詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ロベール・ブレッソン監督「少女ムシェット」

2021-04-20 08:20:45 | 映画

ロベール・ブレッソン監督「少女ムシェット」(★★★★★)(2021年04月19日、KBCシネマ2)

監督 ロベール・ブレッソン 出演 ナディーヌ・ラミー

 昔の映画(1967年制作)は、いいなあ。「短篇小説」のように、深い余韻が残る。
 この映画はフレームというのか、画面の切りとり方が味わい深い。凝ると、カメラが演技をしているという印象になるが(最近の映画に多い)、カメラはどっしりと構えている。そのカメラのフレームの枠から肉体が自然にはみ出し、それがそのまま画面を切りとっている感じになる。短い文章を積み重ねることでつくられた、無駄のない短篇小説の文体に触れている感じだ。
 この「切りとられた映像」に重なるように、「切りとられたセリフ」がある。画面からも、ことばからもはみだしている現実が実際には存在するのだけれど、そのはみだした部分は観客に想像させる。そして、不思議なことに、そのはみだしている部分、想像した肉体、想像したことばは、そこに存在しないはずなのに、役者の肉体のなかで凝縮しているように感じられる。短篇小説の文体が、ただ短ければいいというのではなく、凝縮していないとおもしろくない、というのに似ている。「凝縮」のなかに「長編」に匹敵する「時間」があるのだ。感情があるのだ。
 そこに動いている人間の感情、そのすべてを克明に知っているという気持ちになる。「切りとられること」で、本質だけになる、ということなのかもしれない。
 しかし、その「本質」というのは危険だ。剥き出しになってしまうというのは、支えるもの(隠すもの)を失うことだから。
 そのことを人間関係と森との対比で、この映画は、深々としたものとして展開する。
 一方に人事(家庭、社交、学校)があり、他方に自然(森)があり、その森(自然)は人が荒らしてはいけない領域だが、それは美しいからではなく、きっと危険だからなのだろう。人間を目覚めさせる何かがある。「本質」が人間に邪魔されずに、動いている。罠にかかる鳥や、銃で撃たれる兎さえ、「本質」なのだ。
 人事(人間関係)に嫌気がさした少女は、森の中で生まれ変わる。それは、ほんとうの自分になるという意味である。保護される少女から脱皮して、少女であることを超越する。おとなと対等になる。こういうことは、人間には必要なのだけれど、やはり危険なことでもある。
 少女は、結局自殺してしまうが(つまり、危険を乗り越えられないのだが)、この自殺のシーンが非常に美しい。ああ、よかった、と思ってしまうのだ。少女が死んでしまうのに。
 危険なのは、少女ではなく、この映画を見ている私ということになる。絶望的な少女が死んでいくことを、美しいと感じるというのは、人間として変でしょ? こういう矛盾にたじろいでみるのも、映画を見る楽しみだなあ、と私は思う。
 それにしても、このモノクロの映像は美しいなあ。涙の輝きが、輝きとしかいいようがない美しさで迫ってくる。明暗のなかに色彩がある。さらに、主演の少女もいいなあ。目に力があるだけではなく、全身に力がある。少女だからあたりまえなのかもしれないが、肌に張りがある。それは何か野生を感じさせる。森の小さな獣である。

 

 

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(112)

2021-04-19 10:43:06 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

机上拾遺


<blockquote>
ぼくが生活のなかに酒を濯ぎこむと
主のいないただの大きな褥になるだろう
</blockquote>
 「濯ぐ」は「すすぐ」ではなく「そそぐ」と読ませるのか。「ぼく」と「主」が「いない」の関係もよくわからない。

やはや永遠の酔いが遠くへ去つたあとの平安に
だれひとり訪つてくるものとてない

 だれも訪ねてこないから「主」がいないのか。
 それは嵯峨にとって好ましいことなのか、好ましくないことなのか。
 好ましいことなのだろうと、想像して読む。

 

 

 

 


*

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伊藤浩子『数千の暁と数万の宵闇と』

2021-04-19 10:19:57 | 詩集

 

伊藤浩子『数千の暁と数万の宵闇と』(思潮社、2020年10月31日発行)

 伊藤浩子『数千の暁と数万の宵闇と』に書かれていることばは、私には、ありま親身には感じられない。ただ、「Series」の「desain#2」の次の部分には、思わず傍線を引いた。


帰り道の夜空に
新しい星だけを捜した

あれはジュリキエデス
これはコッシート


 いやあ、美しいなあ。いや、「新しいなあ」。
 ところが、その感動を、次の注釈が叩き壊してしまう。
 「ジュリキエデス」「コッシート」には*がついていて、「*筆者による造語」。そんなことは注釈されなくたって「新しい星」と書いてあるのだから、わかる。
 ほんとうは別の名前がついている。けれど、それに対して「新しい名前」をつける。「新しい名前」で呼ぶ。このことを、詩、と呼ぶ。陳腐な例だが、たとえば誰かが伊藤を伊藤ではなく、バラの名前「プリマベーラ」と呼ぶ。「新しく」プリマベーラと呼ぶことで、伊藤を自分だけの存在にかえる。その「新しい」には、かならず筆者自身の「肉体」があらわれる。その瞬間が美しい。
 ところが、この美しさを伊藤は伊藤の注釈で汚してしまう。これは、なんというか、無惨である。

