみどころがない。あるいは、「意味」が強すぎて、「現実」としては見えてこないと言えばいいのかもしれない。
池田の詩に戻ろう。最終行の「右 と 左」。こう書くとき「いる」「いない」は「右」か「左」か区別がつかない。つまり、どちらが池田で、どちらが「あなた」かわからない。わからなくもいい。区別がなくてもいい。「一体」(ひとつ)になっているから、そういうことは区別しないのである。「右 と 左」と書いたとき、池田は「あなた」を失った池田ではなく、もう一度「あなた」と一緒に生きている池田に生まれ変わっている。そういう「現実」が、そこにある。
「現実」を表現するのは、「霊気」というような抽象的なことばでは弱すぎる。「説明」になってしまう。「霊気」ではなく「冷気」、あるいは「光」「色」というようなことばに書き換えるだけでも、詩の世界は「現実」としてあらわれてくると思う。「霊気」が「現実」を「意味」にしてしまっているように思う。
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