 別なことばで言い直そう。
 「肉体」とは「肉体になってしまったことば/無意識になってしまったことば」のことでもある。「思想」のことである。「プリマベーラ」に戻って言えば、その誰かは「プリマベーラ」は「美しい/大切」と思っているか、その名前で伊藤を呼んだのだ。その人がほんとうに思っていることをあらわすことばは、たとえ花の名前であっても「思想」なのだ。「現代用語辞典」や「流行の外国人思想家の著作物」に書かれていなくても「思想」なのだ。
 翻って。
 伊藤の「肉体=思想」の特徴は、それが「カタカナ」であるということだ。「カタカナ」は、多くの場合「外来語」を意味する。外国からはいってきて、日常になってしまったもの、肉体になってしまったものが「カタカナ」で書かれる。
 伊藤のことばの多くは、「漢字熟語」で書かれていたとしても「外来語(翻訳語)」である。外国を舞台にした作品もあるから、伊藤は海外育ちで、そういう風景が「肉体」になっているのかもしれない。
 それは、それでいいと思う。
 でも、一方で、私は、伊藤の書いていることばが外国を舞台にするのではなく、日本を舞台にするならもっとおもしろいと思う。
 それはまた飛躍したことばで言い直せば、たとえば「ゲシュタルト」というようなことばが伊藤の「造語」であったらどんなに楽しいだろうということである。ほんとうに「カタカナの音」が伊藤の肉体になっているのなら、「ゲシュタルト」を「造語(新しいことば)」として書けるはずである。
 しかし、「ゲシュタルト」が、たとえば構想力のような意味でつかわれる「思想用語」であるなら、何といえばいいのかなあ、それは「新しい」とは言えない。「意味の来歴」を持っている。「過去」を持っている。「古いことば」だ。
 「ゲシュタルト」を「構想力」ではない何か別の、いままでのことばでは言い表すことのできないものを指し示すためのものとして動かさない限り、それは「伊藤の肉体のことば」ではなく、伊藤が「ゲシュタルトの肉体」に取り込まれてしまうことになる。それでは詩を否定することにならないか。

 もう一か所、思わず傍線を引いたのが「海辺のホテル」の次の行。


殴らないで、と鏡映のわたしが水平線に向かって叫んでいる。

 「鏡映」は私の知らないことばだ。そういうことばがあるかどうか知らない。私はつかったこともないし、読んだこともない。で、そのことばが伊藤の「造語」であるかどうかは気にしいないで、そのままにしておく。
 私が、思わず、「ほーっ」と声を漏らしたのは「殴らないで」ということばだ。
 この「殴らないで」だけが、「文体」が違う。簡単に言うと、「鏡映」はいかにも伊藤らしいことば(漢字熟語)だが、「殴らないで」は「漢字熟語」になることを拒んでいる。
 この一文のつづきは、

届かないと知りながら、叫び声に陶酔する欲望の果てに、

 である。この「陶酔する欲望の果て」という「漢字熟語」をくぐりぬけるときの窮屈な刺戟と「殴らないで」の無防備な感じは、ずいぶん違う。とても同じ「文体」には思えないのである。
 で、その、突然あらわれた無防備な文体を、私は美しいと思うのだ。最初に引用した星の名前のように。
 「遠いところ」には、こういう連がある。

影のように離れない匿名が
肌を撫でて過ぎる
聞き覚えのない外国語の挨拶にも
不確かな快楽を覚え
求めていたのだ
もう長いこと ずっと
名前と日常を棄てた短いとき
自分の中核に近づくこと
ここは遠いところ
どこよりも誰よりも
遠いところ

 「日本語の肉体」と「翻訳語の肉体」が、私には「分離」して感じられる。この「分離感」を「ことばのエッジ」と呼ぶ人もいるかもしれない。そうとらえればおもしろい詩なんだろうなあ、とは頭で考えることができるが、私には何か納得できないものの方が多く残る。

 

 


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アメリカはいつだってアメリカ至上主義

2021-04-19 08:45:14 | 自民党憲法改正草案を読む
読売新聞のこの記事の、以下の部分に注目。
↓↓↓↓
「日本に過度な要求をした揚げ句、自国経済を優先して中国と妥協し、はしごを外すことはないのか」。日本政府内に漂う懸念だ。
↑↑↑↑
これは、当然、起きることだ。アメリカはいつだってアメリカ至上主義なのだ。
「新冷戦」と読売新聞ははしゃいでいるが、「冷戦時代」にどういうことがあったか思い出せばすぐわかる。
ニクソン・キッシンジャー時代、「ピンポン外交」でアメリカは中国と「相互承認」をした。(アメリカは台湾を切り捨てた。)
あわてて、佐藤からかわった田中角栄が1972年に中国を訪問し、「日中国交」を樹立した。
米中国交正常化(国交樹立)は日付的には1979年(カーター時代)と日本より遅いが、取り組み、実質的な関係は日本より早い。「ピンポン外交」は「頭越し外交」とも言われた。
アメリカは自国の利益のためなら、簡単に「同盟国」を切り捨てる。日本も簡単に切り捨てられるだろう。
アメリカは米中国交樹立後、台湾との相互防衛条約(日米安保条約のようなもの)を失効させている。
そのアメリカが「台湾海峡」を問題にし、台湾防衛に口を出し、日本にそれを肩代わりさせようとしている。
日中での軋轢を増加させておいて(同時に、日本の予算に占める軍備費を増やすことで経済政策を縮小させ)、米国の経済政策を充実させようとしている。
アメリカの経済が中国をもっと重視するようになると、さっさと日本の頭越しに、中国と経済連携を締結するだろう。
ニクソン・キッシンジャー時代を思い起こせばはっきりする。
角栄は、偉かった。
いろいろ問題もあるが、少なくともアメリカの言いなりではなかった。
アメリカに先んじて、日中国交を樹立させた(正式な関係)。ベトナムへの自衛隊派兵にも反対している。(一説には、そのために角栄は首相から追放された。)
角栄自身の「政治哲学」があった。
安倍→菅は、単に、アメリカに媚びて、自分の「地位」にしがみついているだけだ。
日本は「冷戦時代」のキューバになってはならない。
日本と中国の関係は非常に深い。
関係を深めるべきは中国である。
近い将来、日本人は中国に出稼ぎに行く、中国に移民するしか生きる方法がない。
もっと現実を見るべきだ。
アメリカ頼みの菅の外交のお粗末さは、コロナ対策でも浮き彫りになった。
菅がファイザーに直接交渉してワクチンを確保する予定だったが、あっさり蹴られている。
読売新聞は、それでも菅におべっかをつかって、「9月までに全員分確保」と報じているが「全員」は「16歳以上の対象者」にすぎないし、「確保」は「追加供給のめど」にすぎない。接種が9月までに終わるわけではない。
いま現在だって、医療機関従事者の接種が完了しているわけではない。いつ終わるか、だれも知らない。
日本国民のほとんどがワクチンの接種もしていない状況で、それでも「五輪開催」を主張している。
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(111)

2021-04-18 14:10:37 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

* (たいまつの火をかざして四、五人がぼくの前を過ぎていつたことがある)
<blockquote>
それはぼくと関りのない世界のできごとで
記憶もなく想像もない
</blockquote>
 この詩行は矛盾している。「記憶がない」なら「過ぎていったことがある」とは書けない。また「想像できない」なら「ぼくと関わりがない」とは言えない。「関わりがない」のが「世界」なのか「できごと」なのか、この断片からではわからないが。
 たぶん、「たいまつの火をかざして四、五人がぼくの前を過ぎていつたことがある」ということばを書きたかったのだ。それは嵯峨の記憶ではない。また、想像でもない。ことばが、突然、嵯峨にやってきた。あらわれたことばは、書かないことには消えてしまう。だから、それを書いたのだろう。

 

 

 

*

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松岡政則『松岡政則詩集』(現代詩文庫246)

2021-04-18 10:07:28 | 詩集

 

松岡政則『松岡政則詩集』(現代詩文庫246)(思潮社、2021年03月31日発行)

 松岡政則は、私にとっては「歩く詩人」である。「歩く」という動詞とともに、私は松岡を知った。しかし、巻頭作品「家」では歩いていない。私が松岡を知る前の作品だ。『川に棄てられていた自転車』(1998年)のなかの一篇。 


石を投げている
トタン葺きの今は誰も住まない家
砂利道のを拾っては
男が石を投げている
窓ガラスが割れ音が散らばる
沢伝いに音が散らばる
石を投げている
窓という窓に
壁という壁に
失ったものにトドメを刺しているのか
表札の外された玄関に
縁側の雨戸に
石を投げている
家中に石を投げている

 ここでは、「歩く」というかわりに「石を投げる」という動詞が動いている。そして「男が」という主語が書かれている。主語は松岡(私)ではない。しかし、「石を投げる」という動詞が繰り返されるたびに、「主語/男」が消える。「男の肉体」のなかに、私の肉体が吸い込まれていく。石を投げる男を見るのではなく、男になって、私自身が石を投げ始める。それは、私に起きているだけではなく、きっと、松岡にも起きたことだと思う。
 ことばを書く。動詞を書く。そうすると自分の肉体が反応する。動詞をとおして、男の肉体になる。自分があらわれる。

失ったものにトドメを刺しているのか

 何かを失ったとき、どうしていいかわからず、いま、ここにある肉体の何かを解放したくて石を投げる。自分を棄てる、とはいわない。自分のなかの何かを棄てるのだ。単に棄てるのではなく、その棄てたもののなかにある力を確かめるために石を投げる。そういうことは、誰にでも経験があると思う。

箕作りの音が
竹を炙る匂いがいつも男を苛つかせた家
男は入ろうとはしない
近づいてのぞき込んだりもしない
ただ石を投げている
その笑えない距離
誰もよせつけない険しい距離
石を投げている
何かをぶちまけるように
自分にからんででもいるように

 松岡は男の来歴を知っている。感情も知っている。もしかしたら、父の姿かもしれない。けれど、それが他人であっても(肉親であっても)、他人ではなく、もう松岡自身だ。「笑えない距離」「誰もよせつけない険しい距離」と客観的に書いても、すぐに「自分にからんででもいるように」というぐあいに「自分」の感情があふれてくる。

土壁にあたる、鈍い、どす黒い音、
音が重みをおびてかぶさってくる
石を投げている
男にもうまく説明できない石を投げている
〈今日一日主張しないこと〉
そうやって自分を閉じこめてきた石を投げている

 石を投げるという同じ動詞を繰り返している。そのたびに新しいことば(思い)があふれてくる。しかし、それはほんとうに新しいことば(思い)か。古い思いだ。忘れることのできない思いが、ことばをかえながら「石を投げる」という行為のなかで「ひとつ」になる。次々に違うことばなのに「ひとつ」なのだ。
 感情が深まるのか、広がっていくのか。
 簡単には言えない。かわらない、同じ、と言った方がいい。
 松岡は、「同じ」を発見するために「石を投げる」という同じ動詞を繰り返している。そして、この「同じ」の発見は、私の知っている「歩く詩人・松岡」に通じる。松岡はいろいろな場所を「歩く」。場所が違えば、そこで出会う人も違うはずなのに、いつも「同じ」を発見する。というか、「同じ」を発見するために歩いている。
 その「同じ」は、たとえて言えば、何をしていいかわからなくなったとき「石を投げる」という人間の行為そのものである。「同じ」であるから、違う人間のやっていることなのに、自分の「肉体」にまで響いてくる。自分の「肉体」だけではない。

土壁にあたる、鈍い、どす黒い音、

 石を投げられた「土壁」の肉体の感じまでが、自分の「肉体」になる。土壁になって、石をぶつけられる痛みを感じる。「鈍い、どす黒い」。それはまた石を投げる男の思いそのものをあらわしているようでもある。
 男も、石も、ガラスも、土壁も、それにまわりの風景、砂利道も沢も「ひとつ」なのだ。
 途中を省略して、最後の部分。

青黒い杉山に
挟まれるようにして建つ家
その良心ぶった支配面が
ずっと我慢できなかった石を投げている
もうとっくに死んでいる家なのに
石を投げている
ずっと黙らせてきた家に
石を投げている

 「ずっと我慢できなかった石を投げている」は不思議な一行である。学校文法では「その良心ぶった支配面がずっと我慢できなかった/(だから、その家に)石を投げている」という意味に整えなおすかもしれない。
 でも、松岡は「その良心ぶった支配面が」を明確にしたいのだ。それが「ずっと我慢できなかった」と思った瞬間が「石を投げる」につながる。切断不能なのだ。
 「石を投げる」と「家の存在」は切り離せない。「家」そのものを投げることができないから「石」を投げる。家を石に向かって投げることができたらどんなにいいだろう。
 なんとも強烈な一行である。
 終わりから二行目の「ずっと黙らせてきた家」には男が省略されている。「ずっと男を黙らせてきた家」であるだろう。その家に、男は石になってぶつかっていく。男はずっと黙らせられてきた男を家に投げているのだ。

 書くことは、自分が自分でなくなる覚悟をしてことばについていくことだ。
 松岡は「石を投げる男」を書きながら、男に乗り移り、その男ももう男ではなくなっている。「家に」になり、石になっている。「投げる」という動詞になっているし、石とものがぶつかるときの音にもなっている。
 それは「もうとっくに死んでいる」のに、あるいは「もっとっくに死んでいる」からこそ、「いま、生きている」。

 

 


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「新冷戦」とはしゃいでいるときなのか。

2021-04-18 08:17:09 | 自民党憲法改正草案を読む
読売新聞が「新冷戦の日米同盟」という連載を始めた。
日米共同宣言で「台湾の平和」へ介入することをもりこんだことによるものだ。
「冷戦」時代とは、台湾が「中国」として国連に加盟していた時代のことだ。
いまは台湾は「国」ではない。これは、日本政府も認めている。中国の「一地域」だ。
たとえて言えば、香港や新疆ウイグルと変わりはない。
問題があるなら、香港や新疆ウィグル政策に対して言論で批判するのと同様、台湾海峡問題についても言論で批判すればいい。自衛隊を派遣するための「共同声明」など必要はない。
台湾海峡ではなく、香港、新疆ウィグルの「平和」のために日米が共同で軍事行動を起こす(準備する)と共同声明に明記したら大問題だろう。
なぜ、台湾だけ、「例外」にするのか。
アメリカにとって、台湾は、ケネディ・フルシチョフ時代(冷戦時代)のキューバなのだ。(日本も、アメリカにとってはキューバなのだ。)中国へ軍事的圧力をかけるための「基地」にすぎないのだ。
このアメリカの世界戦略に、菅は、安倍路線を継承したまま乗っかっている。
アメリカの言い分にあわせてアメリカから軍備を買えば、自分の地位を守ることができるからだ。つまり「私欲」のためだ。
日本と中国の関係はとても重要だ。
10年以内といわず、5年以内に日本人は中国に出稼ぎにいかないと生きていけない。
日本の格差社会は、資本主義経済の末期的症状そのものだ。日本で「非正規雇用」で搾取されるよりも、きっと中国で出稼ぎをする方が楽に金を稼ぐことができる。出稼ぎ先から日本へ仕送りをするという生き方から、中国へ移民して生きなおすという人が増えてくるだろう。
そんな中国を相手に、「台湾の平和」を口実に、軍事介入をちらつかせるというのは、日本人の生き方そのものを破壊することになる。
それに。
この「新冷戦時代」への逆行は、さらに時代を逆行させるだろう。
「冷戦」がはじまる以前、つまり、太平洋戦争時代、台湾とはどういう「場」だったか。
日本が侵略し、支配していた。亜細亜への侵略の「拠点」とさえ呼べるだろう。中国語をうばい、日本語を押しつけさえしている。
「台湾有事」のときは、きっと同じことが起きる。
いや、同じことをしたいために「台湾有事」を期待している人がいるに違いないのだ。
台湾を拠点に、ふたたびアジア近隣諸国への侵略、植民地化を狙っている人間が、菅や安倍を利用している。
いま、アジアのいちばんの問題はミャンマーだろう。
国連安保理さえ開かれている。
展開次第では難民が続出する。
ミャンマーの平和(安全、民主主義)を放置しておいて、「台湾の平和」を言っているときなのか。
「新冷戦」などと言っているときなのか。
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「台湾危機」

2021-04-17 20:57:00 | 自民党憲法改正草案を読む
読売新聞の、この記事。西部版(4版)の見出しは、
日米「台湾の平和」明記 共同声明
となっている。
見出しを読みながら、私は瞬間的に「台湾危機」ということばを思い浮かべた。
「キューバ危機」はケネディ・フルシチョフ時代にあった。
ソ連がキューバにミサイルを持ち込もうとした。もちろんミサイルの照準はアメリカ。
今度はアメリカが台湾(海峡)にミサイルを持ち込む代わりに「日本の自衛隊」を派遣しようとしている。
中国と台湾の間に、どんな緊張があるか。
それは香港、新疆ウイグル問題のような深刻なものか。
さらには、いま、東南アジアでいちばん緊張が高まっているのはミャンマー問題だろう。
そうした問題を押し退けて「台湾海峡」を取り上げ、共同声明に明記するのは、どういう目的だろうか。
私には「台湾危機」をつくりだすことで、日本にアメリカの兵器を買わせようとしているとしか思えない。
もし台湾海峡に入り込んだ米艦隊が攻撃されるようなことが起きたら、「集団的自衛権」が発動され、自衛隊の艦隊が台湾海峡へ出動することになる。
アメリカから米軍を派兵するよりも、自衛隊派兵の方が経済的だし、アメリカ人の被害も少ない。
日本の福祉は、自衛隊のためにどんどん削除され、しかも戦争の危機も高まる。
菅は、安倍と同様、国民のことは何も考えていない。
自分の「地位」だけを考えている。
首相でいるために、アメリカの言うことなら何でも聞く。
拉致問題解決に協力する、五輪開催支持という「ことばだけの約束」と引き換えに、日本はアメリカの戦略のために破滅への道をたどりつづける。
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(110)

2021-04-17 09:50:34 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

* (そして非在は湖を閉ざした)
<blockquote>
ぼくの歩く音のみがきこえてきた
</blockquote>
 「湖を閉ざした」の「閉ざす」はどういう意味だろうか。湖への入り口がなくなった、ということか。そこにあるけれど、そこに入ることはできない。
 あるいは「非在」と「閉ざす」は同じ意味かもしれない。
 湖が消える。消えたけれど、湖の記憶がある。ここに湖があったはず、と思いながら「ぼく」は歩く。歩きながら、非在の湖を思う。あるいは、いま、ここに非在だからこそ、湖を思うことができる。
 非在は、そのとき比喩になる。
 しかも「非在の湖」という超越的な比喩に。比喩でしか(ことばの運動でしか)存在し得ないものになる。
 そのとき、「ぼく」も消える。非在になる。しかし、「歩く音」は存在する。「ぼく」が存在した証として。
 「聞こえてきた」は、すこしむずかしい。この「きた」は過去形ではなく、現在形である。電車がホームにはいってくる。そういうとき「あ、電車がきた」という「きた」に似ている。「到来」である。「ぼく」が消えたことを認識する、その認識が「音」として到来するのである。

 

 


*

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工藤正廣「出会いと別れのあかるさ」

2021-04-17 08:45:53 | 詩(雑誌・同人誌)

工藤正廣「出会いと別れのあかるさ」(「午前」19、2021年04月15日発行)

 工藤正廣「出会いと別れのあかるさ」は大学の恩師のことを書いている。とても美しい連がある。

あなたはその日その日の手書きの詩をぼくに渡してくれた
これまでみたこともないような美しい筆記体のキリル文字だった
それを受け取って授業の前にプリントするのが
ぼくの役目だった
あれは何という名だったろう
乾湿プリンターだった?空色の液体のなかに用紙をくぐらせ
そして出てきたプリント用紙はうっすらと湿ったライラック色
アレクサンドル・ブロークの詩のテクストは
あなたの手蹟で まるでネヴァ河の波から現れたとでもいうようだ
乾くまでのあいだ しばしぼくは湿った用紙から生まれる詩句を見つめる

 工藤が書いているプリンター(?)を私は知らないが、次世代のコピー機も似たようなものだった。湿って、濡れている。ライラック色ではなく、灰色だったような気がする。文字が浮き出てくるのはいいが、時間がたつと消えてしまう。
 工藤のことばが美しいのは、コピー(プリント)の過程のなかに時間があるからだ。「くぐらせる」「出てきた」という動詞をつきやぶって、「現れた」という動詞がライラックの花が咲くように動いてくる。
 ネヴァ河(の波)を、そのとき工藤が知っていたかどうか、わからない。たぶん学生だから、実際には、まだ見ていないだろう。しかし、写真や雑誌などで見たことがあるかもしれない。あるいは地図を見ながら何度も想像したかもしれない。そして、その想像は、単なる想像ではなく、工藤の「肉体」にしみついた「思想」になっていただろう。それを突き破って、知らなかったもの、しかも「ほんもの」が、まるで花が開くように、自らの力で生まれてくる。
 それは「美しい筆記体のキリル文字=手蹟」をさらに突き破り、「アレクサンドル・ブロークの詩句」になる。詩句になりながら、また、「美しい手蹟」であることをやめない。ふたつは「ひとつ」になって、そこにある。
 ここに書かれているは「記憶」である。しかし、その「記憶」は「いま」生きて動いている。「ぼくは湿った用紙から生まれる詩句を見つめる」と現在形で書かれるのは、そのためである。
 詩は、つまり充実した時間は、いつでも「現在」である。

 

 


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なぜ台湾問題?

2021-04-17 07:51:23 | 自民党憲法改正草案を読む
日米共同文書、「台湾の安定」と「中国の人権懸念」一致へ
読売新聞の見出し。
「台湾の安定」とは、何を意味するのだろう。
私には安定しているとしか見えない。
私の友人のひとりは台湾と中国(上海)を行き来している。
安定しているからこそ、こういうことができる。
記事中に、こう書いてある。
↓↓↓↓
 日米首脳間の共同文書に台湾問題が書き込まれるのは、1969年の佐藤栄作首相とニクソン大統領との会談以来となる。バイデン政権は中国が台湾への軍事的圧力を強めていることを警戒しており、台湾海峡の平和と安定に向け、日米両国で結束する考えを国内外に示す狙いがある。
↑↑↑↑
1969年といえば、国連に台湾が「中国」として加盟していたとき。
71年に台湾にかわり、中国が「中国」として加盟した。
代表権が交代した。
その後、日本もアメリカも台湾とは断交し、中国と国交を結んだ。
その後、「台湾」は中国の一地域である。日本にとって「国」ではない。
なぜ、ここで台湾が問題になるのか。あるいは台湾を問題にするのか。
アメリカは、いわゆる「冷戦時代」に方向転換している。
「台湾」を「キューバ」のように位置づけようとしている。
ケネディ時代のキューバである。
ソ連(ロシアではない)は、アメリカの「庭」にあるキューバにミサイルを配備しようとした。キューバからなら、アメリカをすぐ攻撃できる。
いま、アメリカは、日本と台湾を、そのときのキューバのように利用しようとしている。
問題は、アメリカが台湾と協力して「台湾海峡」の安全を守る(台湾を守る)という関係を、アメリカと台湾との間で確認しているのではなく、台湾を抜きにして、アメリカと日本で確認していることである。
これは、簡単に言い直せば、アメリカの戦略に日本が片棒を担がされているということである。
「インド洋、東シナ海の安全を守る」という名目で、アメリカの軍備費の負担が増えるだけである。「台湾防衛」の分担も日本がになわされる。
日本と中国の関係が、いま以上にややこしくなる。
アメリカは、中国と日本に、不必要な緊張関係をもたらし、軍事費を投入させ、結果的に経済力を低下させる。中国、日本の経済力(日本の経済力は低下する一方だが)を抑圧しておいて、アメリカは自国の経済を活性化するために金をつぎ込むということだろう。
アメリカの「一石二鳥作戦」に菅は利用されているだけである。
「1969年の佐藤栄作首相とニクソン大統領との会談以来」などと、まるで「大手柄」であるかのような書き方は、現実を無視している。
国連での中国の代表権の交代、中国との国交樹立、台湾との国交断絶という歴史を踏まえて、バイデン-菅の会談を見ないととんでもないことが起きる。
だいたい、いま取り上げるべきは台湾問題というよりも、ミャンマー問題だろう。ミャンマー問題に、どう日米が協力するか。それが共同宣言にもりこまれないとしたら、それはあまりにも「現実離れ」しているとしか言いようがない。
このことだけからも、台湾問題を共同声明にもりこむ、それが「目玉」というとらえ方がおかしいことがわかるだろう。
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(109)

2021-04-16 10:59:03 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

* (どんなに言葉を忘れていても)
<blockquote>
舟は動いている やつてくる
櫓も櫂もなく
</blockquote>
 このイメージは美しい。
 川や海のように水が動く場所にある舟ではない。動かない水。けれども、舟は「うごいて」「やつてくる」。
 「言葉を忘れていても」と嵯峨は書くが、「舟」ということばは忘れてはいない。「櫓」も「櫂」も覚えている。
 嵯峨が忘れているのは、ほかのことばだ。
 人間の、ことばだ。何か言いたいことがあるが、ことばにならない。
 けれど、舟が、櫓が、櫂が、ことばになってやってくる。

 


*

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谷川俊太郎「八畳間」

2021-04-16 10:26:23 | 詩(雑誌・同人誌)

谷川俊太郎「八畳間」(「午前」19、2021年04月15日発行)

 谷川俊太郎「八畳間」は「部屋」と対になっている作品だ。「部屋」は抽象的だが、「八畳間」はタイトルからして「部屋」にくらべると具体的だ。具体的だけれど、具体的だからわかりやすいかというと、そうでもない。具体の中にも抽象がはいりこむからだろうか。あるいは具体的に見えるというのは錯覚で、抽象の中に具体がはいりこんでいるのだろうか。
 その全行。
<blockquote>
八畳間に午後の陽がさしていた
小学生の私は風邪で寝ている
単発の練習機の聞き慣れた爆音

今というその空っぽの時を
私は一体何から恵まれていたのか
その束の間が年を経た今も
変わらず私を通り抜けようとする

想い出となることを拒み
記憶からこぼれ続ける今の
この束の間は時空の更地

八畳間は写真に残っている
隣室のピアノで母が弾いた旋律を
折に触れてウエブで聴く
空っぽの時に音があふれる
</blockquote>
 写真。なつかしい八畳間が写っている。それを見て思い出したこと、午後の光、風邪、飛行機の音、ピアノ、母、旋律……。具体的と感じるのは、そうしたことばのためだろう。でも、その具体的な「想い出」をなつかしがっているだけではない。
<blockquote>
私は一体何から恵まれていたのか
</blockquote>
 という、私には奇妙に感じられる文体(できこそないの翻訳みたい)に、私はまずつまずくが、そこにつまずいていると、ほかのことばが見えなくなる。
 見えることば、わかることばから、谷川に近づいていくことにする。
 「今」ということばが三回出てくる。しかし、それは同じ「時間(日付のある時間)」を指しているとは思えない。
 「今というその空っぽの時」は風邪で寝ていた小学生の時の「今」。記憶の中にある「今」である。それは「空っぽ」と言い直され、さらに「束の間」と言い直される。そして、「その束の間が年を経た今も」と動いていくときにあらわれた「今」は「現在」である。谷川が詩を書いている「今」、過去を思い出している「今」。
 では、三連目の「今」は?
 「想い出となることを拒み/記憶からこぼれ続ける今」は「過去(小学生のとき)」か、それを思い出している「現在」か。小学生のとき、風邪をひいた、八畳間で寝ていたは「想い出」であり「記憶」だから、「過去」ではなく「現在」だろう。
 しかし、その「今」はやはり「束の間」と言い直される。
 「過去」と「現在」が「束の間」ということばのなかで融合してしまう。「束の間」は一瞬と言い直すことができ、さらには「今」とも言い直すことができる。だいたい「想い出」のなかの「ある時間」はどこにあるのか。「思い出す」という「行為」のなかにある。「行為」というのは、つねに瞬間である。動いている。「今」をつくりだしていく。「想い出」という名詞と「思い出す」という動詞は切り離せない形で融合しており、それは「ひとつ」なのだ。「小学生の私は風邪で寝ている」という一行が「寝ていた」ではなく「寝ている」と現在形で書かれる理由はそこにある。しかも、「思い出す」という動詞の現在は「想い出となることを拒み/記憶からこぼれ続ける」が、谷川は、それをことばとして「記録」することができる。つまり、それはやがて「写真」のように「想い出」をひっぱりだすものとして働きかけてくる可能性を秘めている。
 この「ひとつ」の不思議さが、私を混乱させる。「論理」を攪乱する。「わからない」ということが、そこから生まれる。わかっていることがあるのに、わからないとしか言えなくなる。
 谷川は、この「想い出」と「思い出す」という「束の間/今」、いわば「渾沌」のようなものを「時空の更地」と呼んでいる。この「時空の更地」が何を意味しているかは「部屋」の方に書かれている。つまり、「部屋」「八畳間」と続けて読むとわかるように書かれているのだが、ほかに書きたいことがあるので、省略。
 そして、その「時空の更地」、言い直せば「空っぽの時」があらわれたあと、不思議なことが起きる。谷川は、小学生のとき風邪をひいて八畳間に寝ていたことを思い出しすだけではない。
 「隣室のピアノで母が弾いた旋律」を思い出す。谷川が寝ていたとき、母がピアノを弾いていたのか。それとも、母がピアノを弾いていたことを、谷川は寝ながら思い出したのか。それは、わからない。
 わかるのは、「今」谷川は、その旋律を聞いているということである。聞くといっても現実に聞いているわけではなく、思い出している。想像している。しかも、母のひいた音そのものではなく、同じ旋律、しかも「折に触れてウエブで聴く」旋律を思い出している。「具体」的であるけれど、「具体」そのものというよりも、「具体」をつらぬいている「抽象(普遍)」を聞いている。
 と、書いてきて。
 あ、この「抽象/普遍」というのは、「具体」にくらべると「空っぽ」なものだな、と思う。「空っぽ」だから、そこにどんな「具体」でもはいりこめる。「空っぽ」の時空で「具体」が動いて、それが「今」という時間になる。「今という時間」は、何かが具体的に動いたときだけ、私たちの前に出現してくる。そして、私たちは「生きている」と実感する。
 さて。
<blockquote>
今というその空っぽの時を
私は一体何から恵まれていたのか
</blockquote>
 最初につまずいた行に戻ってみる。
 直感的に「空っぽの時」そのものが、私たちが最初に受け取る「恵み」のように思えるのだ。「空っぽの時」があって、そこに飛び込ん瞬間(迷い込んだ瞬間?)、私たちは「生きる」という動詞になる。自分の中から、何かがあふれてくる。あふれたものが「空っぽの時」を埋めていく。谷川色に染めていく。谷川のことば、音(音楽)が埋めていく。
 風邪をひいて寝ているその、無為のとき、たとえば「午後の陽」を見つける。「練習機の爆音」を聞く。母のピアノの音を聞く、あるいは思い出す。
 それはたしかに「何かから」の恵みである。その「何か」を特定する手がかりは「部屋」の中にあるけれど(書かれているけれど)、それは「仮定」であって、絶対的な答えではない。絶対的な答えとしては「何か」としか言いようがない。だから、私は、そういう「結論」めいたものは書きたくない。

 「今」ということばのなかに、いくつもの言い直しがかさなり、動いている。そして、それは「ひとつ」に融合しているので、融合のままつかみとるしかない。分離してしまえば、それはまったく違ったものになってしまう。
 詩は、わからないことを、わからないまま、わかることだ。「わかる」と勘違いすることだ。その勘違いには、必然がある。私は、そう信じて「誤読」をつづける。「誤読」を誘うことばのまわりでうろうろするのが、私の詩の読み方だ。

 

 

 

 

 

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谷川俊太郎「かみきれ」、池井昌樹「つげさん」

2021-04-15 10:00:31 | 詩(雑誌・同人誌)

谷川俊太郎「かみきれ」、池井昌樹「つげさん」(「森羅」28、2021年05月09日発行)

 谷川俊太郎「かみきれ」の冒頭。
<blockquote>
なにかかいた
そのかみきれが
みつからない
なにをかいたのか
かいたのは
わたしだったのか
</blockquote>
 全行、ひらがな。
 池井もひらがなで書いている。そして、「森羅」は池井の手書きの文字で発行されている。この作品も同じ。そのため、一瞬、奇妙な印象にとらわれる。
 池井の作品?
 と、思ってしまうのだ。この思いを振り切るにはかなり「労力」がいる。池井のことばのうごきとは違うのだが、「肉筆」の、その「肉」が池井の形で迫ってくるのである。これを振り切るには、目で読むだけではダメだ。ワープロに打ち直し、「活字」にしないといけない。
<blockquote>
みなれたものばかりが
めにはいる
ちゃわん
しきぶとん
ちびたえんぴつ
あきびん
おはじきひとつ
おばは
いつからか
つえを
つくようになった
</blockquote>
 ここまでワープロで打ち直すと、あ、池井は違うな、と納得できる。「ちびたえんぴつ」「おはじき」は池井も書くかもしれない。でも「おはじきひとつ」の「ひとつ」は書かないだろう。さらに「おばは/いつからか/つえを/つくようになった」は絶対にかかないなあ。「おば」という不思議な距離感。肉親には違いないが、いっしょの家に住む感じではない。どこか「客観的」な肉親。
 この「客観性」が、たぶん、谷川の特徴。
 べたべたしない。どろどろしない。
 書き写す前、私は「おば」を「おばばは」と読んでしまったが、池井なら「おばば(祖母)」になるはずだ。
 で、そのあと。
<blockquote>
はなれたものを
ばらばらに
とびちったものを
ひとつか
ふたつに
まとめたくて
うたに
したくて
かいた
ことばだった
</blockquote>
 「はなれたもの」「ばらばらに/とびちったもの」は、池井には存在しない。孤立しているように見えるものがあるかもしれないが、それは孤立していない。池井が見るものは、かならず池井を超える存在とつながっており、何かを見ること(書くこと)は池井を超える存在とつながることなのだ。
 「はなれたもの」を「まとめる」ということを池井はしない。
 逆に言えば、谷川は、「はなれたもの」を「まとめる」ことによって、谷川自身をそこに出現させる。谷川は、谷川を超えるもの、ではなく、谷川自身を見つけるのである。
<blockquote>
なにを
かいたのか
その
かみきれが
どこかに
あるはずだが
どこにも
みつからない
みつからない
</blockquote>
 この繰り返しは池井が乗り移ったように見えるが、「みつからない/みつからない」は、やはり微妙に違う。
 あくまで、谷川は、谷川自身を探している。
 そして、
<blockquote>
みつからない
とくりかえしていると
そらには
よるになれば
ほしがみえてしまうと
こころぼそく
</blockquote>
 あ、宇宙と孤独(こころぼそく)。
 谷川は、自分自身と向き合うとき、それは宇宙と向き合い、自分の孤独を確かめるのである。
 谷川は、だれか(自分を超えるいのち/血/肉体)とつながるのではなく、宇宙とつながる。自分を宇宙の中においてしまう。
 この「宇宙」を谷川は、最後に、こんなふうに言い直している。
<blockquote>
いっそ
おおわらい
すればいいと
おもう
ああ
あのかみきれ
えではなく
ことばを
かいたはずの
かみきれ
そのかみきれは
かいたことばごと
みつからなくて
もういい
</blockquote>
 「ことば」である。「えではなく」とわざわざ断わっている。「ことば」が谷川にとっての宇宙である。「ことば」とつながることで谷川は「宇宙」を手に入れる。あるいは逆に「宇宙」とつながることで「ことば」を手に入れる、といってもいいかもしれない。
 そういうところが、谷川と池井の違いだ。
 そして、もうひとつ。
<blockquote>
おおわらい
</blockquote>
 これは、自分を意味から解放してしまう「ナンセンス」の笑いである。これも池井にはないものだ。
 最後の「もういい」はあきらめではなく、「ナンセンス」のだめ押しである。
 

 池井昌樹「つげさん」の全行。
<blockquote>
つげさんのことおもいだす
つまとことつましいゆうげ
にざかななんかつついてる
まんぞくそうなよこがおを
いつかだれかにえがかれた
えにっきのなか
あのよこがおを
つげさんのことはしらない
それからのこともしらない
それなのに
なぜだろう
つげさんのことおもいだす
おもいだすたびほっとして
いきている
ぼくもまた
いつかだれかにえがかれた
えにっきのなか
あんなかおして
</blockquote>
 「つげさん」とは漫画家、つげ義春のことだろう。池井とつげは面識はない。「しらない」と書いている。しかし、これはあくまで、個人的な接触はないということであって、思い入れとしてはつげとつながっている。熟知している。その「熟知」というのは、つげの暮らしを池井が「肉体」で繰り返すことで、つげのいのち(生き方/思想/肉体)につながるということである。「つまとことつましいゆうげ/にざかななんかつついてる」とは、池井の自画像であり、理想像(普遍像=永遠の姿)なのだ。それは「えがく」という動詞によって、複数の人間関係の中へ広がっていく。「宇宙」ではなく「世間」に広がっていく。

 あたりまえのことだが、谷川と池井は、まったく違う人間なのだ。同じように「ひらがな」で詩を書いても。

 


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豊原清明『白い夏の死』

2021-04-14 09:38:24 | 詩集

豊原清明『白い夏の死』(ふたば工房、2021年01月31日発行)

 豊原清明『白い夏の死』の「あとがき詩」の書き出し。

深爪の指の痛みに悶えながら
生活している
蜘蛛が 生き写しの蜘蛛が今日も
現れないでいて
この家のどこかに棲んでいる

 「生き写しの蜘蛛」とは何だろうか。「蜘蛛」そのものではない。豊原に蜘蛛として認識されている何か。その何かをあえて言えば「生き写しの蜘蛛」ということになるのだろう。それが、

現れないでいて

 と言い直される。「現れない」から、ふつうに考えればいるかいないかは、わからない。いないと考えてもかまわない。しかし、豊原には「いる」ことがわかっている。
 「どこかに棲んでいる」は、どこかに「隠れている」なのだが、「隠れている」だけではなく、隠れて「生活している」。
 豊原が「深爪の指の痛みに悶えながら/生活しているように」、「生き写しの蜘蛛」は隠れて生活しているのだ。

この家

 で。「この家」の「この」には、深爪のように「痛み」がこもっている。「悶え」が動いている。
 この一連目を、二連目で、こう言い直している。

暗い壁が目前にあって
乗り越えられない
壁が
壁に囲まれて
クラッシュされて 繰り返される 壁潰し
この壁は壊れることがない

 ここにも「この」が出てくる。でも、その「この」は何を指しているのか。目の前にある「暗い壁」なのかもしれないが、その「この/暗い壁」は、別の「壁に囲まれて」ているから、「この壁」というよりも「あの壁」だろう。しかし、豊原は「あの」を「この」と言い換えている。「あの」と「この」では「この」の方が切実である。「あの」なのに、いつも「目前」にあって、つねに「乗り越えられない」という気持ちを生み出すのである。
 でも、こういう「意味」は書いてもしようがない。それは私の「誤読」であって、豊原は「壁」の向うにいて、豊原の世界を生きている。
 私は、次のようなことばの展開が好きだ。

人は家の中の静物
おしっこする草のように
空しいことに金をかける風賭博の亀
匙の入った
ヨーグルト容器
おねんねする石と石                        (荒地の心)

思わず歩道に「私」を放つ
サト子は傲慢な女か
知るはずもない
電柱に隠れて
人様のラインを見る「私」には
わかりようもない
すべてが絵空事の関係
ある朝
ハンバーガーマクドナルドの前で
サト子は立っていた
フィッシュバーガーを口にして
唇に汁が着き
備え付けの紙切れで拭う
口紅が乱れて
ぐちゃぐちゃになった              (悦楽・サト子 ラインを引く)

 「ラインを見る」はスマートフォンのアプリではなく、人の「輪郭」と読みたい。

 

 


